第23話 殴られた
パァーン‼ と乾いた音が響き渡る。
俺はその音と、右頬のヒリヒリとした痛みで目を覚ます。
目を開けた俺の瞳に映ったもの。それは二本の黒い触覚――もとい黒いツインテール。
獣坂竜虎は、仰向けで眠る俺へ馬乗りになる形でそこに座っていた。
しかも不機嫌そうな顔で。さらに俺の服の襟を掴んで。
「……なんでお前がここに?」
思わず尋ねてみる。
けれど、竜虎の不機嫌顔は変わらない。
俺を睨んだまま、彼女は強い口調で尋ねる。
「あの子に何をしたわけ?」
「あの子?」
竜虎は時々、色々なことを端折って話を進める悪癖がある。
今回の場合、明らかに怒りの原因が端折られていた。
そのため、俺は首を傾げるしかない。
「とぼけないでよ。さっき、玄関ですれ違ったんだから」
「おい、一体なんの話を――」
俺が問いかける間にも一発。
俺の顔に暴行が加えられる。
しかも先ほどとは違い、パーではなくグーで。
「意味が分からないですって? 何もなくてあの子が、あんな顔するわけないじゃない」
俺に振り下ろされる拳は、一つや二つではなかった。
何度も何度も繰り返し、いつもよりも弱い拳が届く。
一瞬、竜虎が手加減をしているのかとも考えた。
だけどすぐに理解した。
彼女が何かに強いショックを受けているのだと。
「言いなさい‼ あの子に……フユに何をしたのかを‼」
ようやく竜虎が吐き出した人の名前。
それを紐解き、俺は頭の中で原因を探る。
フユと玄関ですれ違った?
それはつまり家に帰った?
でもなぜ俺に断わりもなしに。
決まっている、昨日の件――昨日の喧嘩のようなものが原因だ。
「俺は別に何もしてない」
俺は竜虎の拳が止んだ一瞬。
その合間に真実をサラリと告げる。
俺にとっては隠す必要もない真実を。
それに俺は未だに自分が悪いとは思っていない。
だから本当のことを言えてしまえる。
「ただあいつの秘密を教えて貰っただけだ」
「それって……あの子の本当の両親のこと?」
詳しく教えたつもりはない。
それでも正解を引く辺り、竜虎もフユから聞かされていたのだろう。
もしかしたら、フユが竜虎の事情を知っているのも、その辺りが関係しているのかもしれない。例えば、竜虎がフユの事情を聴いたお返しとか言って。その逆も十分あり得るが。
「それで? アンタ、余計なこと言ってないでしょうね」
「俺はただ。あいつの本当の両親をぶん殴りたいって言っただけだ」
俺は軽く視線を自分の右手に向ける。
それに吊られて竜虎も右手に向く。
「俺は何も悪いことは言ってないはずだ」
「それはそうだけど……アンタはまた……」
俺の言葉を聞いて竜虎が肩を落としながら、俺の服の襟から手を離した。
解放された俺の上半身はベッドの上へ、倒れ込むように落下する。
「なんでアンタはそうド直球なわけ?」
「俺のどこが素直なんだよ。いつも天邪鬼って――」
「言い換えるわ。どうして必要じゃない時に本音を言うの?」
「仕方ないだろ。あの時は本気でムカついてたんだよ」
「それって……何でもないわ」
竜虎が何かを言い掛けて飲み込む。
俺はその姿を黙って眺めていた。
「それでフユが怒った理由に心当たりは?」
「俺はただスムーズな仲直り方法を提示しただけだ。そしたらいきなり――」
「一体どんなの?」
「それは――」
俺は竜虎に話した。
昨晩、フユに説明したのと同じ方法を。
すると今度は竜虎の頭突きが俺を襲う。
ゴーン‼ という鈍い音の直後。
俺は自身の額を軽く抑えた。
竜虎も痛そうに自身の額を抑えている。
どうやら二人して、石頭だったようだ。
「……何するんだよ」
「別にただアンタにムカついただけ。何? それが一番効率的って?」
「事実なんだからしょうがな――」
「事実よりも人の想いの方が大切よ‼ 現にフユはアンタの言葉で傷ついた。違う?」
「なんであいつが俺のことで――」
「そんなの決まってるでしょ。好きだからよ‼」
「でもそれは――」
俺は、フユの告白は嘘だと伝えようとした。
それなのに竜虎の鋭い瞳がそれを許さない。
目力だけで威嚇するなんて、まさに獣の所業だ。
「アンタ、国語が得意って言ってたけど笑っちゃうわね」
「得意なのは本当だ。ただ実物大の人の心が読めないだけだ」
人の心はいつだって単純じゃない。
しかも必ずしも正解があるわけじゃない。
だからいつだって推測するしかないのだ。
誰がどんな感情を抱いているのかを。
そして俺はよく言われる。
人の心が読めていないと。
レオや竜虎、華にも何度言われたかわからない。
自分でもそういうのは苦手だと思う。
それでも無理に計算しようとするから間違える。
たぶん、人間は誰しも合理性ばかりで生きていない。
それなのに俺は行動の合理性や効率性から考える。
そこには、『心』なんてものは含めることなく。
だからいつもすぐ、こういう形になってしまう。
別に喧嘩をしたかったわけでもないのに。
「なんで俺がバッシングを受ける程度で――」
「バッシングを受ける程度ですって?」
俺の発言にまた竜虎が苛立ちを覗かせる。
こいつの沸点は、相変わらず理解不能だ。
別にこいつが怒る理由などはずないのに。
それでも竜虎は強く拳を握った。
今日一とても堅そうな拳を。
「アンタは何にもわかってない‼」
叫び声と共に振り下ろされた拳。
それは一撃で俺の意識を刈り取った。




