4-2
心なしか足取りの軽い人たちが絶え間なく目の前を行き交う。
流れ続ける人並みになんだか落ち着かなくて、スマホを取り出した。奈巳夏とテーマパークに行ったときに2人してネズミのカチューシャをつけて撮った写真の上部に表示される時刻を確認する。だがこの場所に到着してからまだ数分しか経過していなかった。
スマホを消灯させると、暗い画面に反射して映る緊張した自分の顔とその背後に可愛いらしい女の子の顔が――。
「さくら!?」
「おはよ、春陽くん」
振り返ると同時に春陽は目を丸くする。それは砂漠のド真ん中で、美しい桜の木を見たような衝撃だった。薄っすらとピンク色が差す白いワンピースに身を包んだ少女が、あしらわれたフリルをふわふわと揺らしながらこちらに手を振っている。
「おーい、春陽くーん、おはよー?」
「あぁ……おはよう」
「ふふっ、驚きすぎだよ。スマホ、大丈夫?」
さくらは春陽が驚きのあまり落としてしまったスマホを拾って手渡してくれた。幸い、画面が割れていることはなく、点灯させれば相変わらず奈巳夏がこちらに向かって微笑んでいる。
「大丈夫そうだ。それにしても、いつから後ろにいたんだ」
「常に前向きな春陽くんだから、私はいつも後ろにいることになるかな」
「俺ってそんなポジティブ人間だったっけ。……まあ、それより今日はありがとうな」
一週間が次の一週間へバトンを渡す準備を始める土曜日。さくらは春陽のお花作戦への協力を申し出てくれて、今日はそのための買い物に付き合ってくれると、この間の英語の授業中に言ってくれたのだ。
流石にここまでしてもらうのはどうかとも春陽は思ったのだけれど、そもそもがさくらからの発案だったこともあり、お願いすることにした。
「それから……その服、似合ってる」
さくらは口をもにょもにょとしながら、ありがと、と呟いた。
「それじゃ行こっか、春陽くん」
家族以外の異性と並んで歩いた経験のない春陽の足は、少しでも気を抜いたらガタガタと崩れてしまいそうだった。でも、さくらに近づくと、彼女も緊張していることがなんとなく伝わってきて、しっかりしなければと自分を戒める。
「今日は忘れ物してないか?」
「ふふん、そもそも私が持ってこないといけないものなんてないからね。強いて言うならここにくるために必要なお金くらいだけど、ここに来てる時点でクリアしてるってわけ。私のことよりも自分の心配した方が良いんじゃない?」
「それは間違いないな。考えたんだけど、男の俺が花に関するものを身に付けるってちょっと厳しくなって」
「大丈夫、大丈夫」
さくらは迷うことなく進んでいく。既に行く場所に目ぼしはつけているみたいだ。一人だったらうろちょろするだけで何の成果も得られなかっただろうから、本当に頼んで良かった。
様々なお店が立ち並ぶ駅前の商店街。休日の人の多さはそのままこのあたり一帯の活気に還元されていて、歩いているだけで少しずつ気分があがってくる。
しゃれた構えの店々がさくらに来て欲しそうに見ているような気がした。可愛らしかったり、華やかだったりするそれらは、さくらがウィンドウショッピングしているだけで宣伝になりそうだ。
それでもさくらが立ち止まったのは、彼女に熱い視線を向けていた店ではない。さくらとは縁がなさそうにも思えるその店に、されど躊躇することなく扉を開ける。
とはいえ、そのスタイリッシュな雰囲気に彼女が浮くことはなかった。むしろ本来はそこに合うべき春陽の方が負けているような気さえする。
堂々とした立ち姿のマネキンが格好いいスーツを着て、やって来た春陽たちを出迎える。そう、ここは紳士服のお店だ。
きょろきょろとする春陽とは対照的に、やはりさくらはずんずんと店の奥へと進む。
「ここ、来たことあるのか?」
「ん、この間パパと一緒に来たんだ。そのとき見つけたやつ、ちょうど良いんじゃないかって……あぁ、これこれ」
さくらが指差す先に目を向ければ、ズラリと輝くネクタイピンが並んでいた。なるほどこれなら学校で男が付けるアクセサリーとしても全然アリだ。
