31.投降か、根絶やしか
静寂。
ヴェルダン平原を支配していたのは、数万の軍勢が発する喧騒ではなく、耳が痛くなるほどの無音だった。
五万の連合軍のうち、四万五千がピクリとも動かぬ骸と化し、生き残った五千の兵は武器を握る気力すら失い、泥の中に膝をついていた。
その死の平原の中央を、ゼノン・バルトが悠然と歩く。
彼の軍靴が石を鳴らすたび、生き残った敵兵たちは「死神の足音」を聞くかのように肩を震わせた。
「……信じられない。これこそが、魔導の極致」
背後で控えていたソフィアが、恍惚とした表情で呟いた。彼女は自身の指先を見つめている。
ゼノンの演算回路を通じて、今、自分たちは神の業に触れた。
その震えは恐怖ではなく、未知の真理に触れた魔導師としての狂おしいほどの喜びだった。
「先生……いいえ、統帥。貴方は今日、魔法という概念そのものを再定義なさいました。私たちが信じていた世界が、どれほど矮小だったか。……あぁ、貴方の視る景色に、もっと、もっと近づきたい……」
ソフィアだけではない。
並び立つ学生軍「アカデミア・レギオン」の瞳には、かつてのエリートとしての傲慢さは消え失せ、代わりにゼノンへの盲目的な心酔が宿っていた。
彼らにとって、ゼノンはもはや「教師」ではない。自分たちを無能な「天才」から、真理を操る「選民」へと引き上げてくれた救世主。その背中を追うためなら、魂を売ることすら厭わない。
そんな狂信が、軍団全体を異様な熱気で包み込んでいた。
究極の二択
ゼノンは、泥にまみれたエドワード公爵の前に立った。
公爵は、もはや言葉にならない呻き声を上げながら、ゼノンの軍靴に額を擦り付けていた。
「命乞いは見苦しいぞ、公爵。お前の役割は、私の言葉を各国の王へ運ぶ『拡声器』になることだ」
ゼノンは冷徹な声を、魔導拡声によって戦場全域、そして遠隔で戦況を見守る周辺諸国の偵察魔導師たちへ向けて放った。
「聴け、大陸の敗北者たちよ。ヴェルダンの結果こそが、これからの世界の『仕様』だ。お前たちが誇った数は、私の数式一行で無に帰した。……残された道は、二つしかない」
ゼノンが指を一本立てる。
「一つ。新生バルト帝国に無条件で投降し、私の秩序を構成する『歯車』となること。その場合、お前たちの命と、最低限の生活は私が演算(保証)してやる」
そして、二本目の指を立てた。
「二つ。今まで通り、正義だの伝統だのという非効率な幻想を掲げて抗い続けること。その場合は——」
ゼノンは、転がっている敵の死体を一瞥した。
「——根絶やしだ。お前たちの血統、歴史、名前の最後の一文字に至るまで、この世から消去する。……どちらが効率的か、考えるまでもないだろう?」
崇拝の咆哮
その宣言が終わるや否や、ハンスが真っ先にゼノンの前に跪いた。
「我が主、ゼノン・バルト陛下! 貴方の進む道こそが真理、貴方の振るう刃こそが正義! 我ら黒影、そして新生帝国の臣民は、地の果てまでもお供いたします!」
続いて、リィンが影から現れ、音もなく頭を垂れる。 「……敵は、刈り取るだけ。貴方の影を汚す者は、私がすべて消す」
そして、三千人の学生軍と平民騎士団が、示し合わせたかのように一斉に武器を掲げ、地鳴りのような咆哮を上げた。
「「「新生バルト帝国に栄光あれ! 唯一王ゼノンに勝利を!!」」」
それは、ただの勝どきではなかった。
自分たちを「測定不能の怪物」の一部として認めてもらったことへの、狂信的な服従の誓い。
生き残った敵兵たちは、その異様な光景に、もはやバルト軍が「人間の集団」ではないことを悟った。
それは、一人の天才的な脳によって制御される、巨大で冷酷な「単一の生命体」だった。
拡散する恐怖
この日の夕暮れ、ヴェルダン平原から解放された数千の敗残兵たちは、廃人のような虚ろな目で自国へと戻っていった。
彼らが語るのは、ゼノンの強さではない。
「——あれは戦いではなかった。掃除だ。私たちは、ただの数字として消されたのだ」
その言葉は、周辺諸国の王宮を震え上がらせた。
投降か、根絶やしか。 ゼノンが突きつけたナイフは、大陸中の喉元に深く食い込んでいた。
ゼノンは、自らを称える兵たちの歓声の中、一人静かに空を見上げた。
「……カイン、見ているか。お前の言う『暴力の美学』など、私の『演算』の前ではノイズに過ぎない。……さあ、次は誰が、消去されたいと名乗り出る?」
覇王の道は、もはや一方通行だった。
新生バルト帝国。その名は今、恐怖と崇拝という名の、抗えぬ「法」として大陸に刻まれた。"




