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10.隣領の卑劣な簒奪者

「ゼノン・バルトを討て! あの邪悪な簒奪者に、貴族の法を教え込むのだ!」


 バルト領の北方に、色とりどりの紋章旗が翻った。  カトウェル子爵の親戚筋にあたる三人の領主が結成した「周辺領主連合」。


その数、三千。さらに王都から派遣された臨時の魔導師傭兵団も加わり、軍容はかつてないほど膨れ上がっていた。


「ゼノン様、敵軍は平原に陣を敷きました。数はこちらの十五倍以上。……正直に申し上げて、まともにぶつかれば一刻も持ちません」


 ハンスが地図を指差しながら報告する。だが、ゼノンは優雅に葡萄酒を煽り、不敵な笑みを浮かべていた。


「ハンス、軍事とは『数』の勝負ではない。いかにして『敵に全力を出させないか』の勝負だ。……準備はできているな?」


「はっ。命じられた通り、領内の『ある場所』に全兵力を伏せております」


 バルト軍が向かったのは、平原ではなく、領地の入り口にある深い霧に包まれた「黒い森」だった。


 連合軍の総大将、ボレル伯爵は鼻で笑った。


「ハハハ! 追い詰められて森に逃げ込んだか。卑怯者の落ちこぼれらしい。全軍、森を包囲せよ! 焼き払ってあぶり出してくれる!」


 連合軍が森へ足を踏み入れた、その時だった。


 パシッ、パシパシッ!


 森のあちこちから、奇妙な破裂音が響く。  


だが、火球も雷撃も飛んでこない。代わりに発生したのは、視界を完全に遮断する「色のついた煙」だった。


「なんだ、これは!? 煙幕か? 姑息な……っ」


「——撃て」


 霧の向こうから、ゼノンの冷徹な命令が響く。    


シュッ、シュッ、シュッ!    


見えない。どこから撃たれているのか、全くわからない。  


連合軍の兵士たちは、次々と喉や関節を射抜かれ、悲鳴を上げる暇もなく倒れていく。


ゼノンの兵士たちが手にしているのは、以前よりも改良された「消音式魔導短弩」。森の音に紛れ、魔力反応も最小限に抑えられた暗殺兵器だ。


「魔導師隊、障壁を張れ! 敵を焼き払え!」


 ボレル伯爵が叫ぶが、魔導師たちが杖を掲げた瞬間、森の木々に仕掛けられていた「共振石」が共鳴を始めた。


「キ、ギギギギッ……!?」


 耳を裂くような高周波。魔導師たちは集中力を乱され、構築しかけた術式が暴走し、自爆を始める。これこそが、ゼノンが兵士に教え込んだ「魔導ジャミング」の応用戦術だった。


「……さて、仕上げだ」


 混乱の極みに達した連合軍の中央に、一人の男が悠然と姿を現した。  


ゼノン・バルトだ。


「き、貴様ぁっ! ゼノン! 死ねぇっ!」


 ボレル伯爵が剣を抜き、馬を走らせる。  


ゼノンは避けもしない。ただ、向かってくるボレルと、その後ろの軍勢を冷たく見据えた。


「軍事魔導・十式『真空断界』」


 ゼノンが指を横に一閃させた。    


目に見える現象は何もなかった。  


だが、次の瞬間、ボレル伯爵の馬の首が、そしてその背後の兵士たちの鎧が、何かに断ち切られたようにズレ落ちた。    


大気そのものを刃に変え、一帯の空間を「切断」する。前世でアスタルクが、反乱軍を一撃で沈めた絶技の一つだ。


「…………え?」


 ボレル伯爵は、自分の胴体が滑り落ちるのを感じながら、絶命した。    


総大将を一瞬で失い、三千の軍勢はパニックに陥った。そこへ、漆黒の革鎧を纏ったハンスたちの精鋭部隊が、森の影から音もなく現れ、トドメを刺していく。


「武器を捨てろ。死にたい者から前に出い」


 ゼノンの声が森に響く。    


一時間後。  

森の入り口には、膝をつく数千の捕虜と、山のように積み上げられた連合軍の旗があった。    


ゼノンは、捕らえた領主の一人の顎を蹴り上げた。


「卑怯な簒奪者、だったか。……お前たちの領地は、今日から私の庭だ。不満があるなら、あの世でボレルと相談してこい」


 ゼノンは返り血を拭いもせず、自分の兵士たちに告げた。


「よくやった。約束通り、捕虜の装備は全てお前たちのものだ。さらに、今日から三日間は祝宴とする。……カトウェル領の酒蔵を全て開け!」


「「「ゼノン様、万歳!!」」」


 三千の軍勢を百人で壊滅させた。  


この「黒い森の惨劇」は、もはや周辺諸国にとって無視できない脅威——「災厄」として刻まれることになった。


 しかし、ゼノンは知っていた。  


この異常な勝利が、ついに東の巨大な「帝国」を動かすことになるということを。


「来い、カイン。……お前なら、この程度では驚かないだろう?」


 夜の風に当たりながら、ゼノンは遠く東の空を見つめていた。  

そこには、かつての宿敵の気配が、確かに漂っていた。

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