32.未来の栄光 side ベス
side ベス
「……やられたわ」
指先に力が入り、手にしていた新聞をくしゃりと握り潰す。上質な紙が歪む音が、やけに静かな室内に響いた。
薄紅色の絨毯。花の香りの漂う部屋。その中央で、私は一人、唇を噛みしめていた。
「精霊姫、孤児院を訪れる。子どもたちに祝福を」
そんな見出しでは満足できなかった。
そこには、私の訪問を報じる記事も、確かにある。祝福を受けた子供たちの笑顔の絵も、小さく載っている。けれど、隣に大きく組まれた記事がすべてを台無しにした。
「未来の王太子妃。泥を厭わず心に寄り添う姿が、感動呼ぶ」
ふざけないで。
目を細めて絵を睨みつける。そこに載っていたのは、あの女と子供たち。地面に膝をつき、泥の跳ねたスカートで子どもたちと笑い合っている。
本当に泥だらけで遊んでいるじゃない。
それに、手作りお菓子の差し入れ? 私だって知っていれば持って行ったのに。だめだわ。また、あのプロ並みのものと比べられる。私は静かに息を吐き、新聞をテーブルの上に叩きつけた。
「寄付だけではなく、心の交流を。継続的な支援を続ける姿」
「王家の未来にふさわしい慈しみの心」
「身分を超えて奉仕する姿に、心を動かされた」
持ち上げすぎでしょう。何なの、この記者。二度と声なんかかけないわ。お披露目会にも呼ばないんだから。
泥にまみれる? 奉仕? はっ! せっかく高貴な立場を得たというのに、なぜわざわざそんなことを? “民とともにある姿勢”って、ただの自己満足でしょう。
なのに——
どうして、称賛されてるの。
どうして、あの女ばかり。
私のほうが選ばれし存在なのに。あの孤児院の子たちだって、精霊を実際に見たら、私の凄さが分かるわ。ルキウス殿下だって、きっと、私に振り向いてくださるはず。
血統でも、権力でも、名家の名でもない——“精霊姫である私こそが殿下の隣にふさわしい”と、すべての者の心に焼きつけなければならない。
国中に。貴族たちに。王家に。あの女に。
私は静かに椅子に身を沈め、指先でカップをなぞった。中身はもう冷めきっている。甘い香りすらもう届かない。
「学院に、“私の賞賛を奪った”という噂を流したところで、果たして、どれだけ効果があるかしら」
呟いた声は虚しく空気に溶けていく。思考を巡らせるまでもない。ほとんど、意味などない。
あの女が“慈愛に満ちた令嬢”という印象を植え付けるには十分な時間が、すでに過ぎてしまっている。
わずかに汚れた子供の頬を撫で、泥まみれになって微笑んでみせる。それだけで称賛されるのだから、貴族令嬢は、どれだけ楽なのかしら。だからこそ厄介。
今さら陰口や嫉妬めいた噂など、火を点ける前に潰される。逆効果にもなりかねない。
ならば、私にはもう一つしか残されていない。
——お披露目。すべてが決まる、舞台。
私はそこに、全てを賭ける。艶やかな衣装。そして、私と心を通わせる精霊たち——誰よりも美しく、誰よりも神聖に。まばゆい光の中、静かに立つその姿を見れば、誰だって気づくはず。
私こそが、“真の王太子妃”にふさわしいのだと。
今、どれほどあの女が民の称賛を浴びていようと——関係ない。優しさだの、親しみやすさだの、そんなものはいずれ霞む。
舞台が整えば、私の方が遥かに上。
誰もが私の前に跪き、あの女が手にしている場所が本来誰のものであったかを、骨の髄まで思い知らされるはずよ。
その瞬間が来るのを、私は待ち望んでいる。
——いいえ、引き寄せてみせる。
石の授与式が終われば、状況は一変する。
私が“精霊と交流できる姫”として、国内外に認知されれば、あの子たち——今は彼女を慕っている孤児院の子供たちでさえ、目を輝かせて私の名前を呼ぶようになるわ。
私は立ち上がった。静まり返った部屋の中、わずかな風がカーテンをはためかせていた。窓辺に歩み寄り、手を伸ばしてカーテンを払う。
「ねえ、精霊たち……私、王太子妃になりたいの」
この気持ちは、偽物なんかじゃない。心からの願い。渇望。
「私が嬉しいと、あなたたちも嬉しいでしょう? だったら、お願い。協力してね」
聞こえている。きっと、聞いてくれているはず。
私のそばのあなたたちの気配。きっと、いつもそばにいる存在。私の声を、誰よりもよく知る存在。
そう、もしも精霊たちが、私の代わりに語ってくれるなら。誰も私を無視なんてできない。私を疎んじ、蔑んできた者たちでさえ、声を呑むはず。
世界は、私の言葉に耳を傾けるしかない。
すべては、そのために。
すべては、あの女の居場所を奪い、私が頂点に立つために。