9.幕間 ー次なる演者はー
side フェリシア
「それじゃあ、公爵様を呼んだのは、本当にヴィアじゃなかったの?」
ティーセットのポットから、琥珀色の紅茶が静かに注がれる。湯気とともに立ちのぼる上品な香りが、張りつめていた気配をやさしく溶かしていく。
カップを受け皿へ戻しながらそう尋ねると、向かいに座るヴィアは、肩を軽くすくめてみせた。
「そうなの。突然現れたから、少し驚いたわ。私はもう少し楽しむつもりだったのに」
けれど、その声音には本当に驚いた様子など欠片もない。すべてを想定済みだったかのような、落ち着き。
もし現れなかったら、どうするつもりだったのかしら。
……考えるだけ野暮ね。
「まあ、さすがですわ、オリヴィア様」
ライラが、口元に微笑みを浮かべながら、持っていたフォークをそっと置く。
「驚いたようには、とても見えませんでしたもの。それに公爵様は、まるで……そう、劇場にふいに現れる“ゲスト出演者”のようでしたわ」
その喩えがあまりに的確で、三人の間に小さな笑いがこぼれた。
「でもまさか、お父様があんな風に怒るだなんて意外だったわ。お父様は、“結婚して嫁に行けば、幸せになれるもの”って、少しも疑っていないと思っていたもの。跡継ぎには弟がいるから、卒業ギリギリまでにエリオット様の浮気の証拠を揃えて、一気に婚約破棄に持ち込むつもりだったのよ」
ヴィアはカップを傾け、紅茶を一口含みながら、まるで他人の計画のように淡々と語る。
「卒業後すぐに新たな縁談なんて、そう簡単には決まらないでしょうし、卒業後は外交官か、フェリの侍女を狙っていたの」
「それすら公爵様は、すべてを把握なさっていた……ということなのですね?」
ライラの問いに、ヴィアは意味深に微笑んだ。
「ええ、そうみたい。卒業後は、しばらく好きにしていいと許可もいただいたわ」
その言葉を聞きながら、私は穏やかに微笑むヴィアの横顔を見つめる。
ふと思い立って、口を開いた。
「それでヴィア。エリオット様は、どうなったの?」
私の問いに、ライラも興味深そうに身を乗り出す。
「お父様がすぐに侯爵家へ使者を送ったの。あの人が、自らの口で私への暴言を語ってしまったから――それが決定打だったようね。婚約破棄の手続きは即日。エリオット様は卒業まで謹慎処分、卒業パーティーにも参加しないそうよ……もう顔を合わせることもないでしょうね」
「廃嫡の可能性も、あるかもしれませんわね」
「さあ、どうかしら。もう関係ない話だわ」
ヴィアは静かにカップを置き、視線を伏せる。
その横顔に、ほんの一瞬だけ翳りが差したように見えたけれど――それはすぐ、紅茶の香りの中に溶けて消えた。
それでも。
卒業後も、ヴィアが私の近くにいてくれそうなのが、素直に嬉しい。
「ヴィアには、絶対に私の侍女になってほしいわ」
思わず本音がこぼれる。
公務の陰で、有能なヴィアが控えていてくれたら――どれほど心強いことか。
外交官になったとしても、国外への訪問には必ずついてきてもらうつもり。
ヴィアは目を細めて、やわらかく微笑んだ。
「そういえばアリー様、停学処分だったのに、男爵家の当主が早々に退学させたそうですわ」
「地方の修道院に送られるのかしら?」
私の呟きに、ヴィアが小さく息をつく。
「娘が貢がれていたことも、高位貴族の令嬢を貶めようとしていたことも……当主は、何ひとつ知らなかったそうよ」
それは――致命的ね。
情報収集能力のない当主など、貴族として致命傷も同然。
「アリー様も、そもそも公爵家が男爵家を下に見ていたとして、それが何なのでしょう。その程度で、あれだけ強気に出て命運を賭けたのは、無謀としか言い様がありませんわ。命があること、それはもはや奇跡。むしろ、ありがたく思うべきです。ですので……伝手を使いまして、男爵家には、うちの領地の修道院を紹介しておきましたの。何もない丘に、ぽつんと建っていますの」
まあ……ライラったら。一瞬、言葉を失った空気の中で、紅茶の香りだけが静かに揺れた。
「ヴィア、他の令嬢たちはどうなったのかしら?」
噂では、まだ両家の話し合いが続いていると聞いているけれど。
「そうね。本人たちの顔が、どこか明るかったから……きっと、よい方向に進んでいるのだと思うわ」
「家同士の契約がどうなるのかは気になりますけれど……少なくとも、あの令息たちの立場は、もう確実に揺らいでいますわね。オリヴィア様のお父上に睨まれたも同じですもの」
ライラの冷静な言葉に、誰も異を唱えなかった。
言葉が途切れ、また、しばしの静けさが広がる。
「それにしても……オリヴィア様は、さすがでしたけれど。“悪役令嬢”かと言われると、少し違う気がいたしましたわ」
「やっぱりそう思う? 『悪』の部分が、少し足りないような気がしたのよ」
――なるほど。
奥が深いわ、悪役令嬢。
「ふふ、ここは小説を読み漁っている私が、次のフェリシア様に、お手本をお見せしますわ!」
胸を張って宣言するライラに、思わず笑みがこぼれる。いつもの快活さと、少しだけ可愛らしい自信。
「まあ、ライラは自信があるのね」
そう言うと、ヴィアも口元を緩めた。
「お手並み拝見ね。それより、相談したいって言ってた人、大丈夫だったの?」
ヴィアの問いに、ライラは小さく頷く。
「ええ、問題ありませんでしたわ。私の場合、“ヒロイン”は家におりますから、すべてをお見せできるとは限りませんけれど……皆様に楽しんでいただける話題は、たくさん提供できると思いますわ」
「それは楽しみね」
「ええ、私もよ」
窓辺から差し込む陽光が揺れ、テーブルの上に繊細な模様を描いていた。舞台は静かに次の幕を待っている。




