6-3
自業自得ではあるが、現実とはままならないものである。
皆が弁当を取り出すなり、カフェテリアに向かおうと立ち上がろうとする中で、春陽は真っ先に教室をでて石行さんの教室に向かう。
間が良いことに、あるいは間が悪いことに、春陽が1組の教室の扉を開けると、目の前に石行さんがいた。
どうやらちょうど教室をでるところだったらしい。
「石行さ――」
言葉を言い切ることができない。空気が竦んで喉から出るのを躊躇ってしまうほどの眼光が春陽を射抜く。
「邪魔」
追い打ちをかけるように石行さんの言葉に身体を押され、春陽はドアの前から退かされる。
春陽の横をすり抜けていく石行さん。
自分の認識の甘さに反吐がでる。そもそも、どうして話をしてもらえると思ってしまっていたのだろうか。
春陽だって自分に酷いことをしてきた人間と話したいなんて思わない。
想像力が致命的に足りていなかった。毎回毎回自分本位で、相手の気持ちを考えらていないからこうなってしまう。
またしても春陽は石行さんが行ってしまうのをただ見ていることしかできない。
でも前回と明確に違うのは、このままではいけないと思っているということ。
だが、思うだけではなにも変えられない。願うだけでは相手の心は動かない。
結局のところ春陽にできることなんて何一つなかった。
「おにぃちゃーん、ご飯」
「はぁー……俺はご飯じゃない」
「そう? 食べちゃいたいくらい可愛いけど」
「本当に言葉のままの意味で言ったのかよ……」
春陽の心内など知ったことかと、奈巳夏はずるずると春陽をカフェテリアまで引っ張っていく。グズグズとしている春陽にはこれくらいの強引さが丁度良いのかもしれない。
「というか酷くない!? ナミカのこと保健室に置いていったでしょ!」
「ちゃんと目覚ましかけてやっただろ」
「むぅ~、そういう問題じゃないのに。そんなイジワルする人にはお弁当あげないよ」
「勘弁してくれ」
奈巳夏の弁当がないと春陽は午後を魂が抜けた状態で過ごすことになる。
「胃袋は完全に掴んでるから、おにぃちゃんがナミカに落ちるまであと一歩のはずなのに、その一歩が異様に遠いのはなんでなの……?」
奈巳夏の料理は世界一美味しい、なんていうと家族の贔屓目とかシスコンとか思われるかもしれないけれど、これは紛れもなく事実だ。もっともこの美味しいとは春陽の舌において、という注釈がつくけれど。
奈巳夏の料理は一般的な女子高生と比べたら、かなりの腕前に分類されるだろう。しかし奈巳夏より腕が立つ人は無数にいる。それでも春陽の好みに完璧にチューニングできる人間は世界にただ一人だ。
「本当に、よくやるよ」
いつか春陽が結婚して奈巳夏とは別々に暮らすことになったとき、奈巳夏の料理がない生活に耐えきれるのだろうか、なんてことを本気で考えてしまう。
「ふふん。伊達に10年おにぃちゃんのためだけに作ってきてないからね」
高校1年生にして料理歴10年、それもほぼ毎日というのは、なかなかいないのではないだろうか。
それにしても10年、か。その数字は春陽と奈巳夏が仲良くなった年数よりもかなり長く、だというのに奈巳夏は春陽のためにずっと料理をし続けてきた。
「奈巳夏はなんであのとき、一歩踏み出せたんだ」
あまりにも具体性に欠けた質問に、しかし奈巳夏は迷うことなく答える。
「ずっと機会を伺ってたからだよ」
あのとき――それは奈巳夏が春陽をいじめる奴等の前に立ちふさがったときのことだ。
春陽と奈巳夏はあのときまで、仲の良い兄妹ではなかったのに、奈巳夏は渦中に飛び込んで来た。奈巳夏はその前から春陽のことを想ってくれていたけれど、関ってくることはなかった。
「飽きっぽかったナミカと違って、勉強とか習い事とかず~っと頑張ってるおにぃちゃんが格好良いと思ってて、近づきたいと思ってて……ずっと待ってたんだよ。それで、あのとき、あそこで飛び出さなきゃダメって思ったから」
厳しい父親は春陽が奈巳夏と関わることで、勉強の邪魔になると考えていた。だから、奈巳夏はここぞというときまで我慢していた、ということか。
押してダメなら引いて見ろと言う言葉がある。今の春陽に必要なのは、不用意に首を突っ込むことじゃなくて、むず痒いとしても立ち止まることなのかもしれない。
奈巳夏の弁当を噛みしめた春陽は、その日、石行さんに会うことはなかった。




