5.飢えた狩人に獣肉
「動物」ではなく「モンスター」が跳梁跋扈するようになった世界でも、森や植物がある所には水辺が存在するものらしい。
そうでなければ木々など育たないし、ツカサ達人間にも水が存在すると言うのはとてもありがたい事なのだが……この世界の「自然にあふれる水」というのは、昔の世界よりも抵抗が有って。
「…………これ、ホントに大丈夫? 大丈夫な水なのか?」
「うるさいなぁ、今調べるから待っててよ」
ツカサ達が辿り着いたのは、森を割って唐突に流れ出ている小川だ。
周囲は完全に森で囲まれており、川は水底に小石を敷き詰めているものの、両面は剥き出しの土の地面でとてもではないが「普通の川」という感じはしない。
唐突に森の大地を割ってさらさらと流れている透明な水は、今や寧ろ怪しい対象だ。「何か土から毒素が染み出してるんじゃないか」とか「綺麗だけど雑菌がウヨウヨいるんじゃないか」という事を考えてしまう。
それも先程の「トラジマウマ」の異様さがトラウマになっているからなのだが……。
(……うん……いや……ダジャレ……?)
アホな事を考えている間に、ブレックは何やら薄手のビニール手袋のような物を取り出し片手に嵌めた。そうして、その手袋を付けた手を川に浸す。
「それ、何してるんだ?」
「水質を判断してるんだよ。この手袋は、こうして手を浸すだけで人体に危険な物質が含まれていないか判断出来るんだ。草木灰をたっぷり混ぜた熱湯で洗わなきゃいけないのがネックだけどね」
「へ~、それも【旧世紀の遺物】かぁ……って、それがあるならモンスターの肉も調べられるんじゃないの?」
そう言うと、ブレックはジロリとツカサを睨んだ。
「一回使うごとに洗わなきゃ行けないんだよ。炭を作るのも面倒臭い世界なのに、おいそれと使えるワケがないだろう。そもそも、モンスターの肉は仮に毒素が無くたってコロニーまで持って行く間に腐るんだ。そんな意味のない事に使うなんて無駄の極みだよ」
「はー……さいでっか……」
本当に、ああいえばこう言うオッサンだ。
しかしまあ、相手の言い分も納得できないでもない。何度も使えるとは言え、貴重な物品なのだ。それなら、水と肉どちらに使うかは火を見るより明らかだろう。
人と言うものは、肉は我慢出来ても水は決して我慢出来ない。
モンスターが食肉になり得る存在だとしても、水と比べれば優先度は低いものだ。
(とはいえ……食べられるかもって可能性だけで俺を毒見役にするって、このオッサン何が目的で助けたんだよ……いや俺の【願望能力】が【超回復】だから大丈夫だろうって思ってるのかも知れないけど)
さきほど「植物を直接食べてみて毒の有無を調べていた」と説明したが、それが悪かったようだ。ブレックはツカサが即座に毒を分解できるとでも思っているらしい。
だが実際は、ツカサも毒の副作用に苦しむ。植物を食べて体当たりで調べていた時は、酷い毒に当たったら半日その場で痺れていたりトイレに籠っていたりもしょっちゅうだった。
(でも、そういう時は浜鈿さんが助けてくれたんだよな。“施設”の医療機器を使えるのは有名なお医者さんの一人娘だった浜鈿さんくらいだし……俺がムチャやってる事も知ってて、薬とかもよく調合してくれてたからなあ)
だが、それで知れたのは「この世界の植物の毒は、薬でも治らない」ということだけだ。
彼女が調合してくれたサプリで防備しても、結局当たり所が悪かったのかトイレにこもることになったり、酷い時には二日意識を失う事も有った。今思えばそのまま死んでいたかもしれないが、そこから回復したのも【超回復】の力のおかげだったのかも知れない。
(…………よく考えたら、俺よく死ななかったよな……いや浜鈿さんのおかげなんだろうけど、傍目から見ると完全に暴走した厄介者にしか見えないな……)
やっぱり追放される理由はあったようにしか思えない。
今思えば毒の判断の仕方も他にあったかもしれないのだが、後の祭りであった。
「……ほー、綺麗な水だ。野草も豊富みたいだし、案外この森は上手く行ってるのか」
「飲んでいい水なのか?」
ブレックの呟きが聞こえ、ツカサは慌てて我に返り問いかける。
すると、相手は素直に頷いて手袋を外した。
「うん。本当は生水は危険だから沸かしてから飲んだ方が良いんだけど……あの【バイオスリープ】装置に入ってたなら、大概の細菌は殺せるナノマシンも体に入れられてるだろうし……ツカサ君も普通に飲んで大丈夫だと思うよ。それより、手早く処理をしてしまおうか」
「あ、ああ、わかった」
ナノマシン、とはまた未来的だ。
