8.証拠なき糾弾
side フェリシア
「楽しかったですわね、フェリシア様」
ライラが、まるで芝居の余韻を味わう観客のように、ゆったりと微笑んだ。その声音には満足げな響きがあり、ほんの少しの愉悦が混じっている。
「ええ、昨日の美味しい紅茶と演劇。とても有意義な昼下がりだったわ」
視線の先では、青ざめたまま去っていく者たちの背中が見える。
敗北の哀愁をまとったその後ろ姿は、幕が下りた直後の舞台のようで、どこか静謐ですらあった。
その様子を見届けてから、ヴィアが小さく笑う。唇に人差し指を当て、戯れるように囁いた。
「ふふ、まだ幕は下りていないわよ。ほら――来たわ」
言葉の通りだった。
扉の向こうから、やや早足でサロンへ踏み込んでくる影がある。足音は焦りを隠しきれておらず、扉が閉まる音がやけに大きく響いた。
あら。アリー様、お一人でいらっしゃるなんて――本当に珍しい。
その瞬間、サロンの空気がぴんと張り詰める。
「ひどいわ……オリヴィア様。私、あなたのせいで、停学になりました……! このあとも、説明のために先生方に呼ばれて……うぅ」
震える声。涙を含んだ言葉。
けれど私の耳には、それが“涙の演技”にしか聞こえなかった。
さざ波のように、ざわめきが広がる。
『あら……アリー様?』
『停学って、本当なの?』
『オリヴィア様に……何かされたのかしら?』
『何かの間違いではなくて?』
そう思うわよね。
だってアリー様は、清らかで愛らしく、守られる存在。――“そういう役”を、ずっと演じてきたのだから。
サロンに集う生徒たちの視線が、自然と一点に集まる。その中心にいるのはヴィア。
彼女は、いつもと変わらぬ冷静さで口を開いた。まるで、この場に至るまでの展開すら、すでに台本に書き込まれていたかのように。
「あら? アリー様。私が、ひどいのですか?」
一切の動揺もない。整えられた声音と、揺るがぬ姿勢。
アリー様が、縋るように、けれど震えた声で応じる。
「だって……先生方に、言ったのでしょう? わたくしのことを、悪く……っ、告げ口なんてひどい!」
それは明らかに、“反応”を引き出すための台詞。
観客――いえ、生徒たちの同情を誘うために、この場を選んだのね。
『……告げ口、ですって?』
『まあ、淑女のすることではありませんわね』
『あの方、前にもそういうことを――』
聞こえるように、けれど決して名指しはしない。令嬢たちは囁き合いながら、また一つの噂を“真実”として受け入れようとしている。
でも――。
「言いましたわよ。だって、階段から突き落としたなんて、ありもしない疑いをかけられたのですもの。誤解を解くためには当然の措置でしょう?」
『階段から……?』
『やっぱり、あの噂……本当だったのね?』
『でも、“ありもしない”って……』
ざわめきが、サロンの壁を跳ね返り、渦を巻く。その中心で、アリー様は小さく首を振り――やがて、感情を爆発させるように叫んだ。
「ぬ、濡れ衣じゃないわ! あなたが、私の後ろにいたの! 私、覚えてる……あなたの香水の匂いも……!」
「まぁ、あなたはご存知ないのかしら? あの階段には、防犯のための監視魔具が設置されておりますのよ。学院も認めている、正式な記録装置ですわ」
その言葉が放たれた瞬間、空気がはっきりと変わった。
「そ、そんな……記録……?」
もはや問いではない。それは、動揺そのものだった。
「ええ。記録の映像、それこそが最も公平な証拠ですわ。昨日、私のお父様もおっしゃっていたでしょう、監視魔具って。聞いていなかったの? “証言”よりも確かですわ。だから私はただお願いしましたの。疑われているので確認していただけませんか、と。それだけですわ」
サロンが、静まり返る。
張り詰めた沈黙が、重く落ちた。
『記録が……あるんですって?』
『じゃあ、やっていないのではないのかしら……』
『アリー様が……嘘を?』
『まさか、自作自演……?』
アリー様の肩が、がくりと落ちる。
まるで舞台の照明がすべて消えたかのような沈黙。それこそが、彼女の“最後のシーン”だった。目に見えて、彼女の周囲から“味方”が後退していく。
視線を逸らす者、会話を打ち切る者、何事もなかったかのようにお茶へ戻る者。
敗者を見限るその速さは――残酷なほど、鮮やかだった。
「それで、あなたは――なぜ、停学になったのかしら?」
ヴィアの声は柔らかい。けれど、その言葉は容赦なく真実だけを切り取る。
「っ!」
アリー様の肩が震える。言葉は出ない。何一つ。
「私が犯人なら、罰は私に。でも違った。だから罰が下されたのは――あなた。つまり、そういうことなのでしょう?」
「もう、いい!!」
叫び声とともに、アリー様は踵を返し、サロンを飛び出していく。その背中はひどく小さく、そして――誰の記憶にも残らないような姿だった。
後に残されたのは、沈黙。
ヴィアは変わらぬ表情で、カップに口をつける。
事実を、誇張せず、誇示もせず。
ただ静かに差し出す――その佇まいこそが、真実の重みを最も雄弁に物語っていた。
『アリー様って……がっかり』
『今までの噂も、全部そうだったのかしら』
『オリヴィア様は、無実だったのね』
『なんだ、つまらない』
誰かの呟きが、乾いた風のように流れていく。
私は静かに目を細め、冷めた紅茶を口にした。冷えてしまったのは、紅茶だけではない。
――彼女の評判もまた、完全に冷え切り、地に落ちたようだった。
「ふふ……どうやら、あの方は自分の幕引きの仕方を間違えたようですわね」
ライラが、紅茶を最後まで飲み干しながら、上品に微笑む。
そうよね。
“終幕のあとの一礼”こそが、最も品格を問われるのに。




