発覚
息が荒い。
ただバイクを駆って走り続けただけだというのに、何故こうも息が途切れるのか。
気が急いて、心臓が苦しい。大した鼓動は打っていないはずなのに、どうしてか脈打つごとに痛みが走るような気がして、早くこの不快な衝動を鎮めたかった。
だが、その方法をブレックは知らない。
どれほど落ち着こうと思っても、呼吸も心音も従わないのだ。
目的地に向かうまで、この苦しみは自分を許しはしない。
そう思えてしまうほどに言う事を聞いてくれなかった。
何物でもない自分自身の体なのに。
(なんで僕は、こんなに焦ってるんだ。なんで。どうして)
たかが一人。無数の他人の中の一人にすぎない。なのに何故。
寂しさを覚えたのかもしれない。初めてそう感じたのかも知れない。
だが、それだけだ。
ツカサは、それ以上でもそれ以下でもないただの他人だった。
……それなのに、どうして自分はこんなに焦っているのか。
ブレックは自分で自分が理解出来なかった。だが、だからと言ってもう引き返す事も出来ない。燃料の残りも気にせずにバイクを走らせ続けたブレックは、約束の帰還日になる前に【ロクナナ村】に到着していた。ゲートが完全に閉じる前の夕方に間に合うようにと、全速力で急いで。
だが、そんな些細な事などブレックにはどうでも良かった。
ただ焦りだけで体が動いて、バイクごと村に乗り上げ娼館へ向かう。人が逃げるのを横目で見ながら、ブレックは乱暴にバイクを止めるとそのまま娼館へ入った。
「おいクソバアア!!」
怒鳴り声のような大声を出し、顔見知りの老女を呼ぶ。
だが返事が無い。いつも辛気臭い場所ではあるが、しかし今日に限っては何故だか建物全体が活気を失っているようにも思えた。そのことが、一層心を急かしていく。
このまま、足で扉を蹴って“裏側”へ入ってしまうかも知れない。
そんな乱暴な衝動を抱え、無意識に足を上げたブレックだったが――――それを知ってか知らずか、従業員のみが使う“裏”への扉が開いた。
「ニワトリ!! ああ、アンタやっぱ無事だったの!」
「ツカサ君はどこだ、どこにいる!!」
自分でも驚くほどの大声で、思っても見ない事をまくし立てる。
こんな事を言うはずでは無かった、と、自分の頭の中の冷静な部分は驚いているのに、口が思い通りに動かない。自分の把握し切れない凶暴な部分が噴出して止まらなかった。
そんなブレックに、老女……女医のサヤカは顔を歪めてその場に座り込む。
よく見れば、頬に傷跡がある。
昨日今日で出来たような生々しい傷だ。
思わず言葉を失ったブレックに、サヤカは悲しみか怒りか判別が難しい表情に顔を歪めると、ブレックに向かって自分が履いていたサンダルを片方投げつけた。
「バカ! なんでもっと早く帰って来ないのよ、最っ低!! アンタがっ……アンタが死んだなんて情報が流れたせいで、ツカサ君が【トウショウ】に連れて行かれちゃったじゃないのよ!!」
「っ……な……!?」
なんだと。
そう言いたかったのに、言葉が出てこない。
何かまずい事になったのは察していたが、まさかそんな事になっているなんて思っていなかったのだ。そんなブレックの姿を見て、サヤカ女医は鼻を啜りながら立ち上がった。
「…………いきなり、投げつけてごめん。……そうね、アンタがこんな慌てて帰ってくるんだから、アンタにとっても想定外だったのよね……」
「…………」
「……詳しく話すから、こっち来て」
サヤカ女医は、かつての日本の記憶を色濃く覚えている。それゆえ彼女の口調は“かつての世界で少女だった自分”の口調から抜け出せていないし、その頃の知識のおかげで医者の真似事も出来ていた。
この冷静さも……かつての自分を覚えているからこそなのか。
ブレックはサヤカのそんな部分を少し羨ましく思いながらも、拳を握って自分を諌めながら後に続いた。
◆
「…………そうか……神宮警邏隊が……」
廃都に行っている間のことを聞き、ブレックは眉間に皺を寄せる。