だが、そう言えばニュースか何かで、病気の治療に既にナノマシンが使われていると言うような話を見た事がある。一般人には未だに高価で縁が無いものだと思っていたが、国家プロジェクトともなると、そう言った技術も容易くツカサのような存在に与えられるらしい。
……なんだか「ああ無情」と嘆きたくなったが、ツカサは首を振るとブレックを手伝った。
太い血管を割き、獲物の体を固定して血を流す。
その間にトラジマの毛皮洗って泥を落とし、血が抜けたら今度は内臓を取って中を洗う。
「ツカサ君、こういうの平気なんだ」
黙々と作業を手伝うツカサに、ブレックが意外そうに言う。
まあ確かに、ツカサのナリではこう言う事を平気でやる人間には見えないだろう。
それは自分自身解かっていたので、ツカサは頷いて答えた。
「うん、まあね。俺の父方のばあちゃんの集落でさ、猟師のお爺ちゃんに色々御馳走して貰ったから、解体くらいは指示してくれたら何とかなるよ。……自分が殺すってのは、まだちょっと抵抗あるけど」
「普通に暮らしてたんならそりゃそうさ。でも、一人で生きて行くならおいおい慣れないとね。ツカサ君に狩られてくれるモンスターが居るのかどうかは別として」
「オメー本当口悪いな」
恩人じゃ無かったらドロップキックしてる所だと青筋を立てつつ、ツカサはブレックの指示に従い、なんとか解体を最後まで終わらせた。
今は川の水で肉を冷やしているので、この間に野草を取りに行こう。
ブレックに肉の番を頼むと、ツカサは再び森の中に入った。
「アレって、ウマだけど……虎柄だったし、もしかしたら獣臭いかもしんないよな。肉食獣ってソイツが食べた肉とか時期とかによって凄い差があるらしいし……」
見慣れない人間をも襲う猛獣だったのだから、恐らくあの「トラジマウマ」というモンスターは肉なら何でも食べるタイプなのだろう。とすると、臭みはかなりの問題だ。
毒だとしても、大量の肉を食べずに捨てるのはもったいない。
なんとか野生の肉をうまく食べる野草を探さねば。
そう考えて、ツカサはとある野草の事を思い出した。
「確かアレは……えーと、日が当たりやすい場所に生えてたよな……」
ガサガサと探して、ツカサはようやく目当ての物を見つけた。
細い茎に、麦の穂のように連なった青く丸い小粒な実をどっさり実らせて垂れる草。
日当たりのいい場所に群生しているが、そこにはほぼ他の植物が無い。モンスター達も食べないのか、冗談みたいに青い色の実は、そこですくすくと育っていた。
「あった! これこれ~。やっぱモンスターも食わないんだなコレ……」
実の束を無暗に落とさないように気を付けながら、ツカサは茎の部分を折り取る。そうして、実が潰れないように細心の注意を払いながら川へと戻った。
「ブレック、これちょっと置いとくな」
「うわっなにそのブルー一色の気持ち悪いブドウみたいなの!!」
「失礼だなお前……これもちゃんと食えるんだからな!? ほら一粒食って見ろよ!」
そう言いながら、ツカサはブラックの口に無理矢理一つの実を押し込んだ。
――――ちなみにこれは、ツカサが「オスノミ」と呼んでいる植物である。
なぜそんな名前にしたかというと。
「……ぐぶぇっ!? がっ、ぁ゛ぁつ、ぢょっ……す、すっっぱ! うわ酸っぱ甘い!! 気持ち悪いなんだこれ! ぐあああああ!」
そう。
強烈な酸味と、それを後押しするような、わざとらしい無駄な甘味。
甘酢と言うにはあまりにも「酸っぱいものに砂糖をぶちこんだだけ」すぎる味を、その小粒な実は有しているのである。ツカサも初見の時はブラックのように転げまわった物だった。
「ははは、いい気味だ」
「ぐっ……ぐぅう……ザコらしい嫌がらせをするじゃないか……っ」
「まあ落ち着けって。コレで肉の臭み消しをするんだからさ」
「はぁ……? こんなクソまずいもので?」
「実際食べた俺が言うんだから間違いないって。まあ見てなよ」
川の水をがぶがぶ飲んだブレックは、恨めしそうにツカサを睨んでいるが、とりあえず肉にありつきたいという欲望が勝ったのか何も言わなかった。
一方、ツカサは何故か晴れやかな気分になりつつ、他の野草も集めて、解体し終わった肉の一部を切り取ってもらう。生肉は普通に腹を壊すだけになりそうなので、調理してから毒見をしよう。
そう考えつつ、ツカサはブレックに器を借りて「お酢の実」を全部搾り、汁を器に溜めた。
「えぇ……その汁本当に使うの……」
「料理本に乗ってた臭み消しとやりかたは一緒だってば。野草に毒は無いんだぞ? ただ味がすんげーから、誰にも食べられずのさばってるだけで」
