第20話 揉んでた
気づいた時、俺はリビングのソファーの上で眠っていた。
口の中一杯に広がる地獄の味。
食べたのは怪しいソースが掛かったご飯。
さらに紫色のシチュー。あんなもん、漫画の中だけの話だと思ってた。
「……口直しが欲しい」
体を起こして周囲を見回す。
灯りが点いているところを見るに、まだ誰かリビングにいるんだろう。
親父か母ちゃんでも帰ってきたか?
全く、俺一人に劇物の処理を任せやがって。
きっと今後華の料理が成長したら、銃刀法違反と同じ処罰が下されると思う。
「ハル君、パンケーキです」
「悪いな、フユ」
流れるように渡された皿。
その上に乗ったパンケーキを食べた。
人とは恐ろしいものである。
疑うべき人間から貰ったものを、瀕死状態なら簡単に食べてしまうのだから。
「どうですか、お味の方は?」
「うん。程よいしっとり感と甘さだな」
「お兄ちゃん‼ やっぱりフユさん凄いよ‼ フユさんなら、お兄ちゃんのお嫁さんで文句ないよ‼」
興奮状態に陥っているウチのゲロマズ料理人。
あいつはまず、俺に土下座して謝るべきだと思う。
「すみません。本当はもっとちゃんとしたものを作りたかったんですが、勝手に冷蔵庫を漁るわけにも行かず。華ちゃんが置き場所を知っていたこちらを使わせていただきました」
そう言ってフユが持ち上げたのは、俺のいざという時の糖分補給用パンケーキ。
夜中にどうしても、甘いものが食べたくなった時に使うやつだ。
「気にするな。悪いのはあんな料理を作った華だ。フユに落ち度はない」
俺は軽く妹を睨む。
まさかフユが居ながら、あそこまで壊滅的な料理を作るとは。
兄として、後でお仕置きしてやらねば。
「ところでハル君。先ほど、お母様とお父様からご連絡があったのですが……」
「そうそう。聞いてよ、お兄ちゃん。すっごく大変なことが起きたんだよ‼」
「なんだ? また親父が酔っ払って補導されたのか?」
「それもあるけど――」
あるんだな。冗談のつもりで言ったのに。
何やってるんだよ、あのバカ親父は。
「実は今日、お母さんも帰って来れないみたいなの」
「あっそう。なら母ちゃんには『華の料理は可愛い息子が命懸けで処理した』って――」
「もう‼ そうじゃないってば‼」
「あ、いた~」
ダイニングでパンケーキを食べていた華に、履いていたスリッパを投げつけられた。
それは吸い込まれるように、俺の顔面へ直撃する。
これぐらいの兄妹喧嘩、いつものことだ。
むしろ今日はフユがいる分、いくらが穏便に済ませてる。
「それで? なんで母ちゃんも帰って来ないわけ? 親父は留置場だと思うけど」
「そのお父さんを迎えに行った後、また二人で飲みに行くらしいよ」
「……子供を残して、両親二人は夜遊びですか」
呆れて本当に物も言えない。
俺はプスプスとパンケーキに何度もフォークを突き刺す。
「よっぽどお兄ちゃんが信頼されているか。……ヘタレだと思われてるかだね」
「間違いなく後者だな」
「うん、華もそう思う」
それは喜んでもいい評価なのか。それとも悲しむべき評価なのか。
確かに普通の一般男子高校生なら、フユみたいな美少女と一つ屋根の下。それだけで興奮して眠れなくなるだろう。でも俺の場合は大きく違う。同じ部屋で寝た場合はわからないが、別々の部屋なら、完全に意識することなく過ごせてしまう。それぐらいには理性の化け物だ。
「わかった。俺はもう寝るな。今日は色々と疲れたし」
残っていたパンケーキを一口で全て食べ切り、華に洗い物を任せてリビングを出ようとする。しかしなぜかだ。なぜか俺の後に続くように――
「なんでお前がついて来るんだよ?」
「気にしないでください。私はただ調べ物をするだけです」
「調べもの? 何を調べ――」
「ハル君の性癖です」
……あの言葉、嘘じゃなかったのね。
というかなんで、俺の性癖を調べたいんだよ。
あれか‼ 俺の性癖を調べて全校に晒すつもりか‼
流石は学校で一番の美少女。本当に色々やりますね‼
思わずそう叫びたくなった。
だけど俺は敢えて、その言葉を飲み込む。
まだ証拠が揃っていないからだ。
フユの告白が嘘だという証拠が。
未だに根拠は俺に告白したことだけ。
この前の録音音声を、校内で流してくれれば一発だったのに。
まさか……本当に自分が聞くためだけのもの?
……そんなことあるわけないか。
だって、あの秋月フユだぞ。
俺に好意を抱くわけがない。
「言っておくけど。俺はエロ本なんて一冊も――」
「この前、お母さんがまた一冊増えたって――」
言い掛けた華の下に近寄り、そのお喋りな口を軽く引っ張る。
相変わらずなんて軽い口なんでしょうね。
「いふぁいよ、お兄ちゃん」
「とりあえずフユ。俺の部屋に入ってもいいけど。変な動きはするなよ」
「でもハル君の性癖を知る権利が私には――」
「俺の好みはとりあえず巨乳。以上だ‼」
面倒事を避けるため、俺は性癖の一つを暴露する。
それを聞いてフユは、顔を赤くして、自分の大きな両胸を優しく触った。
「じゃあ、私のお胸はハル君の――」
「まあストライクゾーンだよな」
複数ある俺の性癖。
一つでそれを隠せるなら安い――
「え~。でもお兄ちゃん、小さいお胸も大好きだよね? お母さんが――」
「お前はまた。なんで俺の情報はベラベラ喋るんだよ」
俺は再度、華の頬を引っ張る。
本当にこの妹は学習しない。
というかなんで話してるんだよ、母ちゃんは。
そもそも親が、子供のエロ本を把握してるのがアウトだろ。
「ちなみに隠し場所は――」
「はいはい。うるさい妹は無視して俺の部屋へ行こうな」
素早く動いてフユの両耳を塞ぎ、戦線離脱。
あいつは俺を社会的に抹殺したいのか?
この家における俺の敵はやはり華だったか。
リビングから廊下へ出た俺とフユ。
俺はフユの両耳から手を離して、階段の電気をつける。
「……色々とバカな妹で悪かったな」
「…………」
「おい――」
ボーっとしていたフユ。
俺は思わず彼女に呼びかけようとした。
だけどその手の動きを見て、声を掛けるのをやめる。
なぜならフユは――
「そういうことは一人の時にやろうな」
「……ッ」
一心不乱に自分の両胸を揉み続けていたからだ。
まさか目の前で変なことをされるとは思わなかった。
普通。そういう変な真似は、男がする方だろうが。
いや、俺は一切しないけど。
「こ、これは違うんです‼ 確かにその……揉まれたらと考えましたけど……」
なんかすごい、恥ずかしい本音が駄々洩れな気がする。
というか、漏れちゃいけない本音のような気がする。
「とりあえず落ち着け。それ以上喋ると、さらにお前が恥ずかしくなるだけだぞ」
「そ、そうですね。私ってば、本当に何を言っているんでしょうか?」
「本当だよ。おかげで……なんでもない」
俺は敢えてフユから視線を逸らす。
まさか言えるわけもなかったから。
異性として意識しそうになったと。