一度は来るだろうことは予想していたが、まさかこんな強硬策に出るとは思わなかった。
大都市コロニーである【トウショウ】とはいえど、探索者が関わっている物事にはおいそれと手出しは出来ない。だからこそ、ツカサをここに置いて行ったのだが……それが裏目に出るとは思わなかったのだ。
これも、自分が油断したからだ。ブレックは舌打ちをして拳を握る。
「雑な暗殺者が、見覚えのある制服を着ていると思って戻って来たら……まさか、狙いは僕の命や財産じゃ無くツカサ君だったとはね……」
「……所有者である【探索者】が死んでしまえば、その権利は浮くって思ったんだろうさ。アイツらの考えそうなことだよ。アタシだって、アンタみたいなバケモンが死ぬはずないとは思ってたけど……ツカサ君には、伝わらなかったかも……。それに、守れなかった……ごめん……」
「お前のせいじゃない。ババアなんだから無理するな」
いつもの憎まれ口を叩くが、サヤカ女医は元気がない。
それほどツカサを拉致された事にショックを受けているのだろう。たった数日とはいえ、ここまで親密になるのは珍しい事だった。こんな荒んだ世界でも、ツカサのような性格であれば相手を懐柔してしまえるのだろうか。考えて、ブラックは自嘲した。
(急いで帰って来た僕が言えた義理でもないか……)
たった数日一緒に居ただけで、ツカサのことを気にしている。
それは自分も同じだ。どんな理由を並べようが、それは曲げようのない真実だった。
自分で自分の感情が分からなくとも、今のブレックは間違いなく動揺している。もしかしたら、このサヤカ女医以上に。これでは、相手を笑えない。
(まあ、笑うような状況でも無いがな……)
表情を引き締め、感情が出ないようにしながらブレックは考える。
今サヤカ女医から聞いた話を考えると、どうにも不可解な点がいくつかあった。
――雑な暗殺者のことはともかく、今回の件は妙に手際が良過ぎるのだ。
神宮警邏隊が“過去人”を【トウショウ】に集めているのは前から知っていたが、それにしたって今回は性急すぎる。一度目星をつけて去ったと思えば、その後すぐにブレックへ暗殺者を差し向け、五日も経たずにツカサを奪い去って行ったのだ。
【探索者】相手だから、とにかく即座に行動して手の届かない所に連れ去るしかなかった。という理由は納得できるが――何故そこまでツカサを欲しがったのかが解らない。
サヤカ女医の話では、この旧日光エリアの“過去人”は全員【トウショウ】に連れて行かれているため、ツカサを久しぶりの獲物だと思い連れて行ったのだろう……という事だったが、そもそも何故根こそぎ【トウショウ】に連れて行くのかが謎だ。
“過去人”は“ノコサレ”達と比べて力も弱く純日本人くらいの背丈にしか成長しない。
そのため“ノコサレ”達の奴隷になる者も多いが、大都市となると話は別だ。過去人では、労働力とするには効率が悪いのだ。働かせるためであれば、大都市コロニーには下級民という労働力が掃いて捨てるほどいるのだから、その者達を使えば良い。わざわざ力が劣る者を使う理由は無かった。
ならば、過去人など酔狂な趣味以外で集める理由はないはずなのだが……【トウショウ】の何某かが過去人をコレクションしている……という話は聞いた事が無い。
急いで連れて行くほどにツカサを欲しがる理由が、今一つ判然としなかった。
だが、相手は実際に【探索者】を殺してツカサを連れ去ろうとした。
それは……一体、どういうことなのか。
「……ババア、相手はなんでツカサを連れて行ったと思う?」
「そりゃ……愛玩用……ならいいけど……多分、性奴隷とかなんじゃないの? あいつら、ツカサ君に対してヤらしい目を向けてたし。それに、例の【トウショウサマ】ってのが“過去人”を集めてるんだよ? そういう用途なんじゃないかな」
「だとしても……それほど急いで集める必要なんてあるのか? この辺の“過去人”は、ほぼ狩り尽くされちまったんだろう? 性奴隷にしても多過ぎるんじゃないのか」
