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「うーんと、コントローラーの引き出しはー……」

 春陽がソファーでくつろいでいると、奈巳夏は早速ゲームを始めようとテレビ台の引き出しを、ふんふんと鼻歌混じりに漁り始めた。

 四つん這いでお尻がこちらに向けられているのは、垂涎ものだと思う人もいるかもしれない。春陽からすればいつもの光景なので思うことはないけれど。

「はにゃ? これは……」

 どうやら奈巳夏が開けたのは違う引き出しだったらしく――。

「おっ、懐かしい。昔のアルバムじゃないか」

 春陽の言葉に奈巳夏はピクリと身体を震わせ、すぐにアルバムを元に戻して引き出しを閉じた。

「奈巳夏?」

 まちげーたアリゲータと訳の分からないことを言って照れ隠しをしているあたり、ただ単に間違えたことが恥ずかしかっただけなのかもしれない。

「こっちの引き出しだったか~。あ、あったあった」

 コントローラーを二つもって、とてとてと春陽のもとまでやってくる。

「さ、はやくやろやろ」

 笑顔でコントローラーを手渡してくる奈巳夏。どうやらよほどやりたかったらしい。考えてみればプレイするのは少しだけ久しぶりかもしれない。

 中学に入るまで春陽はゲームが禁止されていたこともあって、こうして二人でゲームをするときの奈巳夏はいつもすごく楽しそうである。

「んしょ」

 奈巳夏の髪がさらさらと春陽の顔を撫でた。というのもボスンと奈巳夏が座ったのは、春陽の隣ではなく膝のうえだからだ。ぴったりとつけられた奈巳夏の背中からは、春陽よりも少しだけ高い体温がじわじわと伝わってくる。

 奈巳夏の身体に腕を回し、コントローラーを構える。やりにくいといえばやりにくいが、もう慣れてしまった。それに基本的に奈巳夏はゲームが下手なので、いいハンデにもなっている。

 でも足をパタパタするのは、踵がごつんごつんと春陽の足に当たるから止めて欲しい。癖みたいなものなので、言っても治らないだろうから言わないが。

「とりあえずぅ~、キミにきめた!」

 どうやら、日本全国を舞台にしたすごろく系のパーティーゲームをやるらしい。

「最後にやったときナミカ負けちゃったからね! リベンジだよ」

 むんっ、と気合いのこもったファイティングポーズをする奈巳夏。

「よくそんなこと覚えてるな」

「ふふん。おにぃちゃんに関することならナミカの海馬は覚醒するからねっ」

 できれば勉強でその能力を発揮して欲しいところではある。なんといっても奈巳夏の成績はすこぶる悪い。毎回毎回ギリギリのところで赤点は取っていないのが救いではあるが。

 そんな兄の心配をよそに、奈巳夏は馴染みのゲームBGMにあわせて身体を揺らす。えいやっ、とコントローラーを振りながらサイコロを投げる。東京駅のマスを出発して新幹線に乗ったプレイヤーが西へ西へと進んでいく。

「このゲームやってると旅行したくなってくるよね」

「どこか行きたいところでもあるのか?」

「ふっふっふっ。いい? おにぃちゃん。旅行で大事なのはどこに行くかではなく誰と行くかなのだよ。これテストによく出るから覚えておくよーに」

 眼鏡なんぞかけていないくせにドヤ顔で眉間のあたりをクイっとする奈巳夏。

「まあ、わかるけどな。修学旅行よりも家族旅行の方が断然楽しい」

 家族で行った北海道旅行は記憶に新しい。特に、空は繋がっているという言葉が信じられなくなるほどに、今まで春陽が見てきたそれとはまるで違う美しい星空は印象に残っている。

『きらりと光る 夜空の星よ♪』

 透き通った空気を震わす当時の奈巳夏のハミングは、いつもなら何も思わないのに、このときばかりはその場の雰囲気を情緒的に彩っていた。

「そうだよ。せっかくナミカも高校生になったわけだし、兄妹旅行なんて良くない!?」

 それはさぞかし賑やかで楽しい旅行になりそうだ。慣れない地で数日間奈巳夏に振り回されるというのは、身体がもつのかどうかという心配はあるが。

「はぁ~あ。このゲームみたくサイコロ振るだけでお金がい~っぱいもらえたら、おにぃちゃんといろんなとこ気軽に旅行いけるのになぁ」

 それから何かを考えこむように黙ってしまった。二人の間には疾走感のあるゲーム音だけが流れる。ただし、それによって気まずくなってしまうような浅い関係性ではない。なんならこういう時間の方が、言葉ではなく心で会話をしているような感覚になって心地よいとすら思える。