ざっと見た感じ、数はそんなに多くはないけれど花がモチーフのものもあった。
「うーん、でもやっぱりちょっと俺には可愛いすぎないか……?」
「そうかな? 良いと思うけど」
さくらが春陽の胸元に順々にネクタイピンをあてがいながら、そう言った。
「ネクタイもあった方がイメージしやすいかもね」
そう言うとさくらは隣のネクタイゾーンへと足を向ける。
ネクタイなんて、制服以外にもっていないし、それ以外で使おうと思ったことがないので、その多彩な柄や色に少々驚かされる。
「えーっと、うちの制服に近いのは……これかな」
さくらは無地の赤いネクタイを手に取ると春陽に手渡す。こうして見ると、当たり前だが制服のネクタイって地味だなぁなんて思った。こんなにもいろいろな色のものがあるのに、学校では赤に画一化されている。
そういえば色の観点で見ると、ネクタイピンはシルバー系統ばかりである。
「あっ、そうだ。ピンの色がよくないんじゃないか?」
「なるほど、それはあるかも。すみませーん」
呼ばれることを予期していたようなスピード感で男性の店員がやってくる。
「あの、このネクタイピンって他の色ありませんか?」
「確認してまいりますので、少々お待ちください」
待つこと数分で、店員が戻ってきた。
「シルバー以外の色ですとこちらになります」
先端付近にバラのような立体の花があしらわれているピン。店員が持ってきたのはゴールド、レッド、ブルー、それから――。
「これ良いんじゃないか?」
春陽はブラックを手に取り、さくらに見せる。
「うん! いいかも。黒薔薇って格好いいイメージだしね」
「よし、それじゃあ、これください」
「決断はやくないっ!? 私だったら小一時間は悩むところだよ」
それは迷いすぎな気もすると思ったが、よく考えてみれば奈巳夏も買い物のときにかなり吟味する方だ。
「彼女さんはこう言っておりますが、どうなさいますか?」
「カノジョ!? 私が……!」
さくらは春陽の袖をちょいちょいと引っ張り、春陽の耳に口元を寄せる。
「この人、良い人だから買ってあげた方がいいかも」
将来さくらが悪い人に騙されないか心配になりつつも、春陽としてもこれでいいと思っていたので、結局買うことにした。
早速、成果が得られて満足気にお店を後にする。
「う~、でも、これでもう春陽くんとのお買い物が終わっちゃうのかー……」
「あぁ、それなんだけど……」
汚れ一ひとつないピカピカの白いヒールサンダルのつま先で地面のタイルをなぞっていたさくらが顔をあげて、どうしたの、と目で問いかける。
「ほら、さくらがやってた猫耳メイドって凄くインパクトもあって、良かったと思うんだ。そう考えると、ネクタイピンだけだと少し物足りないかなって」
「わ、私もそう思ってた! それなら……うん、近くのショッピングモール行ってみよ」
というわけで、春陽たちは移動を開始した。ショッピングモールは集合した駅前から見て、こことは反対側にあるので来た道を戻っていく。
同じ道ではあるものの、緊張が幾分か取れてきたからか、さっきよりも視野が広がっているのを感じる。
それによってたとえば、さくらへの視線の多さに気が付く。可愛い娘がいればついつい見てしまうのは、やはり人間の性なのか。
他にもたとえば、足元を走り回る小動物に気が付いたり――。
「猫がこっちに走ってきてる!」
「えっ、どこどこ、どこにいるの、春陽くん! ……あっ、あそこか~。でも、こんな駅前に野良猫?」
確かに、野良猫が現れる場所にしては少々人通りが多いような気がする。それにクリリとしたマスコットの瞳ではなく、キリリとした狩人の瞳をしている。
その理由はすぐに判明した。
「は、は、春陽くん……!」
さくらが小刻みに震えながら、春陽に袖を引っ張り、指を差す。
額にくっきりと『Ⅿ』模様がある特長的な茶トラである、その猫を指差しているのかと思えば、それよりも少し前だった。そしてそこには、猫よりも小さな動物が駆けていて――。
「ね、ね、ね……ネズミいやぁーーーー!」
「さくら!」
猫から逃げるネズミ。そしてネズミから逃げるさくらという奇妙な構図ができあがる。
