第11話 少しだけ信頼してみる
獣医からの帰り道。フユは明らかに落ち込んでいた。
俺の右手には獣医で借りたピンクのキャリーケース。
その中には呑気に寝ている子犬がいた。
歩道側を歩くフユが落ち込んでいる理由は簡単で、犬を飼う許可を貰えなかったから。
そのため、仕方がなく一時的にウチで預かることになった。
「ごめんなさい、ハル君。本当に役立たずな彼女で」
これは謙虚な演技か本音か。
どちらにしろ、こいつは大切なことを見落としている。
「なんでお前が謝る必要があるんだよ?」
「だって私、お父さんを説得――」
「こいつが助かったのはお前のお陰だよ」
俺は顔をキャリーケース――その中で寝息を立てる子犬へ向ける。
それに吊られるようにフユも、同じ場所へ視線を向けた。
「俺たちがあの喫茶店に行かなかったら、こいつは夜になっても放置されたままだった」
「そ、そんなことないと思います。他の人が拾ってくれた可能性も――」
「可能性はあくまでも可能性だ。誰もがお前みたいな善人ばかりじゃない」
「私は善人なんかじゃ――」
「そうだな。周囲と比べると少しマシなだけだ」
現に俺みたいな陰キャを騙してるわけだし。
「それでもお前は足を止めて、俺にどうするべきかを聞いてきた。大概のやつはスルーするんだ。それが賢い選択だと思って。まあ考え方はわかる。拾って獣医に連れて行ったところで、その後も面倒を見られないなら拾わない方がいい。それが賢い生き方だからだ」
今の俺なら、一人だったらそれを選んだはずだ。
でも側には俺の弱みを握ったうえで、手酷く振ろうとしているだろうフユがいた。
汚点は一つでも残したくなかった。だから俺はこの犬を獣医に連れて行くと決めた。
「そういう人間に比べたら、お前は何歩かマシだよ。それに強運も持ち合わせてる」
「強運ですか?」
俺の突然の話題に目を丸くするフユ。
たぶん、本当にわからないのだろう。
「俺とお前があの道を通ったのは二回。いつ通ったかわかるか?」
「喫茶店に行く時と帰り道ですよね?」
「つまりその間にこいつは放置された」
時間にしておよそ一時間程度。
根拠はないが、可能性が高いのは。
「飼い主はたぶん、あの辺りにいるだろうな」
「……でも根拠が――」
「生後一ヶ月。普通なら外で散歩させたりしないはずだ。なら近所に捨てても問題ないよな? 誰も自分が捨てたと知らないんだから。拾わせようとした相手はたぶん、あのアニマル喫茶の客だろうな。動物好きなら、捨て犬なんて放っておけない。あの喫茶店へ行くまでの道は限られてるからな。あそこはほとんどの客が通るんだ」
「でも私たちよりも前に店を出た人が何人も――」
「偶然、別の道を行ったと考えるしかないだろうな」
俺は名探偵ではないし、謎解きを得意とする刑事でもない。
ここまでのことはあくまでも俺の推論だ。根拠なんてない。
だからあくまでも可能性の話。
「試しにあの辺りで、『里親募集』の張り紙をしてみてもいいけど、それで飼い主を見つけて返しても意味がない。それに俺としては理由なんて度外視で、無責任に動物を捨てるやつとなんて会いたくもない」
仮に会えば、軽く説教めいたことは言うかもしれない。
でもそれで改心したと言って、犬の返却を求めようものなら一蹴する。
なぜならその飼い主には、既に一度『捨てた』という前科があるのだから。
「結局、今大事なのはこの犬をどうするかだ?」
俺はキャリーケースを一度だけ軽く持ち上げて、中の様子を確認した。
それなりに揺れているのに、子犬はクークー音を立てて眠っている。
本当にどれだけ警戒心がないのか。いや、まだ警戒心すら根付いてないのだろう。
これじゃあ、番犬としても引き取ってもらえないだろうな。
「フユ。お前、犬を飼ってくれそうな知り合いに心当たりとかないか?」
「ハル君はどうなんですか? ハル君なら――」
「残念。俺にレオと竜虎以外の友達はいないな」
改めて、フユは色々と勘違いしていると思った。
俺に頼るべき友達がいるのなら、既に話を通している。
それができていない以上、そんな相手は存在しないということだ。
でもフユなら――
「わかりました。私にも飼えなかった責任がありますから」
「責任は感じなくてもいいから頼むな」
それは完全に家の事情だ。フユが謝る必要はない。
それに糾弾されるべきは、最初に捨てた人間なのだから。
「さてと。となると残るはウチの家族の説得か……」
「ハル君のお家もペット禁止なんですか?」
「そうじゃないんだけどな。別の意味で厄介なんだ」
このまま捨て犬を持ち帰った場合、間違いなく誰かが『飼う』と言い始める。
俺は断固拒否するつもりだが、親父は華に甘いし、母ちゃんも華の味方だろう。
それを踏まえると、俺の反対派が確実に不利だ。
……飼いたくはないんだけどな~。
でもウチの家族は多数決で物事を決める。
多数決。言い換えれば数の暴力である。
俺の嫌いな行為の一つである。俺は常に多数欠では『単体』だ。少数派ですらない。
「……ハル君がそんなに困ってるなら、預かるぐらいはウチで――」
「お前、さっき電話で失敗したばかりだろ? 準備もなしにいきなり言ってもまた――」
「大丈夫です。今度は直接、その子を連れてお願いするつもりですから。それに飼うのでなければ――」
「迷惑だろうな。食べ物屋にいきなり動物を連れ込むなんて」
こいつに心配されるとは。そんなに変な顔をしていただろうか?
別に俺だって心の底から飼いたくないわけじゃい。
最悪の場合、引き取る考えは僅かに残っている。
それでも最初からそれを視野に入れるのは嫌だ。
やはり裏切りのように感じてしまうから。
「大丈夫だ。ウチは全員動物好きだし。華なんて喜んで世話すると思うぞ」
それで絶対に飼うと言い出す。そこまでセットで目に浮かぶ。
あと近くで変なおじさんが、華の意見に賛成する姿とか。
「だからお前の仕事は早く、引き取り手を見つけることだ」
それは俺にはできないこと。学園で一番顔の広いフユだからこそ、できることだ。
今、初めてそれを利点だと思えた。屋上から投げ飛ばされそうになるのは勘弁だけど。
「わかりました。でももしもの場合は、もう一度飼うことをお父さんに頼んでみますね」
「だから無理だろ。さっきも言ったように――」
「なので今度はハル君みたいにちゃんと、人を強引に納得させられる言い訳を考えて説得します」
「俺は詐欺師か何かかよ」
……それでも俺は無理だと思う。
ああいう店で動物を飼うこと。
それはそれなりのリスクがある。
娘の笑顔と店の順調な経営。
どちらを選ぶか。そんなの経営者なら選ぶまでもない。
でもそれがわかっていても、俺は敢えて否定しない。
それどころか、今回の件に関しては秋月フユを信じることに決めた。
少なくても彼女は、動物には誠実な人間だと思ったから。




