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7-1

 春陽があの場で告白をしなかったのは、授業の合間の10分休憩に告白なんてどう転んでも中途半端になるし、雰囲気だって良いわけではなかったからだ。決して直前にチキったわけではない。

 今から春陽がしようとしていることは石行さんが言っていたように、兄妹が付き合うなんていう不可能にも思えるようなことだ。

 だからこそ、ここはしっかりと準備を整えて、ロマンティックに決めるべきだろう。そんなことを言いつつ、春陽に与えられた時間は放課後までの数時間だけだったため、万全というわけにはいかなかった。

 けれど、やれるだけのことはやったと思う。スマホであれやこれやと調べて、考えて、想像した。

「それで、このバスはどこに向かってるの?」

「そりゃ終点の」

「聞き方が悪かったよ、ナミカたちはどこに向かってるの?」

「決まってるだろ。輝かしい未来だ」

 奈巳夏からの返答はなく、ドスンとバスが元気に返事をするばかり。

「おにぃちゃん……頭でも打った?」

 失礼な。渾身の返しをしたはずだったのだが、どうにも奈巳夏の感性には刺さらなかったみたいだ。

『次は、アスタリスクアクアリウム。アスタリスクアクアリウムでございます』

「水族館!」

 バズの車内アナウンスにネタバレされてしまったけれど、奈巳夏が喜んでいるようなにでよしとしよう。

 バスを降りると、美しいシロイルカの像がこちらに向かって手を降っていて早くも奈巳夏は大はしゃぎ。パシャパシャと2人で写真を撮る。

「それにしても、なんで水族館?」

 チケット売り場に並びながら、奈巳夏は至極真っ当な問いかけをする。

「ん? 前に家族で別の水族館行ったとき、イルカショーが中止になって悲しんでただろ」

「えっ、うそ! ナミカ顔に出してないつもりだったのに」

「バレバレだっての」

「うぅ~、流石はおにぃちゃん。でも……すっごく嬉しい」

 はじける笑顔に居心地の悪さを感じていたら、ちょうど春陽たちが買う番になって窓口に移動する。

「高校生おふたりですね。お会計は2800円でございます」

 奈巳夏がごそごそと財布を用意している間に、予め値段を調べて丁度の金額を用意していた春陽が即座に支払をする。

「こちらがチケットでございます。それでは幻想的でダイナミックな海の旅へ、いってらっシャチませ~!」

「いってきマンボウ!!」

 と、ノリノリで返事をした奈巳夏は財布から1400円をだす。

「いいって、今日は俺のおごりだ」

「えっ!? おにぃちゃんがおごるなんてこと今まで一回もなかったじゃん」

「一回もってことは……ないだろ、たぶん。それよりほら、見てみろよ」

 入った瞬間に春陽たちの目に飛び込んできたのは、圧倒的な存在感で水中を支配する海の王者シャチ。

「わぁ、でっか~! パンダみたいっ、かわいい!」

「いいか奈巳夏、シャチはあの図体のくせに泳ぎは世界最速級で、」

「見て見て、あれ水族館の前にいたやつ! やばっ、人魚みたいっ、かわいい!」

「いいか奈巳夏、シロイルカは海のカナリアって言われてくらい声がきれいで、おわっ!」

 興奮してる奈巳夏は春陽の手を取って目に映るもの全てに興味をもって、近づいていく。春陽が授業そっちのけで調べて頭にいれてきたうんちくの披露をする間もなく、好奇心旺盛に目を輝かせている。

