3.予期されたはずの展開
ロクナナ村に来て、六日目。
ツカサはコロニーの生活にも慣れ、娼館兼治療院である長屋にも徐々に順応できるようになっていた。
というのも、一日の仕事はそれほど難しくも無く、家事などの行為は“施設”でもずっと行ってきたからだ。むしろ、あの“施設”より狭い分、娼館での仕事はツカサにとっては楽なものだった。
例え炊事洗濯が手作業の手間が多かろうが、その代わりに女性に好意的な感謝を貰える。それは、自己評価が低い今のツカサでも、とても嬉しいものだった。
そのせいか、ほぼ一週間という短い期間であるというのに、ツカサはいつの間にか娼婦やサヤカ女医達に信頼される働き手となっていて。今では娼館の裏方を一手に引き受けていた。
――――朝は夜明け前に起きてサヤカ女医や娼婦達の為の朝食を用意し、彼女達を起こせば夕方まで洗濯や女性たちの世話をする。娼婦だけでなく、裏側の病室に居る病気の女性達にも献身的な看病を尽くした。
(思いがけず看護士の真似事しちゃってるけど……なんというか、これだけ世界が変わると病気だって何の病気かわかんなくなっちゃうのが怖いよなぁ……)
娼館の裏手の庭で、まだあまり捌き慣れない配給の“痩せネズミ”の下処理を苦心して行いながら、ツカサは溜息を吐く。
考えるのは、今娼館の裏側で寝込んでいる娼婦らの事だ。
最初は「女体に合法的に触れられる」というよこしまな気持ちもあったツカサだったが、しかしいざ看病をするとなるとそんな気持ちは吹っ飛んでしまった。
見た事も無い病気や肌の異常は、ツカサの性欲など超越して「この人達をなんとかしなければ」という気持ちでいっぱいにしてしまったのである。
さもありなん。
この数十年で何が起こったのか解らないが、娼婦の病気は随分様変わりしていたのだ。
昔、歴史の授業で習った時は「梅毒」などがあったと軽く触れられていたが、この世界の娼婦の病気はそういった恐ろしい病気とは違う。いや、恐ろしいのは同じだが……症状が違っていたのだ。
(皮膚が焼けただれたみたいになる病気に、切り傷が治らずに木の皮みたいなごつごつした割れ目になっちゃう病気……。最初は、特殊メイクじゃないかって実感がわかなかったけど……アレだってこの世界じゃ珍しくない病気みたいなんだよな……)
対処法が無いゆえにじわじわと病に侵されていく娼婦達を見るのは、つらい。そんな彼女たちの看病を今までサヤカ女医だけが引き受けていたのかと思うと、ツカサは申し訳ないような恥ずかしいような気持ちになってしまった。
自分達が“施設”でぬくぬくと過ごしている間に、いくつの命が失われたのだろう。もしここに天才とも言われた医者の娘である浜鈿アイリが居てくれたら、彼女達も救えたかもしれない。だが、それも今考えたってどうしようもないことだった。
(浜鈿さんなら、どうにか出来たかも……そうでなくても、あの“施設”の薬を持って来られたら、どうにか……。でも、追放された俺じゃもう中には入れて貰えないだろうし、今ある物でどうにかするしかないんだよな……)
幸い、ツカサが持って来た【イシモドキ】はかなり有用な植物だったようで、症状が軽い娼婦達の中には劇的に病が治る者もいた。全ての人がそうという訳では無かったが、それでも人が救われた事に、ツカサは安堵したものだ。……その安堵は、少し後ろ暗いものだったが。
(……また失敗せずに、誰も救えずに終わらなくて良かった……なんて、そんな独りよがりな事を考えてる自分が嫌だな……)
素直に人の快癒を喜べないのは、何故なのだろう。
それが自分のもたらしたものではないと理解していて、しかし失敗すれば自分が至らなかったせいだという思いが、強く心の中に渦巻いているからなのだろうか。
考えても、わからない。
いまはただ、サヤカ女医と女性達の看護を続ける事しか考えられなかった。
(俺の感情はともかく、彼女達は本当にどうにかしないと……。ああ、あの野草の事を書きとめたノートがあったら、もっと色々思い出したかもしれないのにな……はぁ~……本当に俺って奴はバカでドジっていうか……。でも、今は出来る事をやらなくちゃな……)
痩せネズミの皮を剥ぐ作業も、少し慣れて手早く出来るようになってきた。
最初は生き物を直接処理する行為に忌避感があったが、これも生きるためであり女性達に栄養をつけさせるためと思えば、ツカサは自然と慣れて行った。
