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7-2

「はぁ~、今日はすっごく楽しかったぁ!」

 奈巳夏はそう言ってぐっと身体を夕空に向けて伸ばすと、通学カバンにつけられたクラゲのキーホルダーも笑うように揺れる。

「ペンギンの餌の時間にさ、自分の餌を分けてるペンギンがいたけど、見た目の可愛いさに優しさもあるとやっぱつよつよだよね。あの2匹って兄妹とかだったりするのかなぁ」

 町がオレンジ色に溶けて変化していく帰り道、思い出を確かなものにするみたいに、奈巳夏は今日の出来事を振り返る。

 イルカショー以降は春陽も心から楽しんでいた。

 水槽の隣で両手を上に伸ばしてそこにいたチンアナゴの真似をするようなポーズをしたり、こちらを見て膨れたフグに対してこちらも頬を膨らませてにらめっこをしたり。

 たくさん撮った写真をスマホで見返すまでもなく、頭の中のアルバムで見返すことができた。

 その1枚1枚を眺めて込み上げてくる愛おしさが、春陽の決心を揺るがないものへとして、あふれてしまいそうな感情を、もう伝えずにはいられなくなった。

「おにぃちゃん……?」

 突然立ち止まった春陽に気が付いた奈巳夏が数歩先で振り返る。

 この空で一番輝いている真っ赤な夕陽をバックにした奈巳夏は、この地上で一番輝いているように思えた。

 どんなに手を伸ばそうとしても届くことない夕陽と違って、いつだって春陽の傍にいた奈巳夏。

 それなのに2人を阻む壁はあまりも高くて、強固で、だから現状で満足してた。してたつもりにしてた。

 でも、自分の心を偽り続けるのも今日でお終い。

 飾らず、いつも通りの自分で伝えよう。奈巳夏相手に多くを語るのは蛇足にしかならない。

 黙っている春陽に、さらに言葉をかけるでも、無視するでもなく、ただただ黙って待っていてくれている奈巳夏の目を見つめて、春陽は口を開く。

「奈巳夏のことが好きだ。俺と付き合ってくれ」

 目の前の少女の顔が真っ赤に染まったのは、決して夕陽のせいではないだろう。茹であがったように熱い自分の顔も同じようになっているだろうと思うと、さらに顔が熱くなるが、決して目は逸らさない。

 奈巳夏の目が驚きを映していたのはほんの一瞬で、みるみるうちに春陽が大好きな笑顔になっていく。

「嬉しい……あぁ、嬉しすぎる。人生で一番の幸せな瞬間だよ」

 そんな言葉のともに、奈巳夏の瞳から一粒、また一粒と雫がこぼれ落ちて、やがてそれは一筋の涙になる。

「ナミカもおにぃちゃんのことが好き。大好き。世界で一番愛してる」

 その言葉で、春陽も幸せに包み込まれたように目に映る光景が喜びに染まっていく。

 涙は流れなかった。春陽は嬉しいときには笑うから。

 ――でもそれは、奈巳夏も同じはずだ。

「ごめんね。おにぃちゃんとは付き合えない」

 目の前が急速にぼやけていくのは、潤んだ瞳のせいばかりではなく、脳が現実逃避をしようとしているからかもしれない。

 かろうじて、背を向ける奈巳夏が見えた。そうして、歩き出すのも。

 こんなことは初めてだ。一緒にいるのに、奈巳夏の方から離れていってしまうのは。

 その歩みは遅かったけれど、少しずつ、少しずつ2人の間が広がっていく。

 目に溜まった涙がこぼれ落ちたとき、一瞬だけ視界がクリアになる。

 そして春陽は見た。お店のガラスに薄っすらと映る奈巳夏の横顔を。その横顔がさっきまでの笑顔はきれいさっぱりなくなり、涙でぐしゃぐしゃになっているのを。

 春陽は袖で顔を拭って、パチンと叩いた。それだけで、もう涙はでなくなった。

 次の瞬間にはもう、奈巳夏の手を握っていた。

「お、おにぃちゃん……」

 奈巳夏にそんな顔をさせるのを、許容するわけにはいかない。いつだって笑っていて欲しい。その顔を曇らせるものはなんであっても、春陽は立ち向かう。

 たとえそれが、自分自身であっても。たとえそれが、奈巳夏本人であっても。

「だめ、だめだよ……ナミカとおにぃちゃんは付き合うべきじゃない」

「たとえそうだとしても、奈巳夏がそんな顔をするなら、はいそうですかとは引き下がれない」

 春陽は奈巳夏の頬に手を当て、指でその雫を拭う。それでも、その涙が止まることはなくて、ハンカチを渡そうとしたところで、一歩奈巳夏が引いた。

「最初から決めてたんだ。おにぃちゃんから本当の愛をもらえたら、そこで終わりにしようって。それまではおにぃちゃんに振り向いてもらえるように頑張ろうって。それだけで最高の幸せだし、実際にそうだった。ナミカの最低で最悪なワガママだけど、どうしてもおにぃちゃんの想いが欲しかったんだよ……」

「どうして! ここからが始まりだろ。どうしてここでやめちゃうんだよっ」

「わかるでしょ、そんなの言わなくても」

 兄と妹で付き合うことが、いけないことだというのは言うまでもなくよくないこと。春陽が諦めていたのと同じだったのだろう。だが、奈巳夏は諦めきれなくて、求め続けて、今こうして春陽から好意を受け取ることができた。

