4.“ヒロイン”を招待
「どうぞ、私たちにはお構いなく。お続けになって」
サロンの中央で、ヴィアがゆるやかに扇子を畳み、微笑んだ。その仕草はあまりに自然で、まるで最初からこの場にいることが決まっていたかのようだった。
「用事があるなら早く言え!」
空気を裂くように、エリオット様の苛立った声が響く。椅子の脚がわずかに床を擦り、彼の不機嫌さが音として残った。
「ふふ。アリー様が私たちと友達になりたいという噂を聞きつけましたが、お話が合わないと困るでしょう? ですので、会話の内容を聞かせてくださいますか? お邪魔はいたしません」
柔らかな口調。けれど、視線は確かにアリー様を捉えて離さない。
「え? 会話ですか? それは、その」
アリー様の声が上ずる。指先がカップの縁をなぞり、落ち着きなく揺れた。――あら。やはり、即興は苦手なのね。
「困るの? 私たちと“お友達”になりたいというのは……嘘かしら?」
カルラ様が首を傾げ、無邪気を装った声を添える。その動きひとつで、周囲の視線が一斉に集まった。
「本当です! でも、私……身分が、下だから」
その言葉が落ちた瞬間、サロンの空気がわずかに軋んだ。
――“下だから”。
自ら掲げた被害者の盾。その一言が、どれほど多くの人の誇りを踏みにじるかも知らずに。
あなたの問題は、身分ではない。誠意の欠如ですわ。
「ちっ、アリーを困らせるなんて。皆、もう行こう」
エリオット様が苛立たしげに立ち上がる。椅子が押し戻され、令息たちもそれに倣った。
促されるままにアリー様も立ち上がる。その動きはぎこちないが、背筋だけは妙に伸びている。「私は何も悪くない」――そんな無言の主張が透けて見えた。
気まずい沈黙。あちこちから投げかけられる探るような視線。
私はそれらすべてを、ただ静かに眺めていた。
――さあ、ヴィア。どう出るの?
「お待ちになって」
低く、しかしよく通る声がサロンに広がった。アリー様の足が、ぴたりと止まる。背中が強張ったのが、この距離からでもはっきりと分かる。
「そんなに急いでお帰りになる必要はありませんわ。今日の授業は午前だけ……ちょうど、我が公爵家で午後からお茶を楽しもうと思っていたところですの」
ヴィアはテーブルのそばに立ったまま、優雅に微笑んでいた。逃げ道を塞ぐ位置。けれど態度は、あくまで社交的。
「え……?」
男爵令嬢が振り返る。その声には、隠しきれない怯えが混じっていた。
「おっしゃっていましたわよね? “本当はお友達になりたい”と。でしたら、ちょうど良い機会ですわ」
その笑顔は、完璧だった。美しく、非の打ちどころがない。――けれど私は、その裏にある意図を、はっきりと感じ取っていた。
「紅茶は、アリー様もお好きでしょう?」
しなやかな微笑み。しかし、“拒ませない”という圧が、静かに場を支配している。
「よろしければ、エリオット様……いえ、皆様もご一緒に、いらっしゃるでしょう?」
あくまで丁寧な声音。だが令息たちは互いに視線を交わし、言葉を失った。
――うまいわ、ヴィア。
表向きは何の問題もない誘い。けれど本質は、“逃がさない”という宣言だ。微笑みとともに差し出されたその手には、確かな罠が仕込まれている。
隣にいたライラが、誰にも気づかれぬよう、そっと小さく拍手を送った。
「素敵ですわ、オリヴィア様」
囁くようなその声には、かすかな愉悦が滲んでいた。
「え、ええと……それは……」
アリー様の唇が震える。足もとがわずかに揺れ、迷いが全身に広がっていくのが見て取れた。
拒めば、“友情を望んだのは嘘だった”と、この場で認めることになる。
受ければ――ヴィアの舞台に、自ら上がることになる。
――さて、どちらを選ぶのかしら。
私は息を潜め、答えを待った。
男爵令嬢が一歩、後ずさろうとした――その瞬間。
「よかったじゃないか、アリー」
その動きを止めたのは、ヴィアではなかった。アリー様の隣に立つ、エリオット様だった。
「え……?」
「ずっと“お友達になりたい”って言ってただろ? オリヴィアがそう言っているんだ。行ってみればいいじゃないか」
責めるでも、見下すでもない。まっすぐで、どこか楽しげな声。
アリー様の肩が、わずかに揺れる。
「でも……私、失礼なことをしてしまって……オリヴィア様に、もし……」
「誰にだって、間違えることはあるさ」
エリオット様は軽く肩をすくめた。
「いい機会だ。アリーの良さがわかったら、これから、過ごしやすくなる」
唇を噛みしめるアリー様。その瞳に浮かぶのは、戸惑いと――ほんのわずかな苛立ち。
「アリーひとりで行かせたりしないよ。俺たちも一緒に行く。だから、安心しろ」
――彼らは、彼女の“逃げ場”を完全に塞いだ。
いい動きですわ。
「守ってくれるの?」
「もちろんだ。オリヴィア、アリーは甘いお菓子が好きなんだ。お茶会には、用意してあるんだろうな?」
ヴィアが、小さく微笑む。
「もちろんですわ。甘いだけではなく、少しほろ苦い菓子も取り揃えておりますの。お好みのものを、どうぞ見つけてくださいませ」
エリオット様は笑い、アリー様の背中を軽く押した。
「な? アリー、行ってみよう」
「……はい」
その返事は、今にも消えてしまいそうなほど小さかった。
私は静かに息をつく。
――次の舞台は、整った。
どんな“友情”が演じられるのか。期待せずにはいられなかった。




