第26話 好きとは言わない
ドアを開けると、部屋の中では一人の女の子が寝ていた。
それもベッドの上で、無防備に寝息を立てている。
どうやら、本当に風邪で休んでいたらしい。
部屋の隅に置かれた勉強机。
そこには薬の袋が置かれていた。
「……俺の所為なんだろうな」
ベッドで眠るフユを見て思わず呟く。
病は気からと言うが、それで言うなら今回の原因は俺とのいざこざだろう。
そこまで思い詰める必要なんてないのに。
いや、そうさせたのは他の誰でもない俺だ。
だからこそ、色々な覚悟を決めてここへ来た。
とはいえ、流石に無理矢理起こすのも――
「ハル君ですか?」
俺が出直そうと、部屋のドアへ手を掛けようとした時だった。
ベッドに眠るフユが弱々しく言う。
「起こしたか?」
「いえ、もう十分眠ったので問題ありません」
「……そうか」
俺は身体の向きをフユの方へ戻し、ジッとこちらへ背を向けるフユを眺める。
彼女の体は今、壁の方へ向けられていた。
まるで俺と目を合わせないように。
そういう風に心掛けているように。
「ところで何の用ですか? ハル君がお見舞いなんて――」
「俺とお前の今後について話をしに来た」
俺はフユの言葉を遮り告げる。
その言葉の直後、しばしの沈黙が俺たちを襲った。
そして先に口を開いたのは、フユの方だった。
「……単刀直入なんですね」
「嘘や建前で誤魔化したくないからな」
「いつもは本音なんて見せないくせに」
「俺にだって誤魔化すべき場面と。そうじゃない場面ぐらいわかるさ」
俺は女の子らしく、色々な動物やファンシーキャラのぬいぐるみが置かれた部屋。
そんな部屋の中をぐるりと見渡しながら、フユに自身の考えを告げる。
「俺はあの晩、間違ったことを言ったつもりはない」
「…………」
フユは黙って俺の話を聞いていた。
内心。また怒られるかとヒヤヒヤした。
それでも何かを待っているかのように、黙って聞いてくれていた。
「やっぱり俺はあの作戦を推すし、お前にも賛同してもらいたい。でもお前が否定する気持ちも今ならわかる。竜虎には思いっきりぶん殴られるし、レオには後ろから蹴られるし。さらに色々な悪口も言われた。それでようやく思い知ったよ。『ああ。俺が傷つかなくても、周りから恨まれるだけで泣く人もいるんだ』って」
それは傍から見れば、単なる思い上がりだと思う。俺自身もそう思うぐらいだ。
でもきっと。だからこそあの晩、彼女は俺の考えに異議を唱えた。
俺の頭には今も、部屋を去るフユの後ろ姿が焼き付いて離れない。
正しい正しくないではない。効率非効率でもない。
それ以前の問題だったんだ。単純に俺は彼女の心を見ていなかった。
いつもと同じだ。効率を重視して、人の心を蔑ろにしたやり方。
それは正義の味方でもなく、ましてやダークヒーローですらない。
単なる勘違い野郎だ。
「俺さ、知らなかったんだ。誰かが俺なんかのために傷つくなんてこと。俺は何も持ってないただの『夏陽ハル』だ。そんな俺のことで傷つく人間なんていない。それが俺の考え方……だったよ、今までは」
俺のその言葉を聞いて、モゾモゾとフユが布団の中で動くのが見えた。
それを見て、自分の胸の中が安堵するのがわかる。今の自分は間違えていないと。
けれど、同時に改めて思った。やっぱり人はそう簡単に変われないのだと。
でも今はそれを嘆くよりも、彼女に――秋月フユという女の子に伝えるべき言葉がある。仮に彼女の告白が嘘だったとしても、仮に俺のことを好きじゃなかったとしても。きっと、俺のことを思って傷ついたのは、事実だと思うから。
「でもお前が居た。お前が俺のために傷ついてくれた。だから俺はお前と一緒ならその……少しはマシな人間に変われると思う。だからその……あれだ。その……」
俺は言い淀む。
言うと覚悟したはずなのに。
それでも大切な言葉ほど言いづらい。
嘘とはいえ、フユのやつ。こんな言葉を平然と俺に言ったのかよ。
流石は学校で一番人気の女の子。それは外見の可愛さだけではないようだ。
なら、その隣に立ちたい俺は言うしかないわな。
「俺と結婚を前提に付き合い続けてくれ」
俺は告げる。自分が言うと決めた言葉を。
フユの告白が嘘だったのは知っている。
それなのに俺のことで傷ついたのは、彼女が優しいからに他ならない。
でも俺はその優しさを感じて、隣に居たいと思った。
隣に居続ける権利と資格が欲しいと思った。
だから決めた。この恋愛ごっこの間に、彼女に俺を本当に好きになってもらおうと。
「返事は別にすぐじゃなくてもいい。しばらくは無視してくれてもいい。ただ……」
俺は言い掛けてベッドの空いたスペースに腰を下ろす。
そして背中越しのまま告げる。言葉にすればたった二文字の感情を。
「それでも俺のこの気持ちは、ずっと変わらない」
たぶん、普通なら何かしらの好意を告げる場面だったはずだ。
でも『好き』なんて一言や二文字で伝えられるほど、簡単な気持ちではないと思った。
だから敢えて、感情の名前については明言しなかった。
我ながら、こういうところが面倒くさい人間だと思う。
俺はそれだけを言い切り、逃げるように彼女の部屋を後にする。