春陽も慌ててさくらを追うが、ネズミに抜かれ、猫にも抜かれ、やがてその2匹と1人は路地裏に行ってしまい見失う。
曲がり角が多いが一本道の路地裏を抜けると、少し大きな通りに出たが、その頃にはもうどっちに行ったのかもわからなくなっていた。
「はぁ……はぁ……まじか……さくらってあんなに足早いのか?」
あるいはこれが火事場の馬鹿力というやつなのかもしれない。
疲れてしまったが、のんびりとしている暇はない。どうにかしてさくらを見つけないと。
「いやいや、まだ焦る時間帯じゃない。今時、はぐれたとて困ることなんてないんだから」
春陽はスマホを取り出しSNSの通話開始ボタンをタップする。コール音が何回か響いても出ないので、いまだに追われていて切羽詰まっているのかと少し心配になったが、10回目くらいのコールでようやく繋がる。
「さくら、だいじょうぶか!?」
『はい、桜紙叶羽の母ですけど』
「えっ、お母さん!?」
『あなたの母になったつもりはありませんが……いえ、そういえばこの着信音、いつも聞くのと違うし、この人の着信音だけ変えてるってことはもしかして叶羽の大切な人、それも男性となれば彼氏……? 初めまして、あなたの未来のママです』
「淡々と自信満々に分析してますけど違いますからね!?」
『あら、今日の叶羽は随分と気合いを入れて出掛けていったのだけれど、その相手があなたではないのかしら?』
「それはそうですけど」
『ということはもしかして叶羽はこの男に弄ばれてる……? 汚らわしいわ』
「なんか悪者にされてる!?」
なかなかにパンチの聞いた母親で、ペースが乱されてしまっているが、コントに付き合っている場合ではない。
「あの、さくら……叶羽さんはもしかして家にスマホを忘れて行ったってことでしょうか?」
『まさか、スマホがないのをいいことに叶羽を誘拐しようと……!』
「すみません、もう切りますね」
『あっ、ちょい待ち――』
春陽は溜息を吐いてスマホを仕舞いながら、さくらと待ち合わせ直後の会話を思い出す。忘れ物をしているわけがないと豪語していたが、さくらはやはりさくらだったということだ。
とりあえずなんの手がかりもないため、そのへんの人に聞いてみることにした。
「あの、すみません」
タピオカミルクティーの露天販売を見つけたので、その人に声をかける。
「いらっしゃい。タピオカミルクティーひとつね。600円になりまぁす」
キッチンカーから元気な若い女性の声が降ってくる。
「いや、あの、聞きたいことが――」
「600円になりまぁす」
ニコニコとした笑顔の強い圧力と、ふわふわとしたミルクの甘い香りに春陽は仕方なく財布に手を伸ばす。
「お買い上げありがとうございまぁす。こちら400円のお返しです」
「あの、少し前にこの女の子が通りませんでしたか?」
春陽はお釣りを受け取ると、すかさずスマホでアルバム開く。奈巳夏が写っている写真ばかりのなか、新学期にクラス全員で撮った写真を見つけ、拡大して店員に見せる。
「あぁ、この娘ならさっきあっちの方に行きましたよ。はい、こちらタピオカミルクティーのキャラメルマシマシサトウマシミルクマシマシタピオカオオメね」
「ありがとうございます」
タピオカミルクティーの悪魔が出てきそうな呪文の商品を手に、春陽は言われた方向に走り出す。「少年よ、告白ガンバ」という言葉に背中を押し出されたので、ガンバという三文字だけを背負う。
先ほどの道に比べれば、この道は幾分か人通りが少なくスイスイと進んでいく。しかし進めど進めど、さくらのさの字も見当たらない。
どれだけネズミに追いかけられているのだろうか。もし、まだ逃げているのなら助けてあげたい。とはいえ、その姿を捉えることすらできていない現状で春陽にできることなどなかった。今はただ、ひたすら追い付くことを願って走り続けることしか――。
いや、待てよ。さくらが春陽に追い付こうとしているように、猫もネズミに追い付こうとしている。ネズミではなく、猫をどうにかすることができれば、ネズミはさくらの方に行くこともなくなるのではないだろうか。