 とはいえ、今回に限っていえば少しだけ違った。無論、気まずさはないのだが。

 ちらりと画面から視線をずらすと、奈巳夏の横顔が目に映る。なんだかいつもより僅かばかりではあるが大人びて見えた。

 春陽の方が一歳年上だというのに、数歩先を歩かれているような。

 これだけ身体は密着しているのに、心は離れているような。

「ねぇ、おにぃちゃん」

 春陽より一足早くすごろくの最初の目的地である淡路島のマスに到着すると、奈巳夏は口を開いた。

「ナミカ、アルバイトしよかな」

 華やかなゲームの効果音に紛れることなく、その声は小さくとも鋭く春陽の耳を震わせた。

 ゲーム内では次なる目的地が表示される。そこに向かって奈巳夏は突き進んでいく。

 あぁ、そうだ。奈巳夏だって前に進んでいるんだ。

 親からしたら子供はいつまでたっても子供だ。同じように兄からしたら妹はいつまでたっても妹。だからこそ、その成長に鈍感になっていた。いつまでもただただ後ろをついてくるだけの存在ではないのだ。

 そうは言っても、春陽と一緒にいる時間が削られるのが嫌だからと、これまで部活には所属してこなかったどころか、友達とも遊んでこなかった奈巳夏からアルバイトという単語が出てくることに驚きを隠せない。

「別に、旅行だったら頼めば行かせてくれるだろ」

 もちろん頻繁には行けないけれども、そもそも春陽は家で過ごす時間が好きなので偶に行くくらいで丁度よい。

「それだけじゃないよ。ナミカはおにぃちゃんの役に立ちたいんだ」

「役に?」

「そう。いつも頑張ってるおにぃちゃんを支えたいんだ」

「別に俺は頑張ってなんか――」

 奈巳夏は右手で、コントローラーを握っている春陽の右手を撫でた。

「知ってるんだから。おにぃちゃんがナミカと一緒にいない時間は全部、勉強に使ってるの。特に睡眠時間なんていっぱい削ってるでしょ」

「……待て。なんで奈巳夏が一緒にいない時間の俺の行動を知ってるんだ」

「べ、別におにぃちゃんの部屋に隠しカメラを仕掛けたりなんかはまだしてないよ!」

「まだ?」

「おおっと危ない危ない。要らないことしゃべりそうになるとこだった」

 わざとらしく袖で額を拭う奈巳夏。喋りそうというか喋ってるんだよなぁ。とりあえず頭の中のメモ帳に金属探査機かなんかを買って隠しカメラ対策をすることを書いておく。

「こほん。……そりゃわかるよ。だってナミカはいっつも学年ビリに近いのに、おにぃちゃんはトップ争いしてるくらいだよ。兄妹だからそこまでスペックの差はないはず。つまりこれは努力量の差、でしょ」

 その点についてはもうちょっと反省して欲しいところではある。というか別に兄妹でもスペックの差がある可能性はあるだろう。まあ普通より出にくいかもしれないのは事実なのかも?

「それに毎朝おにぃちゃんを起こしに行くとき、必ず机の上に勉強道具が広がってるんだよね。これって毎晩眠気の限界まで勉強して、意識が切れる直前にベッドダイブしてるってことでしょ?」

「……よくおわかりで」

「わかるよ。ナミカも夜に裁縫とかに夢中になってるときは、そんな感じで出しっぱなしで寝ちゃうもん」

 やれやれ。兄妹では隠し事をしにくいったらありゃしない。もっともこれに関しては別に隠していたわけではないけれど。ただ、陰の努力を見られていたというのは、どうにもむずがゆい。

「つか俺を支えることと奈巳夏がバイトすることはあんまり相関性がないように感じるが?」

「そんなことないよ。たとえば、いつもより良い食材や調理器具が買えるでしょ。あとはおにぃちゃんの欲しいものを買ってあげられる。さっきも言ったけど旅行にだって行ける。そうでなくてもいろんな場所に遊びに行ける」

