第5話 録音された
フユの実家の喫茶店。
そこで聞いた野太い声。
あれから一時間後。俺はなぜか働いていた。
フユの家でバイトとして働いていた。
「すみません……こんなはずではなかったんですが」
「いいよ。お前の親父さんの前で、誤解されたのが運のつきだ」
先ほど、俺に声を掛けてきた野太い声。それは他でもないフユの親父だった。外見は背の高い筋肉質なダンディー男。着ていたのは白を基調としたコック服。その親父さんになんやかんやで、俺がフユの彼氏だと知られた。主に先ほどしゃがみ込んでいた場面をフユママに隠し撮りされ、その画像を見せられることにより。
なんだ、銃じゃなくてカメラだったのか。いや、カメラ型の拳銃という可能性も……。
そんなこんなで俺は今、フユの親父に跡継ぎ候補として試されている。
まあ嘘告白なんだから、俺が店を継ぐことはないだろうけど。
「それにしてもハル君、料理とかできたんですね」
料理をする俺の隣に立つメイド服姿のフユ。
そのフユが意外そうに声を上げる。
「ウチも両親が共働きだからな。妹も料理はできるんだが……」
そう。ただできるだけ。
殺傷能力で言ったら、地獄の門を通りそうなレベルだ。
「色々とあってな。基本的に夕飯は俺が作ってるんだ」
「でもハル君、さっきお父さんのケーキ作り手伝ってましたよね?」
「ケーキもよく自分で作るからな。買うと高いし」
厨房で交わすフユとの会話。
流石の俺もやや、フユへの緊張が途切れていた。
今はフユよりも――
「夏陽君は将来、何になりたいかもう決めているのかな?」
「い、いえ。まだ高校へ入学したばかりなので……ハハハ」
フユの親父の変わり身の方が怖かった。
一時間前までは。
『おのれ‼ 娘に手を出す不届き物め‼』
それが今では。
「よし。ならウチで雇おうじゃないか。なんならいっそ、そのまま永久就職なんて――」
や、優しさが怖すぎる‼
なんなんだ、この急な手のひら返しは‼
まさか、フユパパも俺を消そうと――
「も、もうお父さん‼ そういうお話はいいですから‼」
「でも昨日言ってただろ? 夏陽君と結婚を前提に付き合い始めたって……」
「そ、それはそうですけど。でもその……未来のことはわからないと言いますか……」
「なんだ? お前ら、別れるのか?」
「ぜ、絶対に別れません‼」
フユが力強く言う。
また何かの作戦か?
でもここで肯定した方が――
「とにかく。お店も空いてきましたし、ハル君のお仕事はおしまいですよね?」
そういえば、『混んで来たから手伝え』的な名目もあったな。
確かにそれが解決された今、不審な態度を取るフユパパとは離れたい。
「そうだな。俺、そろそろ帰って晩飯の準備しないと」
俺は手にしていた包丁を置く。
妹のメシマズに救われるのは初めてだ。
このままフェイドアウトして――
「な、なら‼ せめて休日のバイトはどうだい?」
「いや、それは……」
毎週末、相手のテリトリーに足を踏み入れる。
それは俺の精神衛生上よろしくない。
間違いなくストレスが溜まりまくる。
ここは丁重にお断り――
「ダメに決まってるじゃないですか」
俺が断ろうとした時、俺よりも先にフユが断った。
俺はそのことに驚きが隠せなくて、思わず隣にいた彼女を凝視する。
「いくら彼氏彼女とはいえ、お互いにプライベートは必要です。毎週末、私のことで縛りつけるなんて絶対にダメです。ハル君にも、お友達と遊ぶ時間や一人で過ごす時間を大切にして欲しいんです。だからハル君が望まないなら、アルバイトは絶対にダメです」
フユの言葉にフユパパも黙る。
そしてフユは俺の腕を強引に引いて、厨房を抜け出した。
更衣室へ行くまでの間、会話は一言も交わされず。
彼女が次に口を開いたのは、俺が男子更衣室で着替えている時だった。
扉の外から俺に声を掛けてきた。
『……すみません。ハル君の気持ちも聞かず勝手なことを』
