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28.包囲網の形成

新生バルト帝国の独立宣言から十日。


王都グラン・ガルドの周辺には、かつてない濃密な殺気が漂っていた。  


ゼノンという「異端」を排除するため、隣接する三つの王国——西の肥沃な大地を治めるカスティア王国、北の騎馬民族を従えるウラル共和国、そして南の海洋国家レムリア——が、史上初となる「三國共同戦線」を張ったのである。


「バルト帝国の存在は、大陸の安寧に対する冒涜である。よって、我ら三國は五万の兵を動員し、簒奪者ゼノン・バルトの首を以て、再び神の秩序を取り戻すものとする」


 周辺諸国が発表した連名の宣戦布告書は、正義の言葉で飾られていた。


だが、その実態は「ゼノンの持つ未知の魔導技術への恐怖」と、「平民が力を持つという思想への拒絶」に過ぎない。


孤立無援の要塞

 王都の作戦会議室。巨大なホログラム地図を囲むのは、ゼノン、ハンス、ソフィア、そして影から現れたリィンだった。


「報告します。西門から十五キロ地点にカスティアの重装歩兵二万。北東の街道沿いにウラルの軽騎兵一万五千。さらに南の運河からはレムリアの魔導艦隊一万五千。……文字通り、袋のネズミですわ」


 ソフィアが冷静に、しかし僅かに声を震わせて状況を説明する。  


対するバルト軍の戦力は、ゼノンが直接鍛え上げた学生軍三千と、ハンスが旧王国軍から引き抜いた精鋭、そして急造の平民騎士団を合わせても、わずか六千に満たない。


「一対十、か。……軍事演算シミュレーションを出すまでもない、絶望的な数字ですな。ゼノン様、いかがなさいますか?」


 ハンスが尋ねる。その表情には、絶望ではなく「この主君なら、ここからどう盤面をひっくり返すのか」という期待が滲んでいた。


「絶望? 逆だ、ハンス。これほど効率的な状況はない」


 ゼノンは地図上の一点——三國の軍勢が合流しようとしている「ヴェルダン平原」を指差した。


「敵がバラバラに攻めてくるなら、各個撃破に時間がかかる。だが、一箇所に集まってくれるというのなら、一度の数式プロセスですべてを処理できる」


恐怖の「包囲網」を利用する

 ゼノンは、リィンに向かって命じた。


「リィン、各国の指揮官の性格と、彼らの『魔力供給源』の配置図は取れているな?」


「……はい。カスティアの王は臆病で、中央の巨大な魔導水晶に防御を依存しています。ウラルの将軍は功名心が強く、突出しがち。……すべて、予定通りに配置されています」


「よろしい。ソフィア、学生軍に『重力偏向術式』の最終調整を急がせろ。ハンス、お前は平民騎士団を率いて、南の運河を『閉鎖』しろ。一兵も通すな」


 ゼノンの指示は、守りのためのものではなかった。  


彼は、五万の軍勢に包囲されているという事実を逆手に取り、敵軍そのものを「一つの巨大な実験体」として、自身の新たな戦術の贄に捧げようとしていた。


聖女の問い

 会議の終盤、それまで黙っていた聖女エレオノーラが口を開いた。


彼女の瞳には、かつての迷いはないが、それでも拭いきれない「祈り」の残滓があった。


「ゼノン様。五万の兵にも、それぞれの家族がいます。……本当に、すべてを焼き尽くすおつもりですか?」


 ゼノンは、エレオノーラの銀髪を乱暴に撫でた。


「エレオノーラ。お前に教えてやろう。戦争における最大の慈悲とは、敵を優しく扱うことではない。『二度と立ち上がれないほどの恐怖』を、最短時間で与えることだ。そうすれば、次の戦争は起きない」


 ゼノンは窓の外、遠くで砂塵を上げる敵軍の影を見据えた。


「私は、彼らを殺しに行くのではない。彼らが信じている『数(暴力)』という神話を、物理的に解体しに行くのだ」


嵐の前夜

 その夜、王都グラン・ガルドの住民たちは、城壁の上に設置された奇妙な「塔」が、不気味な紫色の光を放ち始めるのを目撃した。  


それは、ゼノンが学園の地下から発掘し、自身の魔力で再構築した古代の演算増幅器。


 包囲網を形成し、勝利を確信して酒を酌み交わす三國連合の将軍たちは、まだ知らない。  


自分たちが包囲しているのは、一人の男ではなく、世界を飲み込む「事象の特異点」であることを。


「さあ、始めよう。一対一万の戦術。……魔法が神の奇跡ではなく、ただの『質量兵器』であることを、歴史に刻んでやる」


 ゼノン・バルトの冷徹な号令と共に、新生バルト帝国の初陣の幕が上がろうとしていた。  


大陸の空が、あり得ないはずの「黄金の雷」で震え始める。

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