23.幕間 選ばれたのは、私 side ベス
side ベス
「精霊姫様、あまり気を落とさないでください」
「そうですよ、あんな嫌がらせに負けてはいけません。精霊たちも、姫様の味方ですから」
精霊庁から派遣されたお付きの者たちが、甲高い声で口々に慰める。薄っぺらな同情の言葉を、差し出してくるようだった。
うるさいわ、黙って!
喉元までこみ上げたその言葉を、ぎりぎりのところで呑み込む。代わりに、いつもの“精霊姫”の仮面を張りつけてみせた。
「ありがとう、心配してくれて。でも、少し一人になりたいの」
口元だけで微笑んで。だが内心では、怒りが静かに、確実に沸点を越えていた。
扉が閉まる音を背に、ソファへ駆け寄ると、目に入るクッションを片っ端から掴んでは壁へと叩きつけた。
――ぽふっ。どさっ。ふわりと跳ねて、虚しく落ちるだけ。
「なんなのよ、あの女……っ!」
思わず声が漏れた。怒りに震える指先が、クッションの縁をぎゅっと握りしめる。
今まで、見向きもしなかったくせに。
感情の波が限界を超え、思いきりベッドへと身を投げた。ふかふかの羽毛布団が体を包み込むが、それでも冷えきった心は、少しも温まらなかった。
シーツに顔を埋めながら、奥歯を噛みしめる。
――許さない。
あの女の笑顔が、腹立たしいほど“正しさ”に満ちているのが、なにより癪だった。
声には出せない、醜い感情が胸を焼く。
「タルトですって? “お手本に”ですって? あれが嫌味じゃないとでも?」
私が気づかないとでも思ったのか。完璧な令嬢気取りで、王太子の隣に座るあの女の姿が脳裏にちらつく。
いいえ、完璧な“つもり”でしょ? それがなんだというの。
――私は、精霊姫なのよ。
判定で、精霊の姿を現せさせたたった一人の存在。精霊の声が、あの瞬間、あの場にいた者全てに確かに聞こえた。
『ねえ、ねえ、お菓子持ってる?』
もっとほかに言うことはないのかと思ったけど、精霊はお菓子好き。私にお菓子をねだるほど親しみをもっていると精霊庁の庁官長も言っていた。
そして、実際その一言だけで、世界が反転した。
貧しい村の片隅で、飲んだくれの父と暮らすしかなかった私の人生が、輝き始めたの。
「王宮に来た時点で、私が王太子の婚約者になって、あの女は用無しになると思っていたのに」
あれからもう、どれだけ経っただろう。なのに、何も動かない。ルキウス殿下のそばには、いまだにあの女がいて、養子先すら決まらない私がいる。
「それに、この歳で勉強なんて、冗談じゃないわ」
呪文のように響く王宮の講師の声。学院の授業も意味が分からず、眠気と戦いながら座り続ける時間。
こんなの、私のすることじゃない。私には、もっとふさわしい場所があるのよ。
「私に付き従う令嬢の中から側室を一人選んで、あとは全部やらせるつもりだったのに……!」
政治も、書類も、社交も――全部人任せにして、私は微笑むだけでよかったはずなのに。精霊姫として、王太子妃として、夢のような日々を送るはずだったのに!
「ルキウス殿下とも、順調だったのよ。あと一歩だったはず」
あの方は、私に気を許し始めていた。目が合うたび、言葉を交わすたびに、確かに距離が縮まっていたのに。
――あの女。最近邪魔なのよ。
自分の立場が、私に脅かされていることをもっと遅くに気づけばよかったのに。
勝手に私の友人と名乗っているあの人たちが、余計な噂を流すから。
ふふ、でも、気付いてしまったなら、別にそれでいいわ。こちらもやり方を変えるだけ。
“精霊姫に嫌がらせをする王太子の婚約者”“精霊たちがきっと怒り出す”。そんな噂がさらに広まればどうなるか。
貴族たちは疑念より、面白半分の好奇心を優先する。ほんの少し脚色して、涙ぐみながら語ってみせればいい。あとは勝手に、あの“友人”たちが、面白おかしく触れ回ってくれるだろう。
英雄譚の語り部のように――愚かで、都合よく。
「ルキウス殿下の、いいえ、国王陛下の耳に入ったら、どうなるかしら」
ただでは済まないわ。だって私は、“王族と並び立つ存在”。国に安寧をもたらす、“精霊姫”なのだから――。
あの女が、どんな顔をするか。想像しただけで胸がすっとした。ざまあみろと叫びたいのを、ぎりぎりで呑み込む。
お披露目の日、それは、貴族社会に、正式に“精霊姫”としてその名を刻む日。選ばれし存在として、王太子殿下の隣に立つ日。私の存在を、王国の隅々まで知らしめる日。
ルキウス殿下との、初めてのダンス。
脳裏に描くのは、誰もが見惚れる美しい光景。
殿下が優しく私の腰に手を添え、軽やかな旋律に合わせて舞う。ドレスの裾がふわりと舞い、場の空気が息を呑むほどに華やぐ。貴族たちのざわめきと、うっとりとした視線。
そして――あの女の、悲しげな顔。
「練習はこれからも続くわ。殿下との時間も、まだある。仲を深めるチャンスだって」
ふと、空気の揺らぎを感じて、微笑む。
「精霊たち。あなたたちは、ちゃんと見ていてくれるわよね?」
判定で使われたアクルム石がなければ、彼らの姿も声も感じ取れない。
なんて不便なのだろう。
けれど、お披露目の時、国王陛下から正式な“精霊姫の証”として授けられるのは、アクルム石を用いたネックレス。
それを手にした瞬間、世界は変わる。
「ねえ……その時が来たら、あの女が私に意地悪したこと、全部伝えてくれるよね? どんな顔で、どんな言葉を投げつけてきたか……今日のことも、全部」
そっと囁く。
「悪いのは、全部あの女。私はただ、頑張ってるだけ。ね? そうでしょう?」
あの女に、精霊たちが微笑むことはない。
なぜなら、精霊たちに選ばれたのは、私なのだから。