「気にするな。俺も断るつもりだったし」
フユの言葉に答えながら、俺はもう一度、男子更衣室を調べる。
先ほど厨房の白い制服に着替えた時も確認したが、今度こそ爆弾的なものが隠されているかもしれない。念には念をいれなければ。それに隠しカメラという可能性もある。今日は控えめな柄のトランクスだが、時々派手なパンツを履いている場合もあるのだ。またバイトをやらされる可能性を考慮すれば、常に調べるべき案件だ。
『ハル君、本当は接客業とか苦手ですよね?』
「人と話すのがな。基本的に面倒に感じるんだよな」
『ハル君らしいですね。それでいつも言葉足らずで』
「俺ってそんなに言葉が足りないか?」
『足りないですよ。だって小学生の頃も……いえ、なんでもありません』
フユが何かを言い掛けてやめる。
俺には何の話をしようとしたか、本当によくわからなかった。
ただフユにとっては誤魔化したいものらしく、大きく話題を変えてくる。
『それよりもハル君。私、まだ一言も感想をもらっていないんですが?』
「感想?」
俺はフユに言われて首を傾げる。
するとフユが一言。
『メイド服』
ただそれだけを口に出した。
確かに俺が仕事を開始したのと同タイミング。
フユは店の女性用制服だと思われる、メイド服を着用していた。
それもロングスカートで、露出の少ない品格のあるメイド服を。
よくある白エプロンタイプのメイド服を。
『……もしかして可愛くないですか?』
更衣室の外から聞こえる寂しそうな声。
これはどういう意図で聞かれているのか?
……そ、そうか‼ わかったぞ‼ 扉の前で録音してるんだ……たぶん。
それで校内放送で流したり、ファンクラブに伝えるつもりだ。
仮に本音を告げた場合、『可愛いと思う』という声が校内放送で流れ。仮に嘘を告げた場合、『秋月さんのメイド服姿を拝んで文句?』とファンクラブに詰め寄られるかもしれない。この選択で俺の今後の学園生活が確定する。精神的苦痛か。肉体的苦痛か。
「普通に可愛いだろう」
自分に正直に答えた。
それと暴力よりも精神の方がマシだったから。
……ただでさえ、今朝殺されかけたもんな。
「金髪メイド。男なら大抵のやつは可愛いと思うだろ」
俺は続けて本音を語る。
自分の言葉に説得力を持たせるために。
これなら放送されても、恥ずかしさなんて微塵もない。
全員が同意してくれるのだから。
『ハル君もですか?』
「来るね。超来るね」
というか元々可愛いフユが着ているのだから、大概の男は歓喜するはずだ。
恐らく俺の反応があまりにも味気ないだけ。
何しろ。嘘彼女のコスプレ姿という、微妙な状況なのだから。
仮にフユが本当の彼女なら、恥ずかしくて目も見れなかっただろう。
「だから安心しろよ。俺もちゃんとドキドキしてるからさ」
この発言が録音されていると思って。
俺は着替えを終えると、そのまま鞄を手に取り更衣室を出る。
それもフユには何も告げずに。
これで録音の現場を抑えられるはずだ。
それが俺を脅すネタの証拠にな――
「…………」
「…………」
ほ、本当に録音してただと⁉
流石に冗談のつもりだったのに。
「ち、違うんです‼ 別に録音して、ハル君の『可愛い』って言う声を何回も聞こうとしたわけでは……なくはないですが……だ、大丈夫です‼ これは寝る前に聞く用なので‼」
「……何が大丈夫なんだ?」
「…………」
「…………」
俺とフユは互いの顔を見て、黙ったまま固まる。
その間、フユはプルプルと手にしたスマホを握りしめていた。
それも今にも泣き出してしまいそうな顔で。
それから俺がなんと言うべきかを考えていると――
「え、エッチな彼女でごめんなさい‼」
フユは叫んで男子更衣室の前から走り去り。
すぐ後、「おい、メイド服でどこ行くんだよ‼」というフユママの声も聞こえた。
「あれ? これって俺が探さないといけない流れ?」
どうやら、俺はまだまだ帰れそうにない。