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21.お手本は、私

 王宮での穏やかな昼下がり。

 

 庭園の一角に佇む白亜のガゼボは、陽光を受けて透きとおるように輝き、その屋根越しに映る影が芝生にやわらかく落ちている。風がひとたび吹けば、薔薇の香りをまとった花びらが舞い込み、膝元にそっと触れる。



「ルキウス殿下! あら? ……フェリシア様、またご一緒でしたのね……」




 ええ、ご一緒よ。


 今日は、ルキウス様とのお茶会の日ですもの。 




「ごきげんようベス様、今日の分のお勉強は終わらせたのかしら?」


「えっ?」




 ……終わっていないのね。


 



「ベス嬢、何か用事かな?」


「はい! 実はルキウス殿下に、日頃の感謝を込めてお菓子をお作りしましたの。こちらですわ、どうぞ受け取ってください」





 クッキー、ね。


 後ろに控えたお付きの者たちが、“まあ微笑ましい”とでも言いたげな顔で彼女を見守っている。けれど。


 


「少しお待ちを。ベス様、これ、あなたがお作りになったのですか?」



「もちろんです。まさか、疑っているんですか? ちゃんと私が作りました。お菓子作りは得意なんです! 貴族らしくないと、令嬢がそんなことをするものではないとおっしゃりたいのですか?」




 付き人たちが、不満げに眉をひそめる。




「いいえ? ただ、王族が口にする物ですもの。慎重であって当然でしょう?」


「なっ! 私が、毒を入れるとでもおっしゃりたいのですか!? ちゃんと、王宮の厨房の人にお願いをして、場所を借りて。皆が見ている中で作りました!」




 そうなるでしょうね。


 


「カイエン、厨房に確認を」


「はっ、かしこまりました」




 カイエンが、音もなく駆けていく。


 ベス様は、唇をかみしめるようにうつむいた。





「ひどい。私はただ、ルキウス殿下のために……」



 肩が、かすかに震えている。





「朝から、あんなに張り切ってお作りになっていたのに」

「お気の毒に。あんなに嬉しそうだったのに……」




 付き人たちの声が、やわらかく、しかし意図的に響き出す。


 カイエンが帰ってきたわ。




「フェリシア様、戻りました。厨房の者が、一部始終を確認しておりました。問題はないそうです」


 

 お付きの者たちの、ほら見たことか、といわんばかりの顔。不敬ですわよ。


 


「厨房の人たちも、私が何か入れるって、疑っていたんでしょうか。だって皆、仕事もせずにずっと見ていましたもの」




「精霊姫様、違いますよ。厨房の者たちは、温かく見守っていたのです」


「そうですわ。何ができるか、興味津々といったご様子でした」


 お付きの者たちが、すかさずフォローする。


 


「おっしゃっていること、当たらずとも遠からずですわ。よくお聞きください。精霊姫である貴女に何かあれば、厨房の者たちは全員、解雇。最悪、処刑もあり得ますのよ」


「え……?」


「当然でしょう? 精霊姫が傷を負えば、精霊が激怒する可能性だってある。――それほどの立場なのですから、厨房の者たちも自分の仕事どころではありません。かといって、貴女の申し出を断ることもできない。次回からは、きちんと然るべきところに許可を取ってくださいね? 忙しい者たちにこれ以上、迷惑をおかけしないように」


「っ……!」




 まあ、なんて分かりやすい。悔しそうに唇を噛んで。


 いつものふんわりとした仮面、剥がれかけておりますわよ?