なんだかんだ、下心と言うものは強い感情らしい。
――――とはいえ、まだ配給されてくる痩せネズミの姿は慣れなかったが。
(この痩せネズミって……全然ネズミじゃないんだよな……。いや、たしかにハツカネズミみたいな耳とシルエットなんだけど、異様にデカいっつうかデカいのに筋張ってて硬い筋肉で美味しくないっていうか……干すのに失敗したササミみたいな絶妙に美味しくない肉なんだよな……)
伸びた前歯もヤケに凶暴で、温厚とは言えやはりモンスターの類としか思えない。
とはいえこのネズミは野菜くずなどを捨てた土を喰い、排出する事で畑を耕すような作用も持っているらしいので、一番安全なモンスターと言えるのだそうだが。
「痩せネズミも一応モンスターなんだろうけど、ノコサレの人達は認めてないみたいだし……もうちょっと認識が広がったら、モンスターの肉も食べられるんじゃないかと思うんだけどな」
肉を剥ぎ終わり、血が付いた手を念入りに濯ぐと、ツカサはボコボコに歪んだステンレス製のボウルに肉を入れて娼館へと戻った。
モンスターの肉には毒が含まれているものもあるという。それゆえ今は積極的に食べられていないらしいが、ブレックが言うように毒性の有無をはっきりさせられたら彼らも救われるのではないだろうか。食生活もきっと向上する。調査さえすれば、確実に人々のためになるだろう。
しかし、モンスターを捕獲し調査するには……ツカサは力不足としか言いようがない。
(ブレックに協力して貰えれば良いんだけど、アイツはもうすぐ旅に出ちゃうしな……。はぁ……他の【探索者】を雇うのって、どのくらいのお金がかかるんだろう)
モンスター肉でペイ出来れば楽なのだが、そうもいかないかも知れない。
せめて他に精力がつく食べ物でも有れば、病気の娼婦達だけでなく疲弊したこの村の人々もだいぶ救われると思うのだが。
そんなことを考えながら歩いていると、サヤカ女医が駆け寄ってきた。
「ツカサ君ツカサ君! ねえねえ見て、ついに出来たっ、出来たのよ軟膏がっ!」
老女らしからぬ元気な走り方で駆け寄ってきたサヤカ女医は、パレットの上に乗せられたパステルグリーンの絵の具のような軟膏を差し出してくる。どうしたのかと驚いたツカサだったが、サヤカ女医は興奮したままでまくしたてた。
「あのねあのね、最初は軟膏にすると何故か効果が薄れててナゾだったんだけど、簡単な事なのよっマジ簡単! 練りが良いからってモンスターの油脂を使ってたからソレに反応して効果が持ってかれてただけでコレには圧搾した【カブレグサ】の実を少量入れるだけで良かったのよ! 当然だよね最初っからトロみがついてたんだしあとは適度に固めるための要素が必要だっただけで」
「わーっ言葉の洪水!! えっとあの、と、とにかく成功したんですね?!」
この数日間で完成させるとは、サヤカ女医も凄まじい頭脳の持ち主だ。
勢いと成果に半分ずつ驚きつつも返すツカサに、やっと少し落ち着いたのかサヤカ女医は少女のように「えへへ」と笑い、改めて明るい緑色の軟膏を差し出した。
「そう、これで経口摂取できない子も、なんとかなるよ……! 継続的に使い続けないとわからないから、あの【カブレグサ】もどうにかここで育てたいところだけど……ああ、まだまだやることがいっぱいだね! 忙しくなってきたよ~!」
本当に嬉しそうな相手に、ツカサも思わず笑みが浮かぶ。
自分の知識も少しは役に立ったのだろうかと思えば、申し訳なくなりつつもなんだか嬉しかった。【カブレグサ】は、地面から直接木の枝が生えたような不可解な野草だったが、その葉の特徴は非常にハゼの木に似ていて常に生成されている実も量は少ないがハゼに近い。
葉や枝に触れただけではかぶれず、切り口から滲む液体がかぶれるという特徴も、昔父方の祖母の家で見かけたハゼの木と似ている。だから、もしかしたら……と見当をつけていたのだが、その通りでよかった。
(取扱いに気を付けなきゃいけない野草だけど、何かに使えないかと持って来て正解だったな……サヤカさんがこんなに喜んでくれて良かったよ)
触ってみた軟膏は見事にクリームのように柔らかく伸びるようになっており、ジェル状の【イシモドキ】の汁とは思えない滑らかさだ。肌に塗ればパステルグリーンの色は溶け、冷たい水や労働でカサついた肌は、すぐに潤い昨日の切り傷も消えてしまった。
(おお……ホントに効果抜群だ……!)
