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12.奪えぬ宝石

 sideライラ



 重々しい音とともに、私室の扉が無遠慮に開け放たれた。その衝撃に、机の上の書類が一枚、ふわりと宙に舞う。



「ライラ! この請求書は――いったい何事だ!」



 怒声。火花のような声色。


 ふふ、ようやく反応なさったのね。思ったよりも遅かったわ。


 私がゆったりと顔を上げると、そこには紅潮した顔のお父様。手には、例の紙束。請求書がひらひらと震えていた。



「ああ、それですか?」



 私はわざとらしく瞬きをして、無邪気に答える。



「リリスが仕立てているドレス店に、私も注文しただけですわ。いけなかったのでしょうか?」


「いけなかったか、だと!? リリスの分と合わせて……っ、こんな額、払えるわけないだろう!」



 ご愁傷様。ふふ、そうでしょうね。



「では、お父様。私にだけ、ドレスを諦めろと?」


「当然だ! リリスには必要だから……!」


「残念でしたわね。その店は、一度ご注文を受けたらキャンセルはお断りと伺っておりますの。それに、仮にキャンセルできたとして――」




 私はゆっくりと椅子から立ち上がり、お父様を真っすぐに見据えた。



「“金がないから取り下げます”と、周囲に言うおつもりですか? 貴族が?」



 その場の空気が、ぴしりと凍りついた。



「っ! ……お前……!」


「侯爵家がお金に困っているだなんて噂が立ったら、商会の取り引き相手は一斉に手を引くかもしれませんわ」



 わかっているでしょう、私の言っていることが、ただの脅しではないと。



「今までお前は、そんな贅沢品なんか……ん?」



 父のその視線が、私の胸元で止まる。


 ふふ、気づいた? 



「その……ネックレス。そんな立派な宝石がついた物、持っていたか?」


「ふふ。お目が高いですわね、お父様」



 私は指先で、淡く光る宝石をそっとなぞった。



「こちら、“月光の花”と呼ばれるムーンストーンですわ。宝石商が昨日届けてくれた一点物でして、一目惚れして、つい。……あら、そうだ。これも請求書をお渡ししなければ」



 そう言って、机の上からもう一枚、紙をすっと差し出した。



「な、な、な……! なんだこの金額は!!」



 お父様の口が、魚のようにぱくぱくと動く。言葉になっていない。



「旦那様、お水を」


「いらん!!」



 オスカーが差し出したグラスを乱暴に払いのける。



「お前……今まで何も欲しがらなかったお前が、なぜ急にこんな買い物を……っ! こんな額、払えるか!」


「お父様、払うしかないのですよ」



 私は微笑んだ。涼しい顔のまま、凍てつくような声で。



「先ほども言ったように、一度手に入れたものを、手放す。そんなことをしたら、貴族の世界では最悪、“身辺整理でもしているのか? まさか没落? ”と噂されます。世間様はそういうことに、ずいぶんと敏感なんですもの」



 お父様は、目を剥いて立ち尽くしていた。



「それに、先ほど、なぜこんなに買い物を? と聞かれましたけど……そうですわね」



 私はわざと肩をすくめて、ため息をつく。



「謹慎のため閉じ込められて、やることがなかったのですもの。今までは興味がなかったのですが、世の中の令嬢のように、贅沢品で着飾って、お茶を飲んで……意外と楽しいですわね。もっと早くにやるとよかったですわ」



 わざとらしく首をかしげて見せれば、お父様はもう何も言えなくなっていた。



「まあ、学院に行けるようになれば、そんな気も起きなくなるのでしょうけど……あっ! 今度は帽子が欲しいわ。リボンのあしらわれた、可愛らしいもの。それをかぶってベランダに出るの。オスカー、帽子店を呼んでくれる?」


