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3-2

 石行さんのことを少しは知ることができたのは良かったものの、結局どうしてサボったのかはわからずじまいだった。

 息抜きにはなったと言ってくれたから少しは力になれたと信じたいけれど、根本的な解決には至っていない。

「おにぃちゃん! 聞いたよ、授業サボったんだって」

 朱宮先生にみっちりと怒られ解放さえたと思ったら、また怒られている。

「なんでナミカも誘ってくれなかったの!」

「いや怒るとこそこ!?」

 様々な食べ物の匂いと喋り声が行き交うお昼のカフェテリア。その中でも春陽が箸でもっているたまご焼きからはだしのにおいがふわりと鼻に香り、奈巳夏の怒声がズシリと耳を震わす。

「おにぃちゃんは学校の教育体制の欠陥について考えたことある?」

「急になんだよ。欠陥? そうだな、全員が歩調を合わせないといけな――むぐぐっ」

 全然違うよと言わんばかりに、奈巳夏はたこさんウインナーを春陽の口に突っ込んでくる。うまい。奈巳夏が作った弁当で不味かったことなど一度もないから当然ではあるが。

「ナミカとおにぃちゃんが同じ教室で授業を受けられないところだよ。まったく2人を分かつ悪魔の所業と言えるね」

 春陽がしょっぱくなった口に海苔がのった米を運んでいる間も、奈巳夏は喋り続ける。

「つまり授業をサボることはその欠陥を解消できる最高のイベントってワケ! わかる?」

「なるほど。わからん」

 麦茶で口の中を洗い流し、お口さっぱり頭もリフレッシュな状態で思考してもやっぱりわからない。

「はぁ~、おにぃちゃんってばわからず屋なんだから」

「ふん。俺には奈巳夏の方がわかってないと思うけどな」

「……へ?」

「奈巳夏は織姫と彦星はなぜロマンティックなのか考えたことがあるか?」

「神様に年に一度会っていいよって言われてるけど、二つの星の距離は14光年も離れてるから、一年に一回会うなんて、とても無理なところでしょ」

 そこは神様のなんかめっちゃすげぇ力で光より早く移動してどうにかこうにかするんだよ。

「つまり俺が言いたいのは会えない時間があるからこそ、会える時間のかけがえなさが際立つってことだ」

「! なるほど、おにぃちゃんはそこまで考えて授業をサボるのにナミカを誘わなかったんだね……」

 奈巳夏はようやく怒りを収めたようで、プチトマトをぷちぷちと食べる。

「ときに奈巳夏」

「んー? あっ! あーんして欲しいんだね。ごめんごめんナミカってば気が付かなくて。はい、あ~んっ」

 全然違う。春陽は差し出されたアスパラのベーコン巻きを咀嚼してから口を開く。

「奈巳夏はプールから逃げたいって思うときはあるか?」

「逃げたい、か……うーん」

 石行さんはあのとき、逃げたと言っていた。プールの授業を受けたくない理由ならばいくつか思いつくのだけれど、どれも見学すれば大抵のことは大丈夫だと思えてしまう。なぜプールに限って石行さんはそうせざるを得なかったのだろうか。

「ニュースでプールの事故とか見たあとだと、ちょっと怖いなって思うときはあるかも」

 なるほど。だが、最近そんなことあっただろうか。毎日ニュースは見ているけれど、少なくとも春陽の記憶にはない。

「隣いいかな?」

「だめだよ」

 お盆を手にしてやって来たさくらの問いかけは、脊髄反射のスピードで奈巳夏が却下する。

「私、奈巳夏ちゃんとも仲良くなりたいなぁって」

「ふんっ、別にナミカはあなたなんかと――」

「ぜひ座ってくれ、さくら」

 なぬっ!? という驚きと、わーい!! という喜びの声が重なる。どちらがさくらでどちらが奈巳夏であったかは言うまでもない。

 さくらは春陽の隣に座ると、いただきますと手を合わせて、箸をわかめそばへと伸ばす。

 正直、まださくらに対する緊張はあるけれど、少しでもそんな素振りを見せれば奈巳夏が騒ぐこと間違いなしなので、平静を装う。

「ナミカとおにぃちゃんの貴重な時間が……」

「ありふれた時間だろ」

 貴重というには春陽と奈巳夏は時間を積み重ねすぎている。

 春陽の対面は得意げで、隣では羨ましげな顔が浮かぶ。

「つかあれだ、そろそろ奈巳夏も友達の1人や2人、作るべきだろ?」

春陽にも友達はいないけれど、知り合い以上友達未満はたくさんいるから、何かと困ることはない。 

 ただ奈巳夏は、下手したら全員が知り合い未満というレベルかもしれない。

「奈巳夏ちゃんの性格だったら、たくさんできそうだけど」

「とことん他人に興味を示さないからな。最初は集まってくるんだけどすぐに誰も寄り付かなくなるんだ」

「友達なんて、いらないよ」

 ぷいっと奈巳夏はそっぽを向く。

 取りつく島のなさに、話題を変えた方がいいと判断したさくらは、何かないかとあたりを見回す。

「あっ、華ちゃんだ」

 春陽がカップを置くのと同時に発せられたさくらの言葉に、咄嗟に石行さんを探す。あんパンひとつ片手にカフェテリアの出口へと向かう姿がすぐ目に止まった。いつも通り背筋をしゃんと伸ばし、すたすたと歩いている。

