33.平民騎士団の誕生
「信じられるか? 昨日の朝まで、この畑は石ころだらけの枯れ地だったんだぜ」
王都近郊、かつては重税と不作にあえいでいた農村。
そこに住む老農夫は、青々と芽吹き始めた麦畑を前にして、震える手で地面を撫でていた。
畑の中央には、ゼノンが考案し、学生たちが設置した奇妙な魔導具「魔素循環杭」が打ち込まれている。
それは土壌中の魔力濃度を最適化し、二十四時間体制で成長を促進させる、農業版の軍事魔導だった。
「陛下は仰った。『空腹では引き金は引けない。明日への不安がある者に、私の背中は預けられない』とな……」
村人たちの瞳には、恐怖ではなく、魂からの感謝と熱狂が宿っていた。
彼らにとって、高尚な理念や歴史などどうでもよかった。
今日食べるパンがあり、明日も生きられるという確信。
それを、数百年の歴史の中で初めて与えてくれたのが、王を廃した「異端の皇帝」ゼノン・バルトだった。
効率化という名の「救済」
ゼノンは、王都の執務室で膨大な書類を「演算」していた。
彼の前には、ソフィアがまとめた国内の物流データがホログラムで浮かび上がっている。
「ソフィア。南方の街道、馬車による輸送効率が悪すぎる。三日以内に、路面の摩擦係数を低減させる『滑走術式』を組み込め。物流の停滞は、国家の血栓だ」
「承知いたしました、陛下。……ですが、それを実行すれば、周辺の荷運びギルドが職を失うと反対しておりますが?」
ゼノンは冷淡に、しかし迷いなく言い切った。
「そのギルド員たちを、新設する『平民騎士団』の輜重班として雇用しろ。旧態依然とした労働を奪う代わりに、より高度で、より給与の高い仕事を私が与える。……反対する者は、計算の仕方を忘れた無能だけだ」
ゼノンの内政は、情に流される「慈善」ではない。
国民一人ひとりを、国家という巨大な魔導回路を構成する「素子」として捉え、そのパフォーマンスを最大化させるための、冷徹なまでの「最適化」だった。
だが、その結果としてもたらされる生活水準の向上は、どの前代の王が施した慈悲よりも、平民を豊かにした。
平民騎士団の誓い
同日午後。王都の広場には、志願した平民数千人が集まっていた。
彼らは貴族のように洗練された所作は持たない。
だが、その手にはゼノンから与えられた最新鋭の魔導武器があり、その胸には、家柄ではなく「能力」で選ばれたという誇りがあった。
「——我らは、陛下の盾。我らは、陛下の数式を現実にする刃!」
壇上に立ったハンスが、新設された『平民騎士団』に向かって吼える。
「かつて貴族たちは、我らを『守るべき弱者』と呼びながら、その実、搾取の対象としか見ていなかった。だが陛下は違う! 陛下は我らに、自らを守り、自らで未来を勝ち取る『力』を与えてくださった!」
平民たちは一斉に剣を掲げ、地鳴りのような歓声を上げた。
彼らはもはや、無理やり徴兵された農民兵ではない。
ゼノンの提示した「成果主義」という合理的な夢に、自らの人生を賭けた「熱狂的な信奉者」たちの軍団であった。
ゼノンはバルコニーから、その光景を静かに見下ろしていた。
「陛下……。彼らの熱気、もはや宗教に近いものがありますね」
傍らに立つリィンが、少しだけ呆れたように、しかし誇らしげに呟く。
「宗教ではない。これは『投資』と『リターン』の結果だ」
ゼノンは冷静を装うが、その瞳には微かな満足感が浮かんでいた。
「リィン。私はこの国を、一つの『脳』にしたい。私の演算に、数百万の意志が遅滞なく同期する最強の機構だ。……見ていろ。平民たちが騎士を圧倒し、農夫が魔導師を超える。そんな『あり得ない日常』が、このバルト帝国の常識になる」
支持という名の「最強の防壁」
周辺諸国の密偵たちは、この光景を報告書に書き連ね、自国の王たちを戦慄させた。
「バルト帝国の最大の脅威は、ゼノン・バルト個人の武力ではない。……彼によって『人間』としての誇りを取り戻し、飢えから解放された平民たちの、狂信的な支持である。彼らを崩すのは、物理的な攻撃よりも困難であろう」
ゼノンは、内政という名の「目に見えない要塞」を完成させつつあった。
不満を持つ貴族の陰謀も、平民たちの強固な支持という壁に阻まれ、霧散していく。
「——さて、ハンス。内側は固まった」
ゼノンは、東方の空——宿敵カインが統治する帝国の方角を睨みつけた。
「そろそろ、この大陸に新しい『支配者』が誕生したことを、正式に近隣の連中に分からせてやる。……バルト帝国、建国後の初陣(外交)といこうか」
一人の天才と、彼に命を預けた百万の平民。
「新生バルト帝国」という巨大な怪物は、ついにその牙を世界に向けて剥き始めた。