「かしこまりました。すぐに手配を――」


「するなっ!!」



 お父様の絶叫に、オスカーが動きを止める。



「……わかった。学院だな。謹慎はもういいから明日から行け。だから、もう何も買うんじゃない!」


「ご英断ですわね、お父様」



 私はにっこりと、品よく微笑んでみせた。


 ――その瞬間、背後でギシ、と木製の扉が軋む音がした。


 振り返ることはしない。けれど、そこにいた人物を私は確信していた。……私が怒られるであろう様子を、笑ってやろうと見に来たリリスがいたということ。残念だったわね。



 ひっそりと、静かに、笑った。




 *****




 夕食の席は相変わらず形式ばった食卓で、継母とリリスが仲睦まじげに笑い合い、父は私から視線を逸らしている。


 そして。




「お姉様、そのネックレス、すてきですね」



 始まったわね。


 

「その石“月光の花”と呼ばれるムーンストーンとお聞きしましたわ」


「まあ、よく知っているわね」



 私は紅茶を口に運び、優雅に微笑み返す。



「はい! 実は私も、ずっとそのような宝石が欲しくて探していたのです。けれど、なかなかなくて」


「……つまり、私のを譲ってほしいと?」



 リリスはくすりと笑う。どうやら否定する気はないらしい。父は無視を決め込んでいる。なるほど、返却できないのならリリスに、とでも思っていそうね。



「いいえ、そんな厚かましいことは言えませんわ。ただ……お姉様は、あまり宝石にご興味がないでしょう? だって、いつも譲ってくださるもの」



 そうね。どうせいつも、泣き真似が得意なあなたに奪われるのですもの。盗まれることもあったわね。昔の私なら、面倒で黙って引き下がっていたけどーー




「ふふ、そうね」



 私はゆっくりと視線を彼女に向ける。



「でも今は違うの」



 私はネックレスをそっと指先で持ち上げて、光にかざしてみせた。




「これは“私のため”だけの宝石。“誰かにあげる”ために選んだものじゃないのよ」



 言葉の棘を――確実に、突き刺すように。リリスはにこやかな笑みを保ったまま、しかし、目の奥にうっすらと不満の色を滲ませた。




「でも、お姉様? もし将来、私が婚約式をするとき、綺麗な装飾が必要だったら――お姉様、貸してくださいます? ムーンストーンは、愛と幸運の意味があるのですもの。ぜひ、お姉様から借りたいわ」


「そうね、それがいいわ。姉妹から宝石を借りると幸せになれると聞いたことがあるもの」




 リリスと継母が微笑み合う。


 なにそれ、そんな迷信、私は、聞いたことがないけど。それに ……貸す? そのまま自分の物にするくせに。




「まあ、素敵なお話。けれど――“婚約”って、先に相手を得ることではなくて?」



 リリスと継母の笑顔が少し引きつるのがわかる。私は優雅に笑った。



「ねえ、リリス知っている? 王女のティアラをつけようとした小さな猫が、その重さに耐えきれず、ひっくり返ってしまった、という絵本があるの」


「……え?」


「リリス。貴女にはまだ重いんじゃないかしら」



 貴方に、愛と幸運という意味のあるこの宝石が似合うわけがないわ。身の程をわきまえなさい。 




「では、私はこれにて失礼させていただきますわ」



 微笑みを浮かべながらも、声には冷ややかな刃を忍ばせて。私は、ゆっくりと立ち上がった。


 子猫と王女の比喩が気に障ったのか、薄紅の唇を噛みしめ、悔しさを滲ませるリリスのその顔を、私はちらりと一瞥し、私は背を向けた。


 音もなく歩き出すと、私の影のようにオスカーが寄り添い、そっと囁く。



「見事でした、お嬢様」



 私は軽く微笑を返し、前を向いたまま、静かに答える。




「当然よ。もう本当に大切な物は、誰にも――ええ、誰であっても、渡す気なんてないのだから」



 胸元に下げたムーンストーンが、私の歩みに合わせて静かに揺れていた。



 


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