「さっきのプールのとき居なかったから何かあったのかと思ったけど、あの様子なら大丈夫そうかな」

「なんで休んだのかわからないのか?」

「うーん、そうだね。更衣室に行ったときは居たんだけど、私が着替えてる間に飛び出して行ったみたいで」

「誰かと喧嘩した、とか?」

「けっこう華ちゃんの近くで着替えてたけど、誰とも喋らないどころか目すら合わせてなかったと思うけど」

 やはり春陽の予想通り、いじめとかではないようだ。

「むぅ、おにぃちゃんが他の女の動向を気にするなんて」

「いや、ほら……本人にそのつもりはなかっただろうけど、石行さんには昨日、下駄箱で助けてもらっただろう? その人が良くない目に遭ってるんだとしたら、気にもするだろ」

「それは、たしかに……」

 奈巳夏にも感謝の気持ちがあるにはあったらしく、アスパラのベーコン巻きを縦にもそもそと少しずつ齧るようにして食べ、飲み込んだ。

 春陽は話を戻そうと隣を見ると、さくらが顔を曇らせている。

「どうかしたのか?」

「えっ……あぁ、その……華ちゃんが飛び出して行ったのと、似たようなことが昔あったって思い出しちゃって」

「似たようなこと?」

「そう。小学生の頃の同じクラスの女の子の話なんだけどね。その子もプールの授業のとき、更衣室で突然どっか行っちゃって。あとから聞いたんだけど、その子は家庭環境が酷くて――」

 DVを受けていた。そして質の悪いことに、周囲に悟られぬよう服で隠れる場所ばかりに暴力を振るっていた。さらに抜かりのないことに、プールの授業が近いとあってしばらく暴力は控えられていたのだった。

 しかし女の子は治りきっていなかった傷を着替えているときに見つけてしまったのだ。

 DVを誰にも打ち明けられない子供は多く、その子も例外ではなかった。だからその子は慌てて更衣室を後にしたのだ―― 

「おにぃちゃん?」「春陽くん?」

 突然立ち上がった春陽を見上げ、2人が自分の頭上にクエッションマークを浮かべる。

「ちょっとトイレに行ってくる。もしかしたらそのまま始業時間になるかもしれないし、2人は先に教室に戻っていてくれ」

 腰を浮かせている奈巳夏に肩に手を置き座らせると、春陽は走り出す。確実に今、トイレまでついてこようとしていた。この2人だけにするのは少し悪いけれど、さくらなら上手くやってくれるだろう。

 トイレを素通りし、階段を上る。賑やかで騒がしいお昼休みの校舎は、朝とはまた違った趣があるけれど、今はそんなことを気にしている場合でない。石行さんのことだ。

 石行さんの家族仲は、良好であるように思えた。実際に家族でいるところ見て、石行さんから話を聞いて、そう結論付けるのはいたって普通のことだろう。

 でも、それがただの一面に過ぎないのだとしたらどうだ。嫌な予感が春陽の心を追い立てる。家族の問題を前に春陽にできることはないだろう。頭ではわかっているのに、首を突っ込まずにはいられないほどの衝動が春陽の足を駆けさせる。

 『2-1』と書かれた表札の下にあるドアに立ち、春陽はドアを開ける。

 昼休みだから他クラスの人間が教室に入ってくることは珍しい話ではないだろう。誰も気にした様子はない。

 教室を見渡すまでもなく、入口のちょうど対角線にある席、一番後ろの一番端の席で、食べかけのあんぱんを片手になにやら小説を読んでいる石行さんを発見する。

「あなたの心の醜悪さを一房、この鏡に映してみたとき、それはきっと美麗になる」

 石行さんは驚いて本から顔をあげて、目の前に立つ、たった今言葉を投げかけてきた春陽を見る。

「俺もその小説、読んだことがあるんだ。今の一節は印象的でよく覚えてる」

 石行さんは半眼になって溜息を吐くと、またすぐに小説に目を落とした。

「い、石行さん!? その、こんばんは。ちょっと話したいことがあって」

「見てわからない? 今、読書中なの。静かにしてくれない?」

 会話を拒否するように、あんパンを口に放り込んだ。

「ほら、石行さんの代わりに先生に怒られてあげたから少しくらい聞いてくれても……」

 再び石行さんは目線をあげ、あんパンを流し込むように紙パックの牛乳を飲む。

「……なんのはなし」

 と、興味なさげに問うた。

「その、ここじゃちょっと」

 石行さんはちらちらと教室を見回し、溜息を吐くと、めんどくさ、と呟いて立ち上がる。それから無言で廊下へと歩き出す。背中には話したきゃついてこいと書いてあるような気がしたので、春陽は黙って後ろを歩く。

