3.軍事魔導の再定義
バルト家の練兵場には、退屈そうな空気が流れていた。
並んでいるのは二十人ほどの私兵たち。装備の手入れは行き届かず、その視線の先には、昨日の騒動で「急に狂った」と噂される長男、ゼノン・バルトが立っていた。
「……本日より、私がこの兵団の指揮を執る」
ゼノンの言葉に、兵士たちの間から失笑が漏れた。
彼らにとって、ゼノンは昨日まで酒場で泥酔していた「粗大ゴミ」だ。一時の気の迷いで弟を圧倒したところで、軍事がわかるとは思えない。
「ゼノン様、お言葉ですが」
一人の男が進み出た。 騎士ハンス。三十代半ばの中堅騎士だ。真面目だけが取り柄だが、魔力量が平凡なため、エリートである魔導騎士団からは相手にされず、この辺境領地でくすぶっていた男だ。
「我らバルト領兵は、領主様直属の部隊です。いかに長男殿とはいえ、戦を知らぬ方に背を預けるわけには参りません。……失礼ながら、まずはその酒臭さを抜いてからお越しいただけませんか?」
兵士たちがドッと沸く。 だが、ゼノンは無表情のまま、ハンスを見つめた。
「ハンス。お前は毎日、その錆びかけた剣を千回振っているそうだな。だが、実戦では一度も敵の首を落としたことがない。なぜかわかるか?」
ハンスの顔が屈辱で赤くなる。 「それは……私の魔力量が低く、剣に魔力を乗せきれないからです。この世界の常識ですよ」
「常識か。反吐が出る」
ゼノンは地面に転がっていた練習用の木剣を一本、拾い上げた。 そして、ハンスに向かって構えすら取らずに言った。
「かかってこい。魔力は使っていい。私がお前の言う『常識』を、一分以内に破壊してやる」
「……後悔しないでくださいよ!」
ハンスが吼えた。彼は魔力を剣に込めようとする。青白い光が剣を覆うが、その供給は不安定で、半分以上の魔力が大気中に霧散している。 ハンスが踏み込み、上段から一気に斬り下ろした。
ゼノンは、最小限の動きでそれをかわした。 ハンスの剣が空を切る。
「遅い。魔力を剣全体に流すな。それはただの浪費だ」
「くっ……まだまだ!」
ハンスの連撃。しかし、ゼノンはまるで未来を予見しているかのように、数センチの差で全てを回避する。そして、ハンスが大きく振りかぶった一瞬の隙——。
ゼノンの木剣が、ハンスの鳩尾を正確に、凄まじい速度で突いた。
「が、はっ……!?」
衝撃がハンスの全身を駆け抜ける。ただの木突きの物理的な痛みではない。ハンスの体内に流れていた魔力の「流れ」が、ゼノンの木剣を通して逆流させられたのだ。
「ぐあああああぁぁっ!」
ハンスは膝をつき、激しく嘔吐した。 他の兵士たちは何が起きたのか理解できず、凍りついている。
「魔法とは、あるいは魔力とは、自然現象を操るための道具ではない。……敵の生命活動を停止させるための『技術』だ。ハンス、お前の魔力制御は、穴の空いたバケツで水を運んでいるようなものだ」
ゼノンはハンスの髪を掴み、強制的に顔を上げさせた。 そこには、これまでハンスが出会ってきた誰よりも深く、冷酷で、それでいて「理」に満ちた瞳があった。
「お前には『精度』が足りない。魔力を一箇所に集中させ、針の穴を通すように練り上げろ。そうすれば、お前程度の魔力量でも、大岩を砕き、城門を貫くことができる」
「そ、そんなことが……できるわけが……」
「私が証明してやった。……ハンス、お前は無能ではない。ただ、教える者が無能だっただけだ」
ゼノンはハンスの手を放し、立ち上がった。 そして、懐から重厚な金貨の袋を取り出し、ハンスの目の前に投げ出した。
「今日から私の訓練についてくる者には、現在の三倍の給与を約束しよう。さらに、私の『軍事魔導』を習得した者には、いずれ一国の騎士団長に相応しい地位と領地を与える」
兵士たちがざわめく。三倍の給与。それは破格を超えていた。
「ただし。脱落者は容赦なく切り捨てる。私の軍に、ただの肉壁はいらん。必要なのは、死を恐れず、私の指先として動く精鋭のみだ」
ゼノンの足元で、ハンスが震えながら、ゆっくりと頭を垂れた。 彼の中にあった劣等感と絶望が、この男の言葉によって、未知の熱狂へと書き換えられていくのを感じていた。
「……ゼノン様。私は、あなたの言う『地獄』を見てみたくなりました。この命、お預けします」
周囲の兵士たちも、一人、また一人と膝をついていく。 それは恐怖による屈服であり、同時に「圧倒的な実利」と「希望」に導かれた狂信の始まりだった。
ゼノンは満足げに目を細めた。 一国の主となるための、最初の「駒」が揃い始めた。
「よろしい。では、最初の訓練だ。……明日までに全員、今の装備を捨てろ。私が設計した『殺すための道具』を支給する」
バルト領の小さな練兵場。 そこは、世界が再び一人の王によって塗り替えられる、最初の発火点となった。




