第9話 甘く囁かれる
翌日の放課後、俺は天国にいた。
アニマル喫茶へ入った直後、俺目掛けて大量の犬猫が集まってきたのだ。
それは大多数で俺へ飛びつき、今も俺の体を埋め尽くしている。
「……大丈夫ですか?」
犬猫に押しつぶされた状態の俺に声を掛けてくるフユ。
それに対して俺は毅然とした態度で応対する。
「お構いなく」
久しぶりに触れる動物の感触。
それは相変わらずモフモフで暖かくて。
やられた。まさかフユのやつ、俺をモフモフの中で幸せ死させるつもりだったとは。
これは罠。これは罠。……無理だ、俺に動物たちを引き剥がす選択などない。
お犬様、お猫様。自由気ままにワタクシめを蹂躙してくだされ。
***
「大変でしたね」
「問題ない。むしろあのまま窒息死しても本望だった」
店員さんたちの手によって、丁寧に俺から引き剥がされた犬と猫。
見たところ、店内には大きく分けてその二種類しかいないようだ。
……それでも俺にとっては大満足だが。
「でもハル君、本当に動物さんが好きなんですね」
「何がおかしいんだよ?」
通されたテーブル席。
そこでフユと向かい合って座る俺。
フユは俺の顔を見て、口元に手を当てて笑っていた。
「ち、違います‼ おかしいんじゃなくて意外だったんです‼」
「意外? どこからか俺の動物好きを聞き出してたのにか?」
俺は情報源を聞き出すため、敢えて意地悪な言い方をした。
俺の推測が正しければ、間違いなく情報源はウチの妹――
「そうですね、意外でもありませんね。ハル君、いつも捨てられた動物を拾ってましたから」
「……いつもじゃない。気が向いた時だけだ」
「そうですね。ついいつも気が向いてましたよね」
左目を閉じて、フユがウィンクするように笑顔を浮かべる。
……人に知られたくない秘密を知られた気分だ。
妹やレオ、竜虎曰く、俺は動物が目の前にいると人が変わるらしい。
いつもは死んだ魚みたいな目をしているのに、動物が側にいると生き生きしているとか。本当、おかしな話をするものだ。俺はどこに居ようと、結局俺でしかないというのに。
「そういえばハル君、今までこういうカフェに来たことはありますか?」
「ガキの頃数回だけだな。俺が拾った捨て子を何匹か引き取ってもらったし」
「だとすると、さっきハル君に飛び掛かった動物の中にも――」
「それはないな。引き取ってもらったのは別の店だし、単純に元々動物から好かれる体質なんだ。それに……どいつも単純に歳食ってたからな。もう会えない可能性の方が高い」
生き物はいつか必ずいなくなる。
それも俺たち人間よりもあっという間に。
俺はそれが――
「ハル君自身は飼おうと思わないんですか?」
「俺と同じぐらい長生きできるやつが居たらな」
でもそれを犬猫に求めるのは酷な話だろう。
だから俺の解答は遠回しな否定に他ならない。
それをフユがどう受け取ったのか。
それは俺にもわからないが、彼女は俺の方を真っ直ぐ見て言う。
「長生きなんてしなくても幸せですよ。ハル君みたいな人と家族になれた動物は」
「……誰かからなんか聞いたのか?」
俺の問いにフユはただ笑顔だけを返す。
俺はそれを自然と肯定だと受け取った。
「……誰にも話すなよ」
「知られてもいいじゃないですか」
「俺のイメージに関わる問題だ」
昔、我が家ではペットを飼っていたことがある。
それは俺が初めて拾ってきた捨て犬の老犬だ。
当時の俺は知らなかったが、動物病院に連れて行った親父曰く、一年ほどしか生きられないと言われたらしい。結果として俺に『シバタ』と名付けられた柴犬のオスは、二年近く生きて静かに息を引き取った。当時、小四だった俺が初めて死を身近に感じた出来事だ。あれ以来、ウチでは捨て犬や捨て猫を拾ってきても、俺が飼うのを全力で拒絶している。未だに俺がシバタのことを引きずっているためである。
そんなナイーブな部分。俺はあまり人に知られたくない。
そもそも動物に対しては優しい。そういうイメージも定着されたら困る。
不良ではないが、俺みたいなタイプが雨の日に捨て動物に傘を差しだす。
それで一気に評判が向上するとか、俺は絶対に御免だ。
だって俺は、当たり前のことをしているに過ぎない。
「ハル君は本当におかしな性格ですよね」
「人からチヤホヤされるのが嫌いなんだよ」
「それなのに妙に体が動いてしまうと……」
「ウチの妹曰く、そういうところが面倒くさいんだと」
俺はメニューを見ながら、お冷を喉に流し込む。
それを見てフユが前のめりになって言った。
「でも‼ それがハル君の魅力だと思います‼」
「……なんだよ、いきなり大声なんか出して?」
フユの態度に思わず身構える。
だって俺を面と向かって褒めてくる人間。
そこには必ず何かしらの思惑があるから。
昨日のフユパパに関してだって、俺を店で働かせようとする考えが見え見えだった。
だから、俺は人からの褒め言葉を額面的に受け取らない。
常にそこに裏があるのではないかと考える。
そして今、恐らくフユには裏の考えがあるはずだ。
素直に純粋な気持ちで、俺に高評価を与える人間などいないのだから。
「やっぱりハル君はすごい人です」
「別にすごくない。人は助けないからな」
「そう言いつつ、ハル君は助けますよ。昔、私を助けてくれたみたいに」
「俺にはそんな覚え、一切ないけどな」
俺が秋月フユを助けた?
そんなの彼女の単なる勘違いだ。俺に助けられる人間なんていない。
俺ができることは問題の対処ではなく、問題を排除することだけ。
問題文を排除してしまえば、そもそも問題を解く必要が消滅する。
それを意図的に作り出すことぐらいしか、俺にはできない。
だから彼女は俺に助けられていないし、俺も彼女を助けていない。
俺は常に、自分にとって当たり前のことしかできないのだから。
「ハル君はいっぱい助けてくれました。昔、私が学校のプールで溺れた時も――」
「俺、極度のカナヅチだぞ。足のつくプールでも簡単に溺れるレベルだぞ」
「はい。なので私を助けた後、見事に溺れていましたね」
それが事実だとしたら、俺は相当のバカということになる。
いくら当時、多少なりとも好意を抱いていた相手とはいえ、それは格好つけ過ぎだ。
下手をしたら、死んでいた可能性すらある。
まあ今の俺なら、冷静に判断して大人に協力を求めるが。
「……客観的に見て格好悪いな」
「格好悪くてもいいじゃないですか」
苦い顔で呟いたはずの俺に対して。
フユはどこか暖かい雰囲気を覚える表情で告げる。
「そんなハル君に助けられた私が居た。それだけは事実なんですから」
俺に甘い言葉を囁くフユ。
きっと普通なら、その言葉に浮かれて騙されるはずだ。
でも俺は知っている。そんな優しい女の子はいないと。
そんな女の子が居るのは、あくまでもフィクションの中。
現実には絶対にいるはずがない。
だから俺は今日も秋月フユを疑う。
その言葉の裏に、何かあるのではないかと。