「それ、動物的には充分毒って言えるんじゃないのかなぁ……」
まあ初めて味わったばかりのオッサンにはそう思えても仕方がないだろう。
(……実は俺も初めて料理に使うんだけどねっ! でもそれは内緒にしておこう)
「アレ」と似ているから大丈夫だろう、というふわふわした使い方をしていると知ったら、この変に神経質なオッサンが怒りかねない。ここは沈黙が金であるということだろう。
ともかく、今は真面目に調理をしなければ。
ツカサはブロックで渡された肉を借りたナイフで器に収まるように切ると、たっぷり絞った汁の中に肉を漬けた。これは、お酢で肉の獣臭さを消す時の調理法である。見よう見まねではあったが、実はこの「お酢の実」は熱を通せば酸っぱさが消えて甘さが残るので、何も心配はない。
数分付け込みしっかりと汁が浸透した事を確認すると、ツカサはブレックにたき火を起こして貰い、木の枝で携帯用の網焼き器を固定して貰ってその上に肉を置いた。
やはり、トラジマウマの肉は馬肉のようなものではないようだ。
焼ける臭いは、ツカサが知っている豚肉と非常によく似ている。やはり独特な風味が感じられたが、焼いて行くうちにその臭いは消え、本能をくすぐる肉の匂いだけが漂ってきた。
「う、うわ……なんで焼くだけでこんな……っ!?」
背後で肉が焼けるのを待っているオッサンは、先程から至近距離で肉を眺めている。
毒見をしろと言ったのは自分だろうに、もう先に飛びつかんばかりの勢いだ。
もしかして、この未来世界では肉も滅多に食べられないのだろうか、と考えつつも、ツカサは火加減と肉の位置に気を付けながら、分厚めに切った肉をひっくりかえした。
じゅわ、と音がして、空腹を刺激する匂いが鼻に届く。
もうそろそろ良いだろうかと一つを離して、ツカサは一足先にそれを口に放り込んだ。
「はっ、はふっあふ……っ!」
「ど、ど、どうっ。毒なのっ、毒じゃないよね、美味しいよね!?」
至近距離で顔を寄せて来るオッサンは、もう我慢出来ないようだ。
頼むから涎を垂らした顔で近寄って来ないでほしい……とゲンナリしながら肉を噛むと。
(うっ、わ……っ。なんだこの肉……! 脂身なんてないのに、柔らかくてすぐ口の中で溶ける……! しかも、実の汁のおかげかほんのり照り焼きみたいな風味になってて、肉汁の旨味を引き出してる感じっていうか……ああもうっ、とにかくウマい! あぁ、ご飯が欲しいぃい!)
あの実で実際に肉を焼くと、こんな風になるとは思わなかった。
酸っぱさを増長させるようにしか思えなかったわざとらしい甘味が、赤身肉の淡白な肉汁を引き立てて、まるで霜降りのように濃厚な味わいを口の中いっぱいに溢れさせている。
しかも、それでいて、残るしつこさはない。これが毒ならもう死んでも良いような味わいだ。
まさかあの気持ち悪いモンスターがこれほど美味しい肉をしていたなんて。
この肉の為なら、独りでも必死に狩りをしていけるかもしれない。
そう思えるような素晴らしい味だった。
「ねえツカサ君っ! 毒っ!」
「ンゴッ。ん、うーん……いや別に、これといって覚えのある感覚は……」
「ぐわーっもう我慢出来なぁい!」
どこかのテレビコマーシャルで聞いたような事を言いながら、ブレックはツカサのはっきりした返事を待たずに枝で作ったフォークで肉を突き刺した。そうして、急いで口に含む。
「うわっ、あ、アンタ大丈夫なのかよ?」
こっちは【超回復】とやらが発動すれば平気だろうが、とはいえこれも確かな能力かどうか疑わしいのに。というか毒見役はどこへいった。
あまりにも衝動的なオッサンの行動に、逆に心配になるツカサだったが……モグモグと無精髭でいっぱいの頬を膨らませ、口を動かしていた男は――――
「ふ……ふぁ……おいひぃ……なんらこれぇええ……」
「うわぁ」
なんと、至福に頬を染めてだばだばと涙を流し始めたではないか。
……女子なら大歓迎な顔だが、オッサンのこう言う顔を見ても何も嬉しくない。
ツカサは微妙な気持ちになったが、しかし肉には罪など無いと二口目を口にした。
(うーん、やっぱり美味すぎる……っ! 俺にも本当に【願望能力】とやらがあるんなら、ハンターなんて目指しても良いかも……なんかやれるような気がして来たぞっ)
こんな美味い肉を食べてしまっては、前向きにならずにはいられない。
ツカサは久しぶりのしっかりとした焼肉に満面の笑みを浮かべながら、これが朝食である事も忘れてしばしゆっくりと肉を楽しんだのだった。
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