 なんだか奈巳夏のヒモになるみたいじゃないか。

「おにぃちゃんはナミカと一緒にいることが生きる活力になってるの知ってるから、二人の時間の質をあげることは重要でしょ」

「…………それに関してはノーコメントで」

「間が雄弁すぎるよ。いまさら照れなくていいのに」

 淡々と言っているように見えて、ちょっとだけ顔を赤らめている人に言われたくない。

「それに、もうひとつ重要なことがあるよ」

「もうひとつ?」

「うん。本当は行きたい癖に、パパやママに遠慮してる塾に通わせてあげられる」

「なっ!?」

「気づいてないと思った? まったくおにぃちゃんは甘いな~」

「うっせ」

 春陽は小学校のときに塾に通っていた。しかし中学受験は見事に失敗。結局、近所の公立中学にいった。つまり大金を水の泡にしたのだ。

「勉強なんて自分でなんとかするものだ」

「最終的には、ね。でも最近行き詰ってるでしょ。それに、おにぃちゃんが目指す東大に行く人のほとんどが塾に通うか、名門高校に所属してる。どちらももたずに戦えるほど、甘い世界じゃないでしょ。それとも受からなかったときの言い訳にしたいのかな」

「そんなこと……」

 ない、とは言えなかった。心の奥底を覗かれているみたいに、春陽の心が次々と紐解かれていく。中学受験での失敗は確実に春陽のトラウマとなっていた。

 小学校のときは、勉強以外の一切を捨てていた。そのなかには育むべき友情も含まれた。それで春陽は孤立した。そうまでしたのに受験に落ちたことで周りから馬鹿にされ、いじめられたのだ。

「だいじょうぶだよ」

 ふわりと柔らかいものが春陽を包んだ。それはあまりにも唐突で、あまりにも優しくて、奈巳夏が春陽の膝から降りて、抱きしめてくれたのだと認識するまでに数秒かかった。

「だいじょうぶだよ。別に受験で落ちても、それまでの努力は無駄にならない。バカにするやつがいたらナミカがぶっ飛ばす。なにがあってもナミカはおにぃちゃんの味方。だから何も気にする必要ないよ。おにぃちゃんはおにぃちゃんがしたいようにすればいい」

 夢でも見た、春陽の前でクラスメイトを阻んでくれた5年前の奈巳夏が今の奈巳夏と重なる。なにがぶっとばすだよ……。めちゃくちゃに震えていたくせに。

 不覚にも、目頭が熱くなるのを感じる。はぁ、これでは兄の威厳もあったもんじゃない。

「……そうだとしても、奈巳夏がバイトまでする必要はないだろ」

「あれ、もしかしてナミカと遊ぶ時間減っちゃうのが嫌なのかな?」

「そ、そうは言ってないだろ」

「ナミカは嫌だけどね」

 こういうときに臆面もなく本心を打ち明けられるのは、兄妹なのにいつまでたっても似ることがない。

「嫌だけど、それでおにぃちゃんの助けになるならナミカはいくらでも頑張れる」

「どうして、そこまで」

「だっておにぃちゃんが必死に勉強してるのって――」

 ピコン。奈巳夏のスマホから通知音が鳴った。

「こほん、だっておにいちゃ――」

 ピコンピコン。気にせず続けようとしたところに再び通知音。

「あぁ~もう! 良いところでうるさぁーいっ」

 奈巳夏は振り返って、ローテーブルに置かれているスマホを取る。

「げっ……おにぃちゃん! たいへん」

「どうした? カラオケのクーポンでも配信されたか?」

「ちがうよ! いや、違くないけど! それも今まさにきたけど! 今ならポテトの山盛りがお手頃価格で楽しめちゃうけども! ヘンなとこで勘の良さ発揮するのやめて」

 ぽかぽかと春陽の胸を叩いてくる。スマホが当たるの普通に痛いから止めてね?

「こほん、あのね、ナミカってば、ママに今日家の掃除するように頼まれてたの忘れてた。てへっ☆」

「よしいいから早くやるぞ!」

 ゲームを放り投げ、わさわさと掃除に取り掛かる。母親は夕飯までには帰ってくるだろう。今から始めればきっと間に合う、はず!

 てんやわんやと掃除道具を取り出す奈巳夏の背を見て、春陽はため息を吐いた。


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