春陽の脳裏には、今日は一緒にいないのに、スマホから何度も登場している奈巳夏の顔が過った。そして奈巳夏の匂いは猫を惹きつける力がある。この間は惜しくも失敗したものの、それが可能であることは実証済みだ。
春陽は立ち止まり、ボディバッグから筆箱を取り出す。さらにその中から一本のシャーペンを手に取る。これは春陽のシャーペンである。だが、奈巳夏は定期的に春陽の筆記用具を自分のものと取り換える訳のわからない行為をしている。そしてこのシャーペンはつい昨日、奈巳夏から戻ってきたものだ。奈巳夏の匂いは充分に沁み込んでいると言える。
奈巳夏の意味不明な行動には困らされることが多いけれど、偶には役に立つ。
春陽はシャーペンを上下に力いっぱい振る。少しでも奈巳夏の匂いが振りまかれるようにと。
子連れの母は、子供と春陽の間に入り早足で去っていく。会話に困っていたカップルはひそひそと話し始め、やがてクスクスと笑う。
道端で不可解な行動を始めたのだから当然だ。春陽だってこんなことに本当に意味があるとは思えない。それでもこのまま闇雲に走り回るだけでは体力が削られるばかりだ。
カチカチカチと一振りするたびに芯が少しずつシャーペンからでていく。停滞している現状よ変われと、願うように振り続ける。
やがて飛び出した芯がわずかな音を立てて地に落ちた。
それと同時に春陽の目の前に現れる。額にくっきりと『Ⅿ』模様がある特長的な茶トラの猫は、見紛うことのないさっき見た猫だ。
猫の視線は上下するシャーペンに釘付けだったが、春陽と目が合った瞬間に、ぷいっと春陽の横をすり抜けて行ってしまった。
猫と戯れるチャンスをまたしても逃してしまった悔しさはあるものの、春陽の狙いは達成された。
もう、さくらがネズミに追われていることはないだろう。とすれば、もうすぐそこらへんにいるはずだ。
春陽は注意深くあたりを見回しながら歩き始める。追いかけっこに疲れたさくらが、道の端っこで休んでいるかもしれないし、あるいは、こちらに引き返してくるかもしれない。
しかし、ここで問題が発生した。そう、道が二手に分かれたのである。ここまでは一本道だったから良かったものの、こうなると50%を外してしまえば会えなくなってしまう。
となれば、流石にここで待っている他にないか。あまり待つという手段は使いたくなかった。というのも、さくらほど可愛いらしい女の子を一人にしてしまうのは心配だったし、それにさくらは明らかに新品のサンダルを履いていた。あの靴を履いて全速力で走れば、怪我をしてしまう可能性が高い。
とっくに引き返してきて春陽とすれ違ってもおかしくないというのに、いまだに会えないのは、そういった何らかのトラブルに巻き込まれているかもしれない。刻一刻と過ぎていく時間がそのまま不安になっていく。
春陽は左右二つの道を交互に見比べる。何か手がかりになるものはないか、目をよく凝らす。ネズミでもちょろちょろしていれば良いものの、そんなに都合の良いことはなかった。それどころか、今の春陽にとっては少々都合の悪いものを見つけてしまう。
「……すんっ……ぐすんっ……」
右側から小さな男の子がひとり、とぼとぼと歩いてくる。
「聞こえない聞こえない。何も見てない何も見てない」
春陽は左側の方に身体を向けて、目を瞑る。
「うえーん……うえ~~~~ん!」
今ここで春陽がいけば、さくらとの合流が絶望的になってしまう。頼む、頼むから誰かあの子を――。
「キミ、どうしたんだい」
そんなことを祈りながら、結局春陽の身体は男の子の目の前に移動していた。話を聞くだけだ。話を聞いたら、そのへんのお店にでも押し付けよう。
「…………」
「おい、大丈夫かい? パパやママは――」
「ふえぇぇぇ………! 知らないおじさんに話しかけられたぁ」
「おじ……」
春陽は自分の頬に手を当てる。もしかしてこの短時間の間に玉手箱でも開けてしまったのだろうか。そうでなければぴちぴちの高校生である春陽がおじさん扱いされるはずない。元からそんなに老けてるなんてこと、ないよね……?