 楽しんでくれているのは非常に良いことではあるのだけれど、想定以上に奈巳夏がはしゃいでいるため、これでは男女のデートではなく兄妹の日常になってしまう。

「あっちにペンギンいるって! いこーよっ」

 ペンギンはだめだ。『飛行機みたいっ、かわいい!』って言ってまた盛り上がってしまうに違いない。

 ここは水族館きっての神秘的で落ち着いた雰囲気が楽しめるあの場所に行って、一度仕切り直しを計った方が良さそうだ。

「奈巳夏、それよりもこっちのクラゲゾーンに行こう」

「えっ、でもおにぃちゃんが一番好きな動物ってペンギンでしょ。いつもだったら両手を挙げて真っ先に見に行ってるじゃん」

「今日はそういう気分なんだよ、ほら行くぞ」

 多少強引だったが、なんとか進路変更に成功する。

「きれーい……」

 他の展示スペースよりも数段暗くなっているその場所に来た途端、思わずこぼれてしまったというように、奈巳夏はそうつぶやいた。

 ぼぅっと夜の空にいくつもの月が浮かびあがり、のんびりと漂っているような様は異世界にきたような錯覚を覚える。漢字で書くと海月と書くのは伊達ではなく、うっかり『月がきれい』なんていう古臭い告白をしてしまいそうになる。

 ゆったりとした大人な時間が流れるここでは流石の奈巳夏もうっとりとしている。

 青く揺れる月明かりに照らされた奈巳夏はこの世のものとは思えないくらいに美しく、自分には手が届かない存在になってしまったような気がして、クラゲゾーンにきたのは間違いだったのもかしれない、なんて考えてしまった。

「時々思うんだ」

 奈巳夏に見惚れてしまっていた春陽は、突然口を開いた彼女の言葉に数秒遅れて相槌を打った。

「こんな風に流されるままに生きたら、楽なのかもしれないって」

 クラスで浮きまくってる奈巳夏の生き方は、流れに逆らうような生き方だろう。

「クラゲも充分に流れに逆らってるぞ」

「え? でも、説明書きにも水の流れが止まると、ただぷかぷか浮かんでいるだけか、底に沈んでしまうって……それくらい身を任せてるんだって」

「こいつらはな、サンゴやイソギンチャクの仲間なんだ」

 奈巳夏はそう言われとしゃがんでまじまじとクラゲをみる。難しそうに首を傾げているのは、あまり似ていないからだろう。

「本来なら海底にへばりついているだけだったのが、きっと海で自由に踊る魚たちを見て、自分たちもって進化して、今こうして見上げるだけだった存在に近づいたんじゃないかなって」

「そう……なんだ……」

 奈巳夏のクラゲに向ける眼差しが少しだけ変わったような気がした。

「それでこんなにキレイな景色を生みだしてるんだから、すげぇよ。いつか、それこそ魚みたいに泳げるようにもっと進化していくかもな」

「もっと……進化……でも、ナミカにはそこまでの勇気、ないかも」

「俺からすれば、奈巳夏の勇気はすごいけど」

「そんなことないよ、だって――」

『館内の皆さまにお知らせです。まもなく、イルカはイるよプールにて、海洋の豚~飛べない海豚(イルカ)はただの海豚~を行います』

「あっ! 待ってました! ほら行くよ、おにぃちゃん」

 勢いよく立ち上がったことで奈巳夏の立ち位置も変わり、その背後に伸びる濃紺の月影がたちまち引っ込んでしまった。

 奈巳夏は春陽と手を繋ぐと、イルカショーの会場まで今にもスキップしそうな歩みで移動する。

 天井にでかでかと吊り下げられるマッコウクジラの骨格標本を見上げながらエスカレーターに連れられた先には、潮風が水面を静かに揺らす深く広いプールが見えた。

 今にもプールに飛び込まん雰囲気で奈巳夏がうずうずとしているのがわかる。

「ほら、これ」

「うぇ!? いつの間に用意してたのっ。おにぃちゃんにしては気が利きすぎだよ」

 失礼なことを言う奈巳夏の言葉は聞き流して、春陽は自分の分のレインコート着る。

「どう、似合う?」

 奈巳夏は衣装を観客に見せるアイドルのようにその場でクルリと一回転をする。

「……それ聞く必要あるか?」

 どこにでもある透明のレインコートなんて、逆に似合わないやついないだろ。

「言うまでもなく可愛いってことだね」

 ポジティブシンキングで勝手に気を良くした奈巳夏は1番前の席へと着いた。水しぶき対策はしているものの、その席では流石に貫通してくる気がしてならない。それでも、奈巳夏はもう楽しみで仕方がないといった様子で足をぷらぷらと揺らしているから、春陽は隣に腰をかけた。

