18.暗殺者の涙と服従
王都の北に位置する魔導学園都市。
その中心に聳える白亜の校舎は、美しくも排他的な空気を纏っていた。
ここは、高貴な血筋と膨大な魔力量を持つ者だけが許される「聖域」であり、平民や魔力の低い者は、門を潜ることすら許されない。
「……反吐が出るな。戦の準備もできぬ子供たちが、象牙の塔でままごとをしているのか」
学園の正門前。豪華な馬車から降り立ったゼノンは、贅を尽くした校舎を一瞥して吐き捨てた。 彼の背後には、地味な制服に身を包み、気配を完全に殺したリィンが「従者」として控えている。
「ようこそ、ゼノン・バルト殿。いや、今は『特別軍事顧問閣下』とお呼びすべきかな?」
出迎えたのは、学園の教頭を務める恰幅の良い男だった。
先日の「灰色の惨劇」に戦慄した国王が、帝国の脅威に対抗するため、学園の学生たちを「兵器」として使えるレベルに引き上げるようゼノンに依頼したのだ。
「形式的な挨拶は不要だ。教頭。すぐに学生たちを練兵場へ集めろ。私の時間は、無能な挨拶に使うほど安くない」
「……はは、これは手厳しい。しかし閣下、本園の学生は皆、将来の国を背負うエリート中のエリート。辺境の戦法がそのまま通じるとは思わないことですな」
教頭の目には、明らかに「成り上がりの若造」への侮蔑が混じっていた。
一時間後。広大な第一練兵場には、数千人の学生が集まっていた。
彼らが手にしているのは、宝石を埋め込んだ豪奢な杖。
纏っているのは、防御魔法が何重にも施された高価なローブ。
壇上に立ったゼノンを、学生たちは嘲笑と興味の混じった視線で見上げていた。
「おい、あれが噂の『辺境の落ちこぼれ』か?」 「魔力測定で最低値だった男が、俺たちに何を教えるんだ?」 「きっと何かの間違いさ。カトウェル領の奴らも、油断していただけに決まっている」
ざわつく学生たちの声を、ゼノンは黙って聞き流していた。
そして、彼はゆっくりと壇上のマイクを使わず、しかし練兵場の隅々まで通る澄んだ声で告げた。
「——静粛に。未来の死体諸君」
一瞬で場が静まり返る。
「……死体だと!? 貴様、今の言葉を取り消せ!」
最前列にいた、学園序列三位を誇る公爵家の嫡男が、激昂して杖をゼノンに向けた。
「取り消せ? なぜだ。今のままのお前たちは、帝国軍の歩兵一人の突撃で、泣き喚きながら首を落とされるだけの存在だ。それを死体と呼ばずして、何と呼ぶ?」
「貴様ぁっ! 黙って聞いていれば……!」
「不満があるなら、証明しろ」
ゼノンは壇上から飛び降り、悠然とその学生の前に立った。
「お前たち自慢の『芸術的な魔法』で、私に傷一つ付けてみろ。もしできれば、私は今すぐ顧問を辞任し、全財産を学園に寄付しよう。だが——」
ゼノンの瞳が、零下まで冷え込む。
「失敗すれば、お前たちは今日から私の『犬』だ。私の命令なしに呼吸をすることも許さん。……やるか?」
「面白い……! 後悔させてやるぞ、無能者が!」
公爵家の嫡男を中心に、数人の取り巻きが杖を構える。
彼らは学園でもトップクラスの詠唱速度を誇る連中だ。
「『燃え盛る炎の精霊よ、我らが敵を灰に——』」
合唱詠唱。
広範囲を焼き尽くす極大魔法の予兆が、空気を震わせる。
だが、ゼノンはただ、退屈そうに指を鳴らした。
パチン。
次の瞬間、練兵場を覆っていた猛烈な魔力の波動が、嘘のように霧散した。 そ
れだけではない。詠唱を続けていた学生たちが、突如として喉を抑え、血を吐いてその場に崩れ落ちた。
「なっ……何が……魔法が、暴走した……!?」
「術式の組み方が甘い。魔力の流れを、一箇所『逆流』させてやっただけだ。……お前たちの魔法は、あまりに無防備で、あまりに脆弱だ」
ゼノンは、床に這いつくばるエリート学生の頭を無造作に踏みつけた。
「これが学園の最高峰か? 笑わせるな。……さあ、教育の時間だ。まずはその重いローブを脱げ。今日からお前たちは、一人の『兵士』として、地獄の底から這い上がってもらう」
学園を支配していた「腐ったプライド」が、ゼノンの冷徹な一踏みによって粉々に砕かれた。
王立魔導学園の長い歴史の中で、最も凄惨で、最も革新的な一日が始まった。