そんなことを考えている間も、男の子が泣き止む様子はない。このままでは埒が明かず、どうにかしないとと思っていたら、風が吹き、ふわふわとしたミルクの甘い香りが春陽の鼻孔をくすぐる。
「ほら、これでも飲んで落ち着くんだ。甘くて美味しいぞ」
左手に持っていたタピオカミルクティーの存在を思い出した春陽はその子供に手渡す。
「すん、ぐすん……ちゅー……ぷはぁー。……おいしい」
ようやく泣くのをやめたのでとりあえず胸を撫でおろす。
「ちーが……」
「え?」
「ちーがいなくなっちゃって……!」
ちー、というのはなんだ。ペットの犬か何かだろうか。
「おじさん、一緒に探して!」
「あぁ、悪いが俺も忙して、とりあえずそのへんの――」
「妹が! いなくなっちゃったんだった!」
ビリリと春陽の身体に電撃が走る。それは話を聞くだけという思考を焼き切ってしまった。
「少年よ、妹を探すぞ」
「いいのっ?」
「ああ、任せろ。いや、最早探すまでもない」
春陽はすぐそこにあった地図の掲示板を見る。春陽ぐらいの兄力をもってすれば、地図から妹の行き先を当てることなど造作もない。
「こっちだ」
春陽は少年の手を引き、小走りをする。少年が来た道を引き返し、少し行ったところで曲がる。
すると、これまで慌ただしく動いていた春陽へリフレッシュを促すように緑が並んでいる。草木が作り出すキレイな空気を胸いっぱいに吸い込みながら、柔らかな土の地面をとんとんと踏んでいけば、ばっと視界が開け、大きな公園がほくほくと手を広げていた。
「ちー」
「あっ、おにぃちゃん!」
少年を春陽の手から離れ、妹の元へ駆ける。そして――。
「春陽くん!」
入れ替わるように春陽の手を取ったのは、探していたさくらだった。
「おねぇちゃん、ありがとー!」
無事に兄と合流できたちーちゃんがさくらに向かって手を振ると、さくらも笑顔で振り返す。となりにいる少年を見やれば、春陽に向かってぺこりと頭を下げて、そうして2人で手を繋ぎ公園の出口へと向かう。
「無事にネズミから逃げられたんだけど、そしたら迷子の女の子を見つけちゃって……」
どんな運命のいたずらか、さくらも春陽と同じような状況になったらしい。
「ごめんね、春陽くん。私がスマホ家に忘れちゃったから」
「いや、むしろそのおかげで、あの少年の妹を救えたんだ」
「春陽くんのシスコンって奈巳夏ちゃんに対してだけじゃない!?」
「い、妹を守るのは兄の務めなだけだ」
春陽は小さくなっていく2人の兄妹の背中を見る。年齢は聞いていないけど、おそらく2人とも小学生だろう。もしも在りし日の春陽があの少年と重なっていたならば、全然違う今がここにあったのではないだろうか。
「春陽くん……?」
「あぁ、悪い。2つの問題が一気に片付いて、ちょっと気が抜けてた」
実際、2人の人探しが同時に見つかったのは僥倖だった。一歩間違えれば、今日はもうさくらとは会えない、なんて事態になっていただろう。
「さくらは大丈夫か? 怪我とか、あとは単純に疲れたりしてないか?」
「ふふっ、私は妹じゃないんだよ。心配しすぎだって。気遣ってくれるのは嬉しいけどね。だから……買い物の続き、しよ?」
「あぁ、そうだな」
春陽たちは踵を返した。最後に振り返って2人の兄妹を見ようとして、やっぱりやめて歩き出す。
公園にところどころ咲いている花を眺めれば、本来の目的をしっかりと達成しなければと心に火が灯る。
人の熱は伝播する、というわけでもないだろうが、隣に目を向けると妙にさくらも張り切っているように見えた。
その視線に気が付いたのか、さくらは少し照れたように笑う。
「嬉しかったんだ、私。春陽くんが迎えにきてくれて」
「えっ、いや、そりゃあ当然だろ」
「そうかな。勝手に走ってどっか行っちゃって、しかもスマホも家に置いてくるようなポカまでしてて……怒って帰っちゃったとしても不思議じゃない。そうじゃなくたって、その場に留まって私が戻ってくるのを待つ人がほとんどなんじゃないかって思うの」