 


「でも、せっかく作ったですもの。ベス様も私たちとご一緒に、持ってきたお菓子をつまみながらお茶をするのはいかがですか? よろしいですよね? ルキウス様」


「ああ、もちろん。ベス嬢、君のお菓子を是非いただこう」


「ありがとうございます、ルキウス殿下!」




 お誘いしたのは私ですのに。感謝は殿下だけ? ふふ。




「では、こちらに」と、控えていた侍女が静かに頭を下げ、ベス様の手作りクッキーが入った籠を受け取った。



 少し離れた場所にあるテーブルで、侍女たちが静かにお茶会の準備を始めた。


 純白のクロスがかけられた丸テーブルの中央には、可憐な花を束ねたアレンジメント。その両脇には、陽の光をやわらかく反射する金縁のティーセットが、整然と並べられている。


 私の席は、ルキウス様の右隣。そして、ベス様には、少し間を空けた、左隣の椅子が用意されていた。




「ご準備ができました」




 控えていた侍女が、恭しく一礼して告げる。


 私たちは誘われるままにテーブルへと移動し、各々の席へと腰を下ろした。

 

 クッキーの入った籠を受け取った侍女が、小皿の上に手作りの菓子を丁寧に並べていく。その隣には、べつの侍女が運んできた別皿が、そっと添えられる。


 ベス様が何かに気づいたように、目を見開いた。




「えっ? これって」



 視線は明らかに、クッキーの隣に置かれた、もう一つの菓子皿に向けられている。


 


「タルトですわ」



 私は紅茶のカップを手に取りながら、軽やかに答えた。お皿に盛られたクッキーの横にあったのはタルト。




「シェフが作ったタルトの隣に、ベス様のクッキーを置くなんて……」

「比べようとしてるの? なんて嫌みなの」



 周囲でささやく声。誰かがわざとらしく息を呑んだのが聞こえる。聞こえておりますわよ、あなたたち。

 



「そうだわ。ベス様」



 私は、やわらかな笑みを浮かべながら言葉を継いだ。




「せっかくですので、今日は、私の真似をしてみるのはいかがかしら?」




 ベス様は一瞬、きょとんとした表情を見せた。その視線は、私とテーブルを交互に行き来している。


 


「真似、ですか?」



 紅茶の香りが漂う中、彼女の声だけが妙に浮いて聞こえた。戸惑いと警戒が入り混じった声音。その背後に、揺らぎかけた自尊心の気配がちらつく。


 


「ええ。たとえば私が紅茶を飲んだら、あなたも紅茶を。私が菓子をいただいたら、同じようにお召し上がりになる。そんなふうに、どうかしら? クッキーやタルトの食べ方のマナーもありますのよ」



 わずかに首をかしげて尋ねる私に、彼女は目を瞬かせながら答えた。


 


「……なぜ、そのようなことを?」



 テーブルに置かれたティースプーンを、無意識に指先でなぞっている。動揺している証拠。ふふ、可愛らしいわ。

 


「これから、お茶会にお呼ばれすることも増えるでしょう? 作法を覚えるには、お手本を真似るのが、何よりの近道ですわ」



 自分で言いながらも、内心で笑みを深める。

 “お手本”という言葉が、どれほど彼女の誇りを刺激するか、想像に難くない。


 


「まさか、フェリシア様を、お手本にしろと?」



 とうとう、彼女の声に棘が混じった。口角が引きつり、目元がわずかに吊り上がる。その顔には、柔らかさなど欠片も残っていなかった。


 


「ええ。そう申し上げましたわ。お世話をするという約束をしましたし、もちろん国王陛下の許可もあります」



 私はやわらかく微笑み、頷いた。


 


「ベス嬢」



 その緊張の空気を割るように、ルキウス様の澄んだ声が響いた。




「フェリの所作はとても美しいよ。君の参考になることは、私が保証しよう」




 美しいーー思わず口元が緩みそうになったわ。そして、その言葉に、ベス様の背筋がぴくりと揺れた。


 その場にいた全員が、次の台詞を予測したに違いない。


 


「……ルキウス殿下が、そうおっしゃるなら」




 やや間をおいて、ようやく絞り出された返答。承諾という形をとってはいるけれど、その声の中に、無念と屈辱が混じっていた。


 それもまた、耳に心地よい。

 


 私はそっとティーカップを持ち上げ、静かに笑みを深める。白磁の縁に口を添えたまま、目線だけをベス様に向けて。




 


 では、始めましょうか?




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