エピローグ
「びぇぇぇぇええええ、行っちゃいやぁぁぁぁぁぁ!!!!」
うっかりしていると眠ってしまいそうなくらいに心地よい春の陽気の下で、美しい桜に見守られながら、心地よくも美しくない声を響かせているのは、他の誰でもなく奈巳夏だった。
「いや大袈裟すぎだろ」
「なに言ってるの! 卒業だよ、周りを見てみなよ! 泣いてる子だっていっぱいいるでしょ!!」
当たりを見渡せば卒業式を終えても学校にはまだたくさんの生徒が残っている。奈巳夏の言う通り、クラスメイトの女子同士、同じ部活の先輩後輩、この日にくっついたり散ったりしていく男女たちなど泣いている人は、少なくない。
そのなかには石行さんとさくらが向かい合って話している姿もあった。2人がどういう経緯でそうなったのかは知らないけれど、今は仲の良い友達になっているみたいだ。恋人関係には至っていないようだが、以前よりも石行さんの笑顔を見かけることは多くなったし、きっと悪い状況ではないのだろう。
友碇の周りには相変わらず同級生、後輩問わず多くの女子が集まっていた。さくらと友碇の所業はどこから漏れたのか明るみになり、2人の評判は一時的に落ちたものの、石行さんにはしっかり謝罪もしたみたいで、今ではご覧の通りといったところだ。
ただ友碇はいまだに石行さんに完全に嫌われている、というのは当然の結果である。
「あいつらと違って奈巳夏は俺と家でいつでも会えるだろ」
当たり前のように毎日顔を合わせられなくなるっていうのは想像以上に大きいことだ。わざわざ約束をしなければ、今後は会うことができなくなる。ものすごく仲が良かったのにいつの間にか関係性が自然消滅していた、なんてことは珍しい話ではない。
「毎日一緒に登校する楽しみがぁ……」
「別に……ちょっと早起きすりゃあ、一緒に学校まで行くことくらいできんじゃねぇの」
「て、天才がいた……! で、でもお昼ご飯が……」
「あぁ、もうそれくらい我慢しろ。でなきゃ電話でもなんでもしてこい」
「ホントに!? 絶対にでてよ。出なかったら浮気認定するから!」
とりあえず今後春陽はスマホの充電を忘れたら終わるらしい。
「はぁー……それにしてもあんなちっちゃかったのに、もう大学生かぁ」
「なんで母親目線になってんだよ」
「ありがとね」
何に対するお礼なのかわからず、春陽がポカンとしていると奈巳夏が話を続ける。
「だってちゃんと東大受かってくれたじゃん」
「いや、おめでとうならわかるけど、なんでありがとうなんだよ」
「だってそれナミカのためでしょ」
「それは……」
実際そうなのだけど、そうとは言っていないのにバレていることにむず痒さを感じる。春陽の父親は小学校までは春陽に東大に行かせるためにめちゃくちゃに勉強を強いてきた。
中学からはそれも収まっていたが、またそれが再燃しないとも限らない。そしてそれが再燃する可能性があるとすれば、春陽が東大に行けなかったときだ。
それも、そうなると奈巳夏に矛先が向いてしまう。父親としてはひとりが東大に行ければ満足だったらしく、これまで奈巳夏に勉強を強いたことはなかったけれど、春陽がダメならそうもいかない。
「まあ、どっちにしろナミカもこれでバイトも辞めて、むっちゃ勉強がんばらないといけなくなったんだけどね……」
春陽が東大に行くとなると、当然奈巳夏は同じ学校が良いだろうからな。それよりも、もう散々とお礼は言ってきたが、感謝するべきは春陽の方だ。奈巳夏は春陽と付き合ってから始めたバイトで稼いだお金で塾に通わせてもらっていたのだから。
「勉強はいやか?」
「ううん。春陽のためにすることにイヤなことなんてひとつもない」
春陽の合否に関わらず、奈巳夏は東大を目指さざるを得ない状況になっていたかもしれないけれどやらされる勉強と、自ら進んでする勉強とではまったく違う。今の奈巳夏は後者だ。
「ふっふーん、それに東大卒の兄妹なら将来は安泰だし、最高の2人の生活が待ってること間違いなしだよ。つまりこれも夢への第一歩」
東大卒だからといって必ずしも安泰とは限らないけれど、それでも、夢への第一歩であることは間違いない。
春陽もバイトを始めるつもりだし奈巳夏が高校卒業と同時に2人暮らしを始める、なんていう計画も水面下で進んでいる。
「あっ、チャンス!」
突然走りだした奈巳夏は右手を伸ばし、そしてジャンプをした。着地と同時に何かを祈るように手を合わせ、そうして右手のひらを春陽に見せてくる。
「ほら、桜の花びら」
「おう、桜の花びらだな?」
「もう、知らないの? 桜の花びらが地面に落ちる前にキャッチして願いごとをすると叶うって」
「ほーん、それで何を願ったんだよ」
すると奈巳夏は答えるでもなく、桜の花びらを大事に握りしめ、春陽に走って近づいてきた。どれくらい近づいてきたかといえば、それはもうゼロ距離まで。
「お、おい、待てって奈巳夏」
真っ赤な顔をして走り去っていく奈巳夏の背中を追いかける。春陽も熱くなって、身体の感覚がなくなっていくようだった。それでも卒業祝いと言わんばかりにもらったものの感触は、なかなか唇から消えてくれなかった。