「ナミカはおにぃちゃんに幸せになって欲しいんだよ。でも、ナミカとおにぃちゃんが歩く道の先に、それはない」

 どうしてこうもままならない恋ばかりなのだろうか。石行さんの時も同じようなことを言われた。不幸なことに、状況はそのときよりも難しくなっていること。

 なぜならば春陽と石行さんが付き合うこと自体には問題はないが、春陽と奈巳夏ではそもそも問題があるからだ。

「それでも、やってみないとわからないだろ」

「わかるよ! 今までナミカがおにぃちゃんでベタベタしてるだけでヘンな目で見られてきたんだよ。それが付き合うってなったらどうなるかなんてわかるよ……」

「どうして今さら周りの目なんて気にしするんだよ! 今までそんなの無視してただろ」

「それはナミカのゴールがここだったからだよ……。ここから先は、おにぃちゃんが他の人と付き合えば無いはずのイヤなことがたくさんある」

 たしかに後ろ指は刺されるし、悪口は言われるし、いじめられるかもしれないし、両親にだって見放されるかもしれない。でも――

「それがなんだっていうんだ。俺はそんなのまったく気にしない」

「おにぃちゃんが気にしなくてもナミカが気にするんだよ! おにぃちゃんだってナミカが悪口言われてたら、ナミカが気にしないって言ってもイヤでしょ」

「それは……」

 気にしない、とは言えなかった。実際、行動にも何度もあらわれてしまっている。

「それでも俺は、付き合わない選択を取った先にある、奈巳夏のその顔を見る方が何倍もイヤだ。どちらにしても地獄なら、俺は2人でその嫌な気持ちを乗り越える方を選ぶ」

「……っ!」

 そうだ。奈巳夏と並んで歩いていないときの春陽はいつだって失敗ばかりだった。特にここ最近はそれが顕著だった。

 逆に言えば2人揃っていればなんだってできる。そんな根拠なんて何もないけれど、少なくともそう信じられるだけの絆はあるはずだ。

「それでも……やっぱりナミカたちは最終的には幸せになれないよ……。実の兄妹じゃ幸せになれないって、世界のルールで決まってる。こればっかりは根性論じゃどうにもできない」

 地位も権力もない春陽たちには、法律の壁を突破することなんて到底できない。いや、そんなことはたとえどれだけ偉くなったところで不可能と言っていいだろう。だが、奈巳夏はひとつだけ履き違えていることがある。

「なぁ、奈巳夏にとっての幸せってなんだ? 結婚式を挙げて、子供を作って、孫を抱っこして、たくさんの大切な人たちに見守れながら安らかに眠ることか?」

「そ、そうでしょ……普通は」

「そうだ。普通はそうだ。でも、俺たちは端っから普通じゃねぇんだよ!」

 高校生にもなって四六時中兄にベタベタしてくるブラコンな妹と、そんな妹に恋しちゃってるシスコンな兄だ。普通なんてどこにもない。

「俺たちは一般的な幸せは享受できないかもしれない。でも、それでいいじゃねぇか。他の人からみれば笑われるような幸せでも、俺たちがそれで幸せなら。愛の形はいっぱいあるように幸せの形だってひとつじゃない。そうだろ!」

「おにぃちゃんは……普通の幸せのこと一個もできなくても……幸せなの?」

「俺は奈巳夏が恋人としてずっと隣に居てくれればそれでいい。奈巳夏は違うのか?」

「そんなの……」

 春陽の胸が温かい涙で濡れる。奈巳夏がそこに飛び込んできたからだ。

「おにぃちゃんと恋人になれるだけで、幸せに決まってる」

 胸が張り裂けてしまいそうだった。それくらいに今まさに春陽の体内には触れている奈巳夏からたくさんの幸せが送り込まれて、ぱんぱんになってしまっている。

「でも、ナミカがたち、これからどうすればいいの……」

「2人で家を出よう」

「でも、子供でしかない私たちにはどうしようも……」

「そうだ、だから約束をしよう」

 春陽は握っていた奈巳夏の手を離し、小指を絡める。

「大人になったら一緒に暮らそうって」

 奈巳夏は胸に埋めていた顔をあげて、春陽を見る。幾度となく見てきたはずのその顔が、昨日までとは違って見えた。

「なにそれ……」

 奈巳夏は絡められていた小指に力を入れて、繋がりがより確かなものにする。

「すっごく最高だよ、おにぃちゃん」

「だろ」

 うーそついたらはーりせんぼんのーます、と指を切ると、今度はぎゅぅっと抱きついてきて、春陽も奈巳夏をしっかりと抱きしめた。

 こうしていると幸せの形の輪郭がどんどんと明確になっていく。これさえしっかり心にもっていれば、きっともう迷うことはないだろう。

「なぁ、奈巳夏」

「んー?」

「その、まだ返事をもらってないんだが」

「なんのー?」

「……二度は言わないぞ」

「ふふっ冗談だって」

 奈巳夏は一度春陽から離れると、春陽に向かって手を差し出してきた。

「春陽、大好きだよ。こちらこそナミカと付き合ってください」

 その手を取ったかどうかなんて、言うまでもないことだった。


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