「冷静に考えれば、その場で待つほうが正解な気もするけど」
「そうかもね。でも、正解が最良とは限らないでしょ」
公園で遊ぶ子供たちの無邪気な声が響く。行動に対して正しさなんてものを考えるようになってしまったのは一体いつからだろうか。
「とにかく私は嬉しかったから、しっかりそのお返しをしないとね」
まっすぐに春陽を見るその目から逃れるように、春陽はボディバッグからシャーペンとメモ帳を取り出し、カキカキと数字の羅列を記すと、さくらに手渡した。
「これって、電話番号?」
「俺のスマホの番号」
電話番号を知っていれば、もしまたはぐれたりしてもなんとかなるだろう。
「……ありがと!」
「言っておくがそのメモ失くしたら元も子もないからな」
「ふふーん、もう覚えました~」
さくらは丁寧にそのメモを折り畳み、ポシェットに仕舞った。あまりに大切そうにするものだから、その所作をじーっと見てしまう。だから、ポシェットを閉め、顔をあげたさくらの目がある一点で一瞬だけ静止したのを、春陽は見逃さなかった。
「あぁ言うの好きなのか?」
「えっ?」
「だからその、コスプレとか」
さくらの目が捉えたものは、コスプレ専門店だった。
「好き、というか、最近少しだけ興味ある、っていうか……ヘン、かな?」
「女の子が自分を着飾ることはヘンじゃないし、コスプレだってそれの一種みたいなものだろ。でも最近ってことは何かキッカケでも……って、そういえば」
さくらがしていた猫耳メイドもコスプレの一種だろう。もしかして、あれで興味をもったのだろうか。
「元々は、春陽くんに喜んでもらいたくてやってみたんだ」
春陽たちは店の前で止まる。ガラスケースに展示されている軍服のようなものを見ながらさくらは話しを続ける。
「でも、いつもと違う格好になったら、いつもと違う自分になれたような気がして、それで、なんだかとっても勇気をもらえた。だから私は一歩を踏み出せた」
コスプレ姿を見せるという方が緊張しそうだと春陽は思っていたが、それが逆に力になっていたのか。
「せっかくなら春陽くんもやってみない?」
「え? いや、俺は……って、さくら」
さくらは春陽の手を引いて店の中へと入った。そこはまるで多種多様な世界観を次々に鍋に放り込んだような空間だった。
ナース、サンタ、巫女などの定番を始めとして、流行りのアニメを模した服、それにウィッグやらメイク用具やら、新しい自分になるための道具がすべて揃っている。
「春陽くんだって、インパクトが欲しいって言ってたでしょ? これこそインパクトの塊でしょ」
「そりゃそうだけど……石行さんが喜びそうなコスプレなんて全くわからんぞ」
「えーっと……花?」
「それはむしろ石行さんにして欲しいくらいだろ。流石に俺に花は無理だ」
しかし、入ってしまったからにはと、春陽も商品を眺めてみる。奥の方には男性用コスプレコーナーもあり、そちらに足を伸ばした。
可愛いが溢れていた女性コーナーとは打って変わって、武士やドラキュラ、海賊など野蛮なものや格好いいものが目立つ。
いつもと違う自分になり勇気をもらう、という名目は達成できそうであるものの、だからといって肝心の石行さんにひかれてしまっては意味がない。というか冷静になればなるほど、どのコスプレをしてもひかれるだろうという結論にいきつく。
異性へのアプローチ方法としてはさくらほどの可愛いさがあってはじめて、許されるか許されないかのラインだろう。明確に相手の好きなものがわかっているならば話は別だけれど。
諦めて奈巳夏に似合いそうなコスプレでも探すか、なんてことを考えて男性コーナーを離れようとした瞬間、後ろ襟を掴まれてひっくり返った蛙のような声が出る。
「春陽くん……春陽くん! これ……!」
「どうしたそんなに嬉しそう顔……し……て……っ!」
春陽とさくらを2人して顔を合わせる。
「「これだ!!!」」