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17.優雅なる断罪

 side ライラ




「助けてくれ、ライラ」



 支払期日の前日、父が私に頭を下げてきた。


 結局のところ、邸まで売ろうとしたらしいけれど、そんなものがそう簡単に売れるはずがない。たとえ叩き売り同然の値で手放せたとしても、支払いは五百万だけで終わるわけではなく、これから先もずっと続いていくのに、浅はかだわ。


 期日を守れなかったときに課される罰則は、それ相応に重い。商会もあんな状態になった今、父は、早々に諦めて、私に頼る道を選んだ。


 なぜ、頭を下げただけで助けてもらえると、考えたのかしら? 


 ふふ、それすらも予想通りだけど。




「条件をいくつか聞いていただけます? お父様」




*****




 父が震える手で署名する。


 ペン先が掠れ、わずかに紙が擦れる音が室内に響いた。



 ──爵位と商会を正式にライラ・ナイトレイに譲渡する──



 たった一行の宣言文。




「これで、手続きは終わりですわね。さ、日が暮れないうちに出発してくださいませ」




 私は背筋を正したまま、努めて淡々とした声で言う。


 机の向こう、父の隣には、蒼白な顔の継母とリリス、そして無言で俯くダリオが並んでいた。




「やはり……今日、出発しないといけないのか? その……家族として、もう一度……やり直す時間を――」



 震える父の声。だが、私にはもう響かない。




「まあ、お父様。約束したじゃないですか」




 にこり、と微笑む。


 ──“やり直す”ですって? 笑わせてくれる。




「ひ、ひどいわ……お姉様!」



 リリスが声を荒げる。




「お姉様が爵位を継ぐからって、私たちには自力で暮らすか、あるいは領地でお姉様の“支援”を受けて生きるかの二択しか与えないなんて、あんまりよ!」



 あら、それ以外に何か選択肢があったのかしら?




「お父様が支払うべき多額の賠償金、私がすべて個人資産から全て払いましたのよ。牢に入らずに済んだだけでも、感謝するべき立場ではありませんの?」



 私は声を荒げない。冷たく、事実だけを告げる。




「家族のためにお金を出すなんて、当然よ! なのに爵位を奪って、さらに私とダリオ様を自主退学させてまで、すぐに追い出すなんて……!」



 リリスは涙ながらに訴える。けれど私はただ、静かに瞬きした。




「そうなのね。これまで“家族”らしいことをしてもらった記憶がないから、“当然”というその考えが、私にはなかったわ」



 父のお金で生きてきたという感覚もないわ。私のお金を懐に入れていたのですもの。身につけているドレスもアクセサリーも結局自分で買ったのと同じよ。



 一瞬の静寂。


 そのとき、俯いていたダリオが顔を上げた。





「ライラ、私が間違っていた。これからは、君を大事にする。だから、君と一緒に……」



 本気で私が、あなたを奪われたくないと思っていた、そうまだ信じているのかしら? 私は薄く笑った。


 

「困りましたわね、ダリオ。あなたのご実家との商会取引継続は、“リリスとの婚姻”を条件にしてあげましたのよ。あなたたちが、あんなに望むから。ふふ、既にあなたのご実家とも話はついておりますわ」



 爵位を持たない貴族の末弟と、爵位を持たぬ令嬢──これから、平民として生きるふたり。お似合いよ。




「そ、そんな……!」


「ダリオ様、ひどい! 裏切るのですか!」


「うるさい! 私は、貴族でいたいんだ」




 ああ、なんて醜い。これが“愛”の本性なのね。


 私が黙って視線を落とすと、使用人がそっとドアを開いた。





「あの……まだ出発なさらないのですか? ローダラン村は、遠うございますが」



 そうね、日が暮れる前に──この家から、“家族”には出ていってもらわなくては。




「「「ローダラン村?」」」



 ──あら?



 父以外の誰もが口をそろえて聞き返すとは、なんて滑稽。





「あ、あなた。ローダラン村って……どういうことですの?」



 継母が、頬を引きつらせて父を睨みつける。



「お父様。私たちが向かうのは領地の中心街、ヴァレルヌではないのですか?」


 


 父は、まるで処刑台の上にいる罪人のように、首を垂れたまま顔を上げない。


 


「ローダラン村ですわよ? 領地の外れにある、自然に囲まれた静かな村。空気は清らかで、人も少ない。きっと癒やされると思いますわ」



 父は、リリスたちに、言っていなかったのね。どうせばれるのに。




「いやよ、そんな田舎!」



でしょうね。



「心を洗うのに、ぴったりの場所ですわ。あなた方には必要でしょう?」




 父が、継母とリリスから矢のような非難を浴びている。ダリオは、もう魂の抜け殻のよう。視線は虚空をさまよい、もはや一言も発しない。


 


 ああ、騒がしい。うんざり。


 もう飽き飽きしているのに、まだ続くのかしら?


 


「ねえ、そろそろ終わらせていただけますか?」



 立ち上がり、わざとらしく手を打つ。




「あっ、そうだわ。あなた方が“思わず黙り込む”ようなお話を一つ差し上げましょうか?」




 空気がピンと張り詰めた。皆が私に注目する。期待の眼差しで。


 ──でも、そんな甘い話じゃないのよ。


 


「実は私、卒業後、爵位も婚約者も、リリスに譲りますって書き置きを残して、駆け落ちする予定でしたの」

 


「か、駆け落ち……?」



 リリスが泣き濡れた顔を上げる。驚愕と混乱の色をにじませながら。


 


「ええ。家族に縛られる未来よりも、愛する人と自由に生きる方が幸せですもの。リリス、あなたに全部譲って……私はただ、消えるつもりだったわ」



 そう、黙っていたら――“すべて”リリスのものだったのよ。あなたが背負いきれない義務も責任もだけど。


 


「つ、つまり……何もせずにいたら……私の……?」


「ええ。あなたが、下手な小細工をせず黙って、待っていたらそうなっていたのよ。だって、リリスに寄り添い、愛をささやく夫など必要ありませんし、爵位を継いで一生あなたたちのために働くのは、まっぴらでしたもの」


 


 リリスは、崩れ落ちた。その場に膝をつき、嗚咽を上げる。


 父は唖然としたまま、継母は愕然、ダリオは口を手で押さえ、何も言えない。


 


 私の勝利──というより、彼らの敗北。





「ふふ……“心優しい妹は、愛する人と結ばれ、家族に囲まれながら幸せに暮らしました。一方、意地悪な姉は、寂しくひとりぼっち。妹は、そんな姉を憐れに思い、子爵家の次男との縁談を取り持ってあげました” そんな結末で、どうかしら?」


 


「……子爵家次男? 駆け落ちって、まさか……!!」




 父たちが驚きの表情で、部屋の隅に控えるオスカーに視線を向ける。


 オスカーは、静かに微笑んで一礼した。



 


「さ、お父様たちを皆でお見送りして」


 


 私がそう言うと、使用人たちが粛々と彼らの荷を運び、扉を開けた。


 


 父も、継母も、リリスも、ダリオも、もはや抵抗しない。導かれるように、ただ無言で立ち上がった。




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