10.ライラが舞台に上がる side ライラ
side ライラ
異母妹――リリスの部屋の扉を、私は躊躇なく押し開けた。
いや、正確には“押し開けた”というより、“叩きつけた”に近い。重たい扉が壁にぶつかり、鈍い音を立てる。
分かっていた。私の婚約者、ダリオが、今日も真っ直ぐこの部屋へ向かったことくらい。
バタン、と扉が閉まる音が響いた瞬間、室内の空気がぴたりと凍りつく。
柔らかなカーテンが揺れ、甘い香りが漂う、女の子らしく整えられた部屋。その中央、ソファに並んで腰掛ける二人の姿が、私の視界にくっきりと映った。
「これは、一体どういうことかしら?」
わざと、ゆっくりと。
眉一つ動かさず、感情を削ぎ落とした声で問いかける。静かな声の奥に、意図的に棘を忍ばせて。
仲睦まじく並ぶ二人を、私はただ見下ろした。
「あっ、お姉様……!」
「ライラ、なんだ。ノックもなしに入ってくるとは!!」
「ノック? ふふ、私が詫びるべきかしら? 婚約者でもない男女が、密室で二人きりだなんて。いいえ、たとえ婚約者同士であっても、軽率に過ぎる振る舞いですわ!」
「た、ただ、勉強を教えていただけだ」
「そうですわ、やましいことなど、何も」
ああ、本当に。
言い訳はいつだって同じ。揃いも揃って、用意された台本をなぞるように。
けれど、ソファに並んで腰掛ける距離感、視線の近さ、その空気――それ自体が、何より雄弁に語っているのに。
「リリス。ダリオは、あなたの婚約者だったかしら?」
視線を妹へと移す。
リリスは一瞬だけ唇を噛み、すぐに困ったような表情を作った。
「ごめんなさい、お姉様。けれど、お姉様がいらっしゃらなかったから、お相手をしていただけなの」
――いたわよ?
喉元まで出かかった言葉を、私は飲み込む。
「そんな言い訳をしながら、あなたはいつも私の大切なものを奪っていくのね」
「ち、違います、本当に誤解で……!」
「誤解? 誤解で済ませられると思って!」
私は部屋の隅に置かれた花瓶へと歩み寄る。白磁に繊細な装飾が施されたそれは、リリスが殊更に大事にしているもの。
――かつては、私の宝物だった。
けれど昨日、私はこっそりと入れ替えた。色も艶も、本物そっくりの安物と。理由は、ただ一つ。
「なっ……! 何するの!」
リリスの声を背に、私は躊躇なく手を離す。
ガシャン。
床に叩きつけられ、粉々に砕ける音。陶片が四方に散り、乾いた破壊音が部屋中に響いた。
私の口元が、ほんのわずかに緩む。
「ああ、ごめんなさい。うっかりしていたわ。つい、落としてしまって」
白々しくそう告げ、小さくため息をつく。
そして今度は、テーブルの上に置かれたアクセサリーボックスを手に取った。
中身は知っている。
ダリオが与えた贈り物が詰まっている。だから、投げる手に迷いはなかった。
壁に叩きつけられ、鈍い音と共に中身が散乱する。
「きゃあ、私のアクセサリーが!!」
「お、おい、ライラ、お前!」
ダリオの制止の声。
けれど、それをかき消すように、リリスの甲高い怒号が響いた。
「っ! なにすんのよ!! 頭でも狂ったんじゃない!?」
ああ、ダリオ。よく見て。
リリスのその美しい顔が、怒りで歪んでいく様を。
私は、それが嬉しくて仕方なかった。
「お姉様の分際で、私の大切にしている物を投げつけるなんて、どういう神経してるのよ!」
「ダリオは私の婚約者よ。私の大切な人を奪おうとするなら、私もあなたの大切にしている物を壊したっていいでしょう?」
「な、なんですって! 生意気言わないで!」
そのやり取りを、呆然と見ていたダリオが、ようやく口を開く。
「リ、リリス? その口の利き方はどうしたんだ?」
遅いわ、ダリオ。
彼女はもう仮面を外しているのに。
けれど、リリスはすぐに我に返り、表情を作り直す。
「っ……! ごめんなさい……お姉様……。つい、声を荒らげてしまうほど、限界だったの……もう、おやめになって……!」
「嫌よ」
即答するに決まっているじゃない。
私はベッドへ歩み寄り、天蓋の布を一気に引き下ろす。
重たい布が空気を切り、ばさりと落ちる音が、緊張を叩きつけるように響いた。
「っっっ!」
言葉にならない声。怒りに歪む顔。それを、私はしばらく楽しむ。
「やめるんだライラ! そうか、やはり本当だったんだな。リリスが言っていた。お前がリリスの私物を壊して、嫌がらせをしていると……かわいそうだとは思わないのか!」
「思わないわ」
静かに、冷たく言い切る。
「私のほうが、ずっとかわいそうだもの」
胸の奥で、黒い炎が渦巻く。
「母が亡くなってすぐに現れた、見知らぬ腹違いの妹。父の愛はそちらにすぐに奪われ、私を見向きもしなくなった。挙げ句の果てに、ダリオ、貴方まで」
「……ごめんなさい、お姉様……」
小さな謝罪。
思ってもいないくせに。
「なぜ謝る。謝らなくていいんだ、リリス。君は何も悪くない。……ライラ、妹に優しくしたらどうだ? 当主に見向きもされないのはそのせいだろう? リリスは、お前の冷たさに耐えているって、いつも涙ながらに語っているんだぞ」
――耐えている?
くすりと、笑みがこぼれる。
「優しくする気なんて、ないわ」
私はテーブルの上の香水瓶を持ち上げ、そっと指先から離した。
高く澄んだ音。割れたガラスが床へ散り、甘い香りがじわじわと広がっていく。
「な、なんてことするのよ! なかなか手に入らない香水よ。お父様に言いつけてやる!」
ほら。耐えられていない。
「……リリス……?」
ダリオの戸惑いの声に、リリスの動きが一瞬止まる。
「あっ……ダリオ様、でも、お姉様が……」
まあ、自由に出る涙ですこと。
「ああ、リリス。かわいそうに」
ダリオが近づき、寄り添う。
「もう我慢の限界なのだろう。自分を見失って取り乱すほどに。でも、そんな言葉遣いは君に似合わない。落ち着いてくれ。私が、何とかするから」
「ダリオ様」
潤んだ瞳、震える指先。完璧な“ヒロイン”。
その作り物の涙を、真実だと信じるほど、ダリオ、あなたは愚かだったのね。
「ライラ、もうやめてくれ。私の婚約者がこんなにも乱暴だったなんて……」
失望を滲ませた声に、私は小さく笑った。
「分かりましたわ。ダリオがそうおっしゃるなら、今日はこれで退きます」
一礼し、踵を返す。
「リリス、これに懲りたら、ダリオに二度と近づかないことね」
爪の先ほども思っていない言葉を、優雅に。
「そんな……ひどい、お姉様……」
震える声、にじむ涙。
――けれど私は見たわ。
その口元に浮かんだ、確かな笑みを。




