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29.聖エルミナ教会 side ベス

side ベス




「素敵です、精霊姫様……物語の中に登場する女神のようでございます」



 側付きの感嘆の声に、私はゆるやかに微笑んだ。


 真っ白なドレスは、初雪のように純粋で、そして高貴。


 裾にほどこされた銀糸の刺繍が、光を受けてそっと揺らめき、動くたびに軌跡を描いていた。髪には、エメラルドの髪飾り。深い緑が波打つ栗毛の中できらめき、森の精霊が宿っているかのよう。



 ――そうよ。これこそが、私に相応しい姿。




 私は、美しかったという母の面影を知らない。でも、もし今、母が鏡の中からこちらを見たとしても――その目には嫉妬が宿るかもしれない。今の私は、それほどまでに美しいのだから。


 村では誰も、私のことを美しいなんて言わなかった。


 けれど、それも当然だわ。あの粗末な服、日焼けした頬、手入れのされていない髪。あれは“本当の私”じゃない。ただの仮の姿。


 貧しさと飲んだくれの父が、私の美を覆い隠していたのよ。


 今は違う。


 今の私は、選ばれし存在、精霊姫。誰よりも美しく、誰よりも尊く、そして誰よりも、祝福されている。




 これからは、私がこの世界を照らしていくの。誰もが私を見上げ、敬い、羨む。そういう未来が、もう手の届くところにある。




「本日向かわれるのは聖エルミナ教会付属の孤児院とのことですが……本当に、その場所でよろしいのでしょうか?」



 側付きが、慎重な声音で問いかけてくる。眉のあたりに、戸惑いの色がにじんでいた。



「ええ、大変恐縮なのですが、護衛の配置の都合でそこが最も適切だという報告でしたの」


 私は表情を変えずに答えた。

 事実、それは形式上の理由だ。けれど――本当の目的は、他にある。


 あの女が、しばしば足を運んでいる場所……



 孤児院に金貨を置いて帰るだけの慈善ごっこでしょう? 笑顔ひとつで“善意”を振りまくだけ。


 ふふ、あの女がどれだけお金を払っても、私のような“聖なる存在”にはなれない。違いを見せるにはふさわしい場所。




 子供たちにとって必要なのは、単なる施しなんかじゃない。真の祝福、心を震わせるような「奇跡」――それを与えられるのは、精霊の加護を受けた私だけ。



「恐縮だなんて! 精霊姫様にお目にかかれるのですもの、子供たちにとって一生の思い出になりますわ」



 側付きの言葉は、もはや当たり前のことのように聞こえた。そう、当然よ。私は“本物”なのだから。



 “公爵令嬢”とは違うところを、見せてあげる。


 私は、彼女のように与えるだけではない。存在そのものが“希望”となるのだから。




「では、参りましょう」



 静かにそう告げて立ち上がると、ドレスの裾がさらりと床を撫でた。絹の波が優美な弧を描き、香水と共に気品が漂う。女神のように優雅に、精霊のように神秘的に――今日という舞台の幕が、今、上がる。



 馬車の扉が開いた瞬間、わずかな風が頬を撫でた。



 街の喧騒とはまるで別の世界。


〈聖エルミナ教会〉の白い塔が夕陽に照らされ、淡く輝いている。併設された孤児院の建物は、思っていたよりもずっと整っていた。石造りの壁は清潔に保たれ、扉の周りには季節の花がふんわりと飾られている。


 ――悪くない舞台ね。



「精霊姫様、ようこそお越しくださいました」


 年配の女性が深く頭を下げた。おそらく、院長だろう。私はあくまで優雅に、作られた完璧な笑みで会釈を返す。



「さあ、こちらへ。子供たちも、精霊姫様のご到着を今か今かとお待ちしておりました」


 案内された中庭には、小さな子供たちが列をなしていた。小さな手にぎこちなく握られた花束が、心ばかりの歓迎を物語る。緊張に唇を噛む子、はにかんで俯く子。――いいわ、かわいらしいじゃない。



「精霊姫様、これをどうぞ」


「まあ、ありがとう。とっても嬉しいわ」


 膝を折り、しゃがみ込んで花を受け取る。新聞社の男がさっと筆を走らせたのを、私は見逃さない。完璧な角度で微笑み、目線を少し落としてみせる。



 ――よし。これで明日の紙面は「慈愛と神秘の化身」ってところかしら。


 さあ、ここからが本番よ。


「それでは、精霊姫様」


「ええ、分かったわ。ーー精霊たちよ。未来ある子供たちに、どうか祝福を」


 両手を空へと掲げ、瞳を閉じて祈る。風が、すうっと頬を撫でて通り抜けた――演出には、申し分ない。




「おお……なんと神々しい」

「風が……聖なる風が吹いた気が……」

「まさか、祝福の場面に立ち会えるとは」



 周囲の大人たちが感嘆の声をあげる。子供たちはまだ状況が呑み込めず、ぽかんとした顔で見上げていたが、院長が手を叩いて促すと、ようやく小さな拍手が起こった。



 ふふ、もっと有り難がっていいのよ?


 


「それでは、そろそろ戻りましょうか」


「はい、そういたしましょう」


 庁官長の言葉に頷き、私は来た道を戻ろうと足を向ける。


 

「えっ、もうお帰りになるのですか?」


 院長が、驚いたような声を上げた。


 

「精霊姫様は非常にお忙しい方です。こうしてご訪問いただけただけでも、たいへんな栄誉なのですよ」


 代わって答えたのは、側仕えの者だった。私は控えめに顎を引いて、頷いてみせる。


 

「え、ええ……そうですね」


 戸惑いの色が残る院長の隣で、小さな声が聞こえた。



「フェリお姉ちゃんは、いつも夕方までいるのに……」


 その瞬間、眉がぴくりと動いた。



「フェリ、というのは……?」


「ウィンチェスター公爵令嬢様のことです。昔からよくいらしていて。この前も、新しいベッドを全部取り替えてくださいました。あと、お洋服も……」


 ――なるほど。金で愛情を買ってるのね、あの女。



 はっ! もしかしてその見返りに長時間子供たちに接待でもさせているのかしら? 信じられないわ。私はそんなことしない。安心して、すぐに帰るから。



 しゃがみ込み、幼い子の手を握る。少し冷たい小さな指。私は、微笑んで言った。





「お披露目会が終わったら、また来るわ。今度は本物の精霊を、あなたたちに見せてあげる」


「ほんとう? 楽しみ! 精霊さん!」


 子供が歓声を上げて私に飛びつく。突然の衝撃にバランスを崩し――



「きゃあっ……!」


 尻もちをついた。


 その瞬間、白いレースのドレスが泥の上に広がっていた。繊細な刺繍に、茶色の汚れが無惨に染みついていく。




「大変! 精霊姫様、お怪我はありませんか? すぐに戻りましょう!」


庁官長やお付きの者たちが慌てて私に駆け寄る。



 ――こんなはずじゃ、なかったのに。


 膝に力を込めて、私はそっと立ち上がる。ざわめく孤児院の子供たちの視線が、一斉に私に注がれている。



――この私を、泥にまみれさせた存在。

――この私に恥をかかせた存在。



「だから子供は嫌いなのよ」



 誰にも届かぬ小さな声は、冷たく澄んで響いた。








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