ツカサは【願望能力】の【超回復】に加え“ナノマシン”というものを体内に入れられているため、ノコサレ達よりも傷の治りが早いが、栄養不足のこの村に来てからはその能力も少し落ちていたため、数秒で傷が治ってしまうのは久しぶりの感覚だ。
確かに、この軟膏は素晴らしい効果を持っているらしい。
「サヤカさん……ほんと凄いっすね……!」
「なに言ってんの! 薬草を持って来てくれたツカサ君のおかげだよっ。キミが来てくれなきゃ、ほんと私達ジリ貧だったんだから……。ふふ、ま、とにかくさ、これから【カブレグサ】を育てさせて貰えるように頼んで来るから、家事の事はよろしくねツカサ君!」
「は、はいっ。いってらっしゃい」
なんだか、全てが好転しているような気がする。
ふとそんな思いになり、ツカサはサヤカ女医の背中を見ながら微笑んだ。
(一人で生きて行くって言ったクセに、最初は不安だったけど……でも、サヤカさんや優しいお姉さんたちのいる所に連れて来て貰って本当に良かったよ。……これも、ブレックのおかげだよな)
何もかもを真っ正直に話す、口が悪い中年。
折角の端整な顔立ちも無精髭で台無しにして、それを恥ずかしいとも思わないようなガサツな大人だったが……ただひたすら、優しかったような気がする。
何も知らないツカサに対してこの世界の厳しさを語り、こうやって一人で生きて行けるように世話もしてくれた。そんな相手が悪い人間だとはツカサは思えない。
悪ぶっていたが、ブレックはただひたすら自分に対して真摯だった。
そう思うと、次に会った時が本当に最後だという事実が悲しくも有ったが――
(……最後ぐらい、素直にお礼したいよな。意地を張るせいで、つい憎まれ口になっちゃうけど……ブレックが居なかったらサヤカさんとも出会えてなかったし、俺をすんなり受け入れてくれる場所にも出会えなかっただろうから……)
――――別れの時ぐらい、盛大にもてなしてやりたい。
そう思い、ツカサが踵を返して厨房へ行こうとした、刹那。
「そんなバカな!!」
「ッ!?」
サヤカ女医の叫ぶような声が聞こえて、体が再び引き戻る。
何かを考える余裕も無く声がした方向――――表の受付に駆け出ると、そこには数日前にツカサを「検査」した三人の男達と、立ち竦むサヤカ女医の姿が有った。
「ああ、ちょうど良い。探す手間が省けた」
「お前の鳴き声もたまには役立つんだな? ババア」
「ぇっ……あ……っ」
神宮警邏隊。
三人の双眸からの視線が一気に突き刺さったのを感じて、ツカサは青ざめ硬直する。あの時の恥ずかしい屈辱的な行為が脳裏に蘇って来ると、どうしても声が出なくなってしまった。
そんなツカサの姿を好ましげにニヤニヤと見ながら、あのリーダーらしき飴色の髪の男がチラリとサヤカ女医のことを見下ろした。
「ほら、コイツにも教えなくて良いのか? 大事なことだろう」
「そんっ……そんなの、嘘です! あの“ニワトリ”がそんな……っ」
サヤカ女医が、何故か取り乱している。
“ニワトリ”はブレックの通称だ。【探索者】にまで広がっている不可解な名称を忘れるはずがない。だが、どうしてサヤカ女医がああまで動揺しているのか解らなかった。
(なんか……いやな、予感がする……)
どくどくと心臓が強く動き始め、体の末端が冷えて行く気がする。
まだ何も聞いていないと言うのに、警邏隊の男達のニヤついた表情とサヤカ女医の様子が、もしかしてという最悪の予想をツカサの脳裏にぼんやりと浮かべていた。
だが、それを認めたくない。その予測を、明確なものにしたくは無かった。
「おい、そこの“過去人”こっちに来い」
「来ないとこのババアを公務執行妨害で捕縛するぞ」
「っ、ぁ……」
またサヤカ女医に迷惑が掛かる。
そう思った途端、体が勝手に動いて男達に駆け寄ってしまう。
自分でも信じられない動きにツカサは戸惑ったが、もう男達の前に立ってしまった。その事実に、ツカサの体がどんどん冷えて行く。震えを必死に抑え込んでも、最早逃げる事すら出来なかった。
「お前に良い知らせを教えてやろう」
「え……なん、ですか」
嫌な予感しかしない。
飴色の髪の男は、見上げてくるツカサを見下ろし……ニヤリと笑った。
「お前の【探索者】である“ニワトリ”は、不慮の事故で死んだ。よって、所有者不在のためお前の身柄は【トウショウ】の施設で保護させてもらう」
――――不慮の、事故。
不慮の事故で、ブレックが死んだ?
「そん……そん、な……嘘、嘘だろ、そんなの……っ」
聞いた言葉が理解出来ない。
いや、理解しているはずなのに脳が言葉の意味を想像するのを拒んでいる。
「嘘なものか。今日廃都近くの【バスターズ・キャンプ】から知らせが届いたんだ。赤い髪に紫の目なんて、あの薄気味悪い“ニワトリ”しかいないだろう? さあ行くぞ、過去人は強制収容だ。これは【トウショウ】の掟で決まