第7話 弱みを握られた(妹に)
折角フユの核心に触れて、嘘告白だと暴こうとしたのに逃げられてしまった。
帰り道。俺は近所のスーパーで総菜を選びながら、先ほどの作戦失敗を嘆く。
フユに音声データを消させるためとはいえ、あんな恥ずかしいことまで言ったのに。その収穫はゼロ。それどころか、一瞬でもフユを脅そうとした所為で、逆に怪しまれたかもしれない。明日からはさらに騙しのパターンが増えることだろう。警戒しなければ。
まあ明日のことは明日考えるとして――
「どっちを買った方がご機嫌取りに繋がるんだ?」
現在の時刻は軽く十九時を過ぎている。
親父も母ちゃんも帰りは二十時過ぎのため、まだそちらの夕飯を心配する必要はないが。我が家にはそれ以上に厄介な生物がいる。俗に『妹』と呼ばれる存在だ。俺に似て生意気で、俺に似て変に捻くれたところを持つ妹。俺の事情で帰りが遅くなり、夕飯の時間が遅れたとなれば……いや、考えたくもない。
「だ、だからこそ、あいつの好物の肉を買って行くしかないんだよな‼」
俺は適当に唐揚げとメンチコロッケ、とんかつロースなどを籠に突っ込んだ。
ちなみに俺が夕飯を作れず、総菜が夕飯のおかずとなる場合、出費は俺の小遣いから出される。ふっ、俺のなけなしの三千円で妹のご機嫌が取れるなら本望だ。
***
「ただい――」
両手にレジ袋をぶら提げて帰宅すると、妹がリビングのソファーに寝転がっていた。
それもうつ伏せ状態で、グーグーと腹を鳴らしながら。
「……生きてるか?」
「……お腹減った」
うつ伏せのままだった。
肩の出る服を着て、短いズボンを履いている妹。
俺と同じ髪のクセがすごい妹が、うつ伏せのまま嘆いた。
「待ってろ。今、買ってきた総菜用意するから」
俺はレジ袋を手に持ったまま、キッチンの方へ赴こうとした。
けれど、キッチンへ向かおうとした俺の足を――
「お・に・い・ちゃ・ん」
ゾンビのように床を這う妹が掴んでくる。
「離せ。飯の用意ができないだろうが」
「それよりもなんで今日は遅くなったの?」
「俺にも色々と事情があるんだよ」
俺は家族に彼女ができたことを報告していない。
昨日の今日だし。何よりもすぐに別れる予定だ。
話したところで大した意味はない。
「もしかして、フユさんとデート?」
「デートじゃなくて、あいつの家に……」
言い掛けてあれ? と思った。
今、確かにウチの妹――夏陽が俺の嘘彼女の名前を口にしたからだ。
「ちょっと待て。なんでお前が、俺のできたばかりの彼女の名前を知っている?」
「知ってるよ。だってフユさんは華のメル友だもん」
「メルッ⁉ いつの間にそんな仲良く――」
「竜虎さんの紹介だよ」
忘れてた。そういえば、ドラゴンキャットと華には接点があったんだった。
それでフユと仲良くなったとしても不思議じゃない。
というか、一体どんなやり取りを?
まさか、俺の弱みを流したりとか?
その可能性はある。というか華が首謀者な可能性すらある。
ウチの妹、とにかく俺に対して当たりが強すぎるんだ。
この前なんて、俺が少し部屋を訪れただけで『お兄ちゃんとは一生口きかない』だもんな。いくら中学二年生。思春期真っ只中とはいえさ、あの言葉は流石に深く傷ついた。しかもそれから会話を再開したのは一週間後。世にいう夏陽家一週間冷戦戦争である。ちなみに俺が部屋を訪れた理由は、家電に華の友達に電話があり、俺がそれを華に知らせたから。華曰く、『お兄ちゃん中学で黒歴史残し過ぎ‼ 恥ずかしくて友達に紹介できないじゃん‼』とのこと。そんな黒歴史らしい歴史を残した覚えはないのだが。
「でも不思議だよね。お兄ちゃんとフユさんが恋人なんてさ」
「……やっぱりお前もそう思うか?」
俺が華に聞こえないぐらいの声で呟くと、華は「はにゃ?」と首を傾げた。
俺はそんな妹の行動を可愛いと思いつつ、軽く足から華の手を振り解いた。
「華はいいと思うけどね。お兄ちゃんが結婚できなかったら、華が面倒みることになりそうだし。そんなの華は御免だよ。だってお兄ちゃん、色々と面倒くさいし。何考えてるかわかんないし。まあいつも薄々、バカなこと考えてるんだろうなってことぐらいはわかるけど」
実の妹から酷いことを言われている気がする。
君、本当に俺の妹だよね? ちょっとお兄ちゃんの扱いが酷過ぎませんこと?