 けだるげな応答とは裏腹に、やはり歩くときは姿勢よくきびきびとしていた。そんな姿に見惚れていると、急に立ち止まった石行さんの背中にダイブしそうになり、あたふたしていた春陽は、石行さんにヘンな目で見られた。

 気を取り直して石行さんが止まった場所を確認すると、さっき石行さんと話しをした校舎裏だ。ここなら他に誰もいない。

「で?」

 昼休みもそう長いわけではない。さっき読んでいた本について語り合いたいところだが、早速本題に入ろう。

「その、どうしてプールの授業休んだのかなって」

「はあ? そんなのメンドーだったからだけど?」

「本当に?」

「仮に本当じゃなかったとして、あんたには関係ないでしょ」

「あ、あるよ……」

 ピクリと石行さんの眉が動く。

「俺は、石行さんが休んでいるのにつられて授業を休んじゃったんだ。だから、石行さんが休む理由は直接俺が休む理由になる」

「そ、そんなのあんたが勝手に……!」

 流石に無茶苦茶な言い分すぎただろうか。もっと良い返しがあったのかもしれないけれど、今の春陽には思いつかないし、一度でた言葉をやり直すこともできない。

「悪かったわね。授業サボらせて」

 呆れられて帰らえれるまであると思っていたのに、返ってきた言葉はまさかの謝罪だった。

「そのワケわからない口車に乗せられてあげる。実際、あたしがサボらなきゃあんたもサボらなかったのは本当だろうし。それに、あんたがあたしをガチで心配してるのもなんとなくわかる」

「わかってくれて嬉しいよ」

「まあ、ストーカー行為が教室に来るまでエスカレートされりゃね」

「だからストーカーじゃないって!」

 あはっ、と笑う石行さんは少しだけ、家族といるときに見せた笑顔に近いような気がした。でもあのときの笑顔も仮初かもしれなくて……。

「もし、プールの授業であんたの周りが全員女子だったら、どう思う?」

「えっ? それは……恥ずかしくて無理、って、そうか!」

 もう少し春陽に想像力があれば、わざわざ石行さんに聞かずともわかったのかもしれない。

 春陽にとって女子に囲まれるのが恥ずかしいのは女性が恋愛対象だから。そしてそれは石行さんも同じ。それに更衣室では通常の体育とは違ってみんなが全裸になるわけで……。

 でも、だとしたら、

「石行さんはやっぱり逃げたわけじゃないんだね」

「はぁ? どうしてそうなんの」

「だって、石行さんはみんなのために、自分がでて行ったんでしょ」

 自分が〝そういう目〟で見てしまうのが悪いから、見られる側のことを考えて。

「べつに。チキンなだけだし」

 そんな風に顔を逸らす石行さんの表情はいつもより愛らしく春陽の瞳に映った。

「それにしても、良かったー……」

「はぁ、なにが?」

「いや、その……石行さんが親とかから暴力振るわれてて、身体に傷が残ってるのかなとか思っちゃって……」

 ぷっ、あははっ! と石行さんは吹き出す。

「そんなワケないじゃんっ」

「そ、そんなに笑わなくても……」

「プール休んだくらいで発想の飛躍しすぎだって」

 まあ石行さんが笑ってくれているなら、それで良いか。

 いや、本当は良くなどはない。石行さんのプールの問題は理解しても、解決はしていない。着替えの度に、いやもしかしたら、それ以上にいろんなところで、今のままではまた石行さんは困ることになる。ただ、こればかりはどうしようもないことだ。

 石行さんが自分の中で折り合いをつける以外に方法はないのだから。

「んじゃ、用はそれだけ?」

「えっと、うん……」

「そ。じゃ、あたしはこれで」

 遠くなる石行さんの背中を見ながら、春陽は考える。

 ひとつだけ、あるにはある。石行さんの問題を解決に導く方法が。それは春陽の願望が成就すること。即ち、石行さんに春陽のことを好きになってもらうのだ。

 そう、石行さんの恋愛対象が女性ではなくなれば良いのだ。春陽の恋心が、もしかしたら彼女を救うに至るかもしれない。もっともそうなれるかは、今後の春陽次第ではあるものの。

 太陽が流れる雲に隠れ、なんとなく肌寒く感じる身体を手で摩る。

「あれ、そういえば……」

 石行さんはどうして今回だけ、プールを休んだのだろう。今年のプールは今日が初めてだけれど、去年もあった。いや、去年はまだ石行さんはそこまで女の子を意識していなかったという可能性もあるし、考えすぎか。我慢して入っていたという可能性もある。

 春陽の思考は流れる予鈴の音と一緒に、左の耳から抜けていった。


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