第2話 危うくミンチにされるところだった
秋月に置き去りにされてようやく辿り着いた教室。
一週間も通い、雰囲気にも慣れていた自分の教室。
それなのに俺が足を踏み入れた瞬間、空気が凍った。
談笑していたはずのクラスメイトたちが、男女問わずにこちら側を向いたのだ。
まさかこれも秋月の仕込み。やはり道中に罠が――
「おはよう、ハル」
俺がクラスの雰囲気に呑まれていると、後ろから声が聞こえた。
声の主は振り返らずともわかる。俺にとっては唯一無二の親友だ。
「珍しいな。レオがこんな時間に――」
振り向いて俺は硬直した。
なぜならレオの後ろ。
レオの彼女であるドラゴンキャットこと――竜虎の隣。
そこに俺の彼女である、秋月フユが立っていたから。
「……どうしたの、ハル?」
「ちょっと来い、レオ」
固まった俺の様子を観察するレオ。
俺はそんなレオの首根っこを掴む。
……まあ実際はレオの方が背は高いため、掴んだのは手だけどさ。
とにかく、俺はレオを連れて廊下へと行く。
そしてしゃがむように指示を出し、小声で尋ねた。
「おい、ドラゴンキャットとその……秋月って友達なのか?」
「小学校時代からの親友らしいけど。ハル、知らなかったっけ?」
「知るわけないだろ。お前の彼女の交友関係なんて」
そ、そうか。なるほどね。ハハハ。
なんで俺をターゲットに選んだか。
それがずっと疑問だったんだよ。
でも今、すごい納得がいったわ。
ドラゴンキャット……いや、獣坂竜虎‼ お前が元凶だな‼
あいつなら、俺をそういう悪ふざけに巻き込んでも不思議じゃない。
現に昔、バレンタインデーチョコと称して俺にカレー粉を食わせた。
そのおかげで俺は未だに板チョコが苦手である。
許すまじ、獣坂ドラゴンキャット‼
「ハル。またバカなこと考えてるでしょ」
「バカじゃない。それよりもレオ――」
「あのう~」
俺とレオがコッソリと話している時だった。
不意に後ろから声を掛けられた。
振り向くとそこには秋月がいて、俺は思わず体を前へ仰け反らせる。
「ど、どうしたんだ、秋月」
間違いない。俺が犯人の核心を掴んだから。警戒して近づいて来たんだ。
こうなったらボロを――
「私もその……夏陽君のこと。ハ、ハル君って呼んでもいいですか?」
「別に構わないけど、なんでいきなり――」
「必要なことです‼ 彼氏彼女なんですから‼」
それはあまりにも大き過ぎる声だった。
さらにここは一年の教室が並ぶ廊下。
秋月の声に誘われて――
「恋人?」
「秋月さん?」
「どこの命知らずだ?」
「彼氏許すまじ‼」
ズラリと各教室から生徒が顔を覗かせる。
それも男女問わず。それだけで秋月の人気が伺える。
まさか、こうやって俺を追い込んで潰すつもりか?
確かにこれなら秋月の手を汚すことなく、俺は殺される。
まだ一年生が入学して一週間だというのに、秋月にはファンクラブまで存在するのだ。
しかもその掟として、『秋月フユを独占することなかれ』というものがあるらしい。
さらにそれは会員以外にも強制適応。つまりだ。
「「「なーつひくん」」」
たくさんの声が背後から聞こえた。
それも気持ち悪いぐらい優しい声で。
俺は自身の額に変な脂汗を感じた。
それぐらいの恐怖が差し迫っていた。
「「「彼氏? 彼女? それは一体どういう意味かな?」」」
ステレオだった。様々な方から声が聞こえていた。
この後の展開はわかる。殴られて潰されて精肉工場へ直行。明日には出荷コースだ。
「フユ。アンタ、本当に夏陽如きと付き合ってるわけ?」
秋月に竜虎が尋ねる。
流石はヤンキー女。俺の扱いが相変わらず雑だ。
しかしナイスな質問だ。ここで秋月が否定してくれれば――
「そ、それはその……はい。結婚を前提にお付き合いさせていただいています‼」
顔を赤くして照れたように言う秋月。
な、なんだよ、お前ら。なんでお前らまで顔を赤くするんだよ。
今のはあくまでも演技だぞ、たぶん。
だから……。
俺が誰かに助けを乞おうとしていた時だった。
誰かが優しく俺の右肩を叩いた。
そちらを向くと――
「とりあえず夏陽。屋上から紐無しバンジーね」
なぜか珍しく、俺に対してニッコリ笑顔の竜虎。
彼女はファンクラブのメンバーたちに指示を出す。
すると、俺は大柄な二人組に担ぎあげられた。
「者ども連れて行きなさい‼ 夏陽を地球のシミにしてやるのよ‼」
連れて行かれる俺。
腹を抱えて笑うのを堪える親友。
それを先導している親友の彼女。
そして――
「待ってください‼」
それを止める俺の彼女(嘘告白)。
「いくらフユの頼みでもダメよ。フユを汚す男はアタシが粛清して――」
「ハル君が死ぬなら、私も死にます‼」
朝の普通の高校の廊下。
そこで繰り広げられる生死を掛けたドラマ。
……なに、これ? 当事者なのに事情が全く把握できないんだけど。
「待って、フユ。アンタが死んだらアタシたちは……っち。ゴミを床に捨てなさい」
乱暴に落とされた俺は思いっきり、床に頭を打ち付けた。
これ、常人なら間違いなく死んでるだろ。
頭を抱えて蹲る俺。それにしてもなんてやつだ。言葉一つで暴挙を止めただと?
このまま行けば、俺への盛大な虐め――ほぼ傷害だけど完遂できたはずだ。
一体どうして――
「大丈夫ですか、ハル君」
「問題ない。ただ床に頭を打っただけだ」
秋月が心配そうな顔を漏らして俺に近づく。
だが勘違いしてはいけない。真実の反対は優しさという嘘である。
つまり優しい=嘘だ。だからこれも演技に他ならないはず。
それなのに秋月は――
「いい加減にしてください‼」
皆がまだ騒いでいる状態の時だった。
その声を掻き消すように秋月が叫んだ。
「私、今皆さんにすごく怒ってます」
秋月が俺を庇うようにして立っていた。
その後ろで俺は頭を抑えて、何とか体を起こす。
そして次の瞬間、秋月が再度叫んだ。
「私はアイドルでも芸能人でもありません! 好きな人は自分で決めます‼」
***
あれから爆発していた熱は何処へやら。
皆はすぐ冷静さを取り戻し、HRも問題なく行われた。
けれど、俺は一つの答えを導き出していた。
秋月のやつ、まさか俺を利用したのか?
さっき叫んだ言葉。アレは紛れもない秋月の本心……だと思う。
でもアレを叫ぶには、彼氏役を作り状況を作る必要がある。
……俺を利用して、普通の女子高生としての自分を周りに認知させた?
つまり俺はそのための道具だったというわけか。
秋月の彼氏ともなれば、周りが暴走するのは誰でもわかる。
それは秋月だって例外じゃない。
ならば危険に晒しても問題ない人物。
そんな人物を彼氏役に据えるしかない。
それは俺なら適役だ。
なるほど。なるほど。
俺は『ふざけんなー‼』と叫びたくなった。