もう少しオブラートに包んで、さらにティッシュに包んでもいいと思うんですよ。
「あ~あ~。フユさんか、竜虎さんが本当のお姉ちゃんなら良かったのに。ちなみにお兄ちゃんと私は赤の他人で」
「いきなり兄妹の絆全否定ですか? 俺たちの十四年近い絆は?」
「嫌だよ。華が他人なら、絶対にお兄ちゃんには近づきたくないもん」
「奇遇だな。俺もお前が妹じゃなかったら、絶対に関わろうなんてしない」
「出た。お兄ちゃんの『嫌いって言われると嫌い』って返す変なクセ」
「……いいだろ。自分を嫌ってるやつには最初から『俺もお前が嫌いだ』って言っておいた方が手っ取り早いんだよ。お前だって、嫌いなやつとは仲良くやれないタイプの――」
「華の場合、お兄ちゃんとの付き合いが長いからね。大抵の人に対しては我慢できるよ」
妹の中での俺の評価が普通に心配になった。
最早俺、こいつにとっての試練とかだよな?
そういうレベルの立ち位置を獲得してるよな?
「でもお兄ちゃんが、フユさんと付き合ったのは意外かも。だって苦手なタイプでしょ」
「俺が嫌いなのは、『ウェイウェイ』言ってる感じのウザい陽キャだ」
フユの嘘告白は間違いなく、そっち寄りの陽キャがやる行為だが、少なくても今のところ、フユはその尻尾を俺に見せていない。そのため、まだ嫌いとまでは行かない。単純に警戒対象ではあるが。
「でもお兄ちゃんがフユさんを嫌いじゃなくて良かったよ。だってフユさん……何でもない」
カーペットの上に寝転がり、慌てて言い掛けた口を両手で塞ぐ華。
その様子を見て、俺はレジ袋を静かに床へ置く。
そして寝転がる華の背中に足を乗せて。
「大人しく吐け。何を隠した?」
「嫌‼ これは友達同士の秘密だもん‼」
「俺はそのフユの彼氏なわけだが?」
「それでも絶対にダメ‼」
相変わらず華は強情だった。
いつもなら、俺もすぐに引き下がったはずだ。
でもことは、あの秋月フユに関すること。
俺に嘘の告白をして、未だに何かを計画している女子に関係のある話だ。
ここは意地でも吐かせるしかない。
俺はグリグリと、軽く華の背中を足で踏む。
すると華がなぜか楽しそうに「キャー」と声を上げていた。
……こいついつも俺に尋問されてる時、楽しそうなんだよな。
まさか、そういうのが気持ちいいタイプの人間なのか?
俺が妹の態度に不気味さを抱き、足を少しだけ浮かせると――
「お兄ちゃん、もっとやって‼」
……き、気持ち悪い。
シスコンの俺ですら、華の態度に気持ち悪さを抱いた。
いやいや。兄に踏まれて喜ぶ妹とか、どんな変態だよ。
ブラコンでマゾ? キャラ属性盛り過ぎだろう。
「お兄ちゃん、もっと~」
そう言って俺の足を力づくで、再度自分の背中へ押し付けさせる華。
これが中学二年生と高校一年生の兄妹によるスキンシップ?
こんなところ親父に見られたら、間違いなく俺が親父に消され――
カシャッ。ピロリロリン。
俺が最悪の事態を予想していると、低い位置から二種類の音が聞こえた。
そしてその直後、俺のズボンの中のスマホが大きく振動を始める。
俺は躊躇わずスマホを取り出し、液晶に写る『父』という文字に首を傾げた。
なんで今、親父から電話なんだよ。
「もしも――」
「お前を殺す」
謎の殺害予告だけ伝え、切断された父親との通話。
何度見ても履歴には『父』の一文字が。
なんで俺今、実の親父に殺害予告を受けたんだ?
「ごめん、お兄ちゃん。パパに今の状況の写真送っちゃった‼」
俺に踏まれたままの華。その手には華のスマホがあった。
さらにその画面には、嫌がる華を踏む俺の姿が。
「華さん、マジ勘弁してください」
俺はすぐに華の背中から足を退かせて、床の上で土下座していた。
しかも見事に額を床に擦りつけて。
「うんうん。やっぱりお兄ちゃんには脅迫がよく効くよね」
今、妹の口からサラッと、とんでもない言葉が飛び出したんだが。
それにしてもこの脅迫術。単独でこんなことができるなら、間違いなくフユと華は組んでいないな。あくまでも華は情報収集の道具と言ったところだろう。フユめ、俺の可愛い妹を道具扱いするとは非道な。確かに時々ウザいけど、それでも俺にとっては妹なんだ。それにしても――
「ところで本当にお前、さっき何を言い掛けたんだよ?」
「ダメだよ、お兄ちゃん。いくら彼女さんのことでも、プライベートなことを聞いたら」
「プライベート? お前のところから俺の情報が漏れてるのにか?」
「そ、そんなことないよ! 私はあくまでも些細なことを答えてるだけだよ」
「そういうことは目を見て言おうか? それで何で吊られたんだ?」
「い、いいでしょ‼ 私のおかげであんな可愛い彼女さんができたんだから‼」
「それとこれとは話が別だ。詳しく聞かせてもらおう――」
俺が言い掛けた時だった。
リビングのドアが静かに開けられた。
そこから入ってきたのは、四〇代手前ぐらいの男。
男は鋭い目つきで俺を捉えると、床に正座する俺に飛び掛かってきた。
なお男は、妹の華の方を溺愛する俺の父親である。
その後、親父の俺への『肉体的教育』は、母ちゃんが帰って来るまで続いた。
時間にして三〇分ほどの話である。