 平日とはいえ、水族館の目玉なだけはあってそこそこの賑わいを見せている。だが、一番前に座っているのは春陽たちを除いて小学生以下の子供しかおらず、やはり今からでも席替えをと腰を浮かせたのも束の間、場内に華やかなファンファーレが響き渡った。

 するといつの間にスタンバイしていたのか、プールの両端からトレーナーを乗せたイルカが水面を切り裂き、交差する。

 拍手や歓声が鳴りやまぬなか、畳みかけるように中央からイルカの先に乗ったトレーナーが水中から飛び出しアクロバティックに回転しながら着水した。

 隣を見れば、奈巳夏も大興奮で両の手を叩いている。

 一番前だからこそ感じられる迫力や臨場感みたいなものもあるのかもしれない。はしゃぐ奈巳夏を見ていると、やっぱり、まあいいか、という気分にさせられてしまうのは兄としての性か、それとも惚れてしまっているからだろうか。

 ダイナミックな動きのあとは、そのギャップを見せつけるかのような愛嬌を振りまきながらイルカの紹介などをしてまた激しいショーに戻る。

 春陽はどうにも奈巳夏の反応が気になってしまって、あまりショーに集中できていなかった。いつもなら隣で一緒にショーに熱中しているところだが、やはり今日は楽しんでもらいたいという気持ちが強いうえについつい見てしまう。

 だが、余所見をしている春陽に天罰がくだることになる。

「おにぃちゃん!」

 奈巳夏がプールの方を指差し、目を向けようとするのも間に合わず、水の塊に春陽は包まれる。

 心構えができていなかったがゆえに地上で溺れそうになり、苦しさから脱却したかと思えばレインコートの内側でびしょびしょになった服が肌に張り付く不快感がやってくる。

 しかし今は自分のことよりも大切なことがある。

「奈巳夏、だいじょう――」

 すぐ隣の光景に春陽は言葉を言い切ることができなかった。

「ク~ラ~ゲ~だ~よ~!」

 濡れた髪をいくつもの細い束にして前に垂らし触手に見立てた、頭がクラゲの妹がそこにはいた。

 そう、春陽が言い切ることができなかった理由は実にシンプルだった。

「ぷっ、あははっ。なんだよ、それ」

 ついついずぶ濡れになっている心配よりを、面白さが抜き去っていってしまったからである。

 そんな春陽を見て、奈巳夏は今日一番の優しい笑顔を見せる。

「やっと、いつも通りのおにぃちゃんが見れた気がする」

「えっ……?」

「今日のおにぃちゃん、なんか気を張ってるっていうか。微妙にいつも通りじゃない気がしてたんだよね。何があったとしてもナミカの前では自然体でいてくれて良いんだよ」

 やはりというかなんというか。奈巳夏には全てお見通しだったってわけだ。

「ナミカはどんなおにぃちゃんも好きだけど、やっぱり一番大好きなのは素のおにぃちゃんだからさ」

 その言葉で春陽は今日の自分の愚かさを知る。そうだ、奈巳夏相手にヘンに飾る必要なんてないんだ。

 そう思った途端に肩の力が抜けて、目の前のプールで展開されている荒々しくも繊細な技の数々も色づいて見え始めた。

 春陽はタオルを取りだそうとして、やっぱりやめて、プールの方に完全に身体を向けた。

 それ以降、奈巳夏のように、いや奈巳夏以上にショーに熱中していた春陽は、開演中に隣を見ることは一度もなかった。


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