「……それは……そうだけど……じゃあ一体なんの理由があるのさ」
問われて、口を開きかけたが……ブレックは推測を語るのをやめた。
それを話したとしても、サヤカ女医を不安にさせる効果しかないからだ。けれど、一度湧きあがった「もしかして」という推測はブレックの脳裏から消えてはくれない。
大都市コロニーの設備を考えると、どうも嫌な予感がしてならなかった。
(基本的に、大都市コロニーはツカサ君がいた【施設】と同じものが用意されている。……そう。過去の遺産が山ほど搭載されているんだ。だから、その建物が持つ力は計り知れなくて、周囲に絶大な影響力を発揮している。……それに、巨大なコロニーほど、贅沢な設備が設置されている……コロニーを守る為という名目の、危ない設備とか……ね……)
――――トウショウというコロニーは、日光東照宮を守るために作られた。
それゆえ、東照宮が存在するエリアは厳重に管理され「奥ノ院」とも呼ばれている。そこに入る事が出来るのは、一握りの上級国民と……神宮警邏隊だけだ。
今その世界的遺産がどう扱われているのかは分からないが……その聖域を悪用しているのは確かだろう。そこに、ツカサは連れて行かれてしまったのだ。
何をされるかも分からないままに。
「……ニワトリ……アンタ、これからどうするんだい」
「……え?」
問われて、不意に顔を上げる。
するとサヤカ女医は、どこか縋るように自分を見つめて再度問いかけた。
「ツカサ君のこと、助けてくれるの? それとも……やっぱり、旅立つの?」
「…………」
今まで考えもしていなかった事を問われ、一瞬頭が真っ白になる。
(ああ、そうか……そうだったな……。僕は、ここなら大丈夫だろうと思って……ツカサ君を、ここに預ける気だった。もう二度と会わない気でいて、だから一週間後には別れを言うつもりで……)
なのに、別れすら言えなかった。
いや……――――
(言えなかった、なんて……僕は……)
どうして、そんな風に後悔するような言葉を思い浮かべたのだろうか。
――――たった数日共に旅をしたというだけの少年に、どうしてそんな名残惜しげな言葉を重ね、今もこうして静かに混乱しているのか。
何故自分は、今になってあの少年の何通りもの表情を思い浮かべ得ているのか。
「…………」
わからない。
解らない事に、愕然とする。
この世界に目覚めて、たった一つの約束の為に【大地の果て】へ向かうだけの命だった。なのに、どうして自分は今になって誰かと別れる事を惜しがっているのだろう。
彼と別れる事を、彼を奪われた事を惜しがっているのか。
何も。
なにも、わからない。
考えても、自分の感情が理解出来なかった。
(……このままで……いいのか……?)
いつもの自分なら、気にせずに旅立っただろう。
自分は善人でもヒーローでも無い。ただ無為に生き返っただけの、虚構かも知れない約束に縋って生きるだけの無駄な存在だ。自分の目的を遂行するためなら人を売るし、殺しもする。荒んだ世界をこれ以上ないまでに利用している、ただの生き汚いだけの男に過ぎなかった。
だから、今回も「そういう運命だった」と切り捨てて旅立てばいいだけなのに。
それなのに、自分は……――――
「…………ツカサ君が持って来た野草の薬は、どのくらい出来てる」
「え?」
「売れるだけくれ。……約束は出来んが、材料になった量の倍、イシモドキを持って帰ってくる」
それだけを言うと、何故か相手は顔を明るくする。
自分は、何も宣言してはいない。
だからこれから何をするかなんて、解らないのだ。
それなのに相手は勝手に解釈して希望が見えたと喜んでいる。
(……僕は、ただ……薬を買っただけだ)
それ以上でもそれ以下でもない。
だが何故か、拳はずっと握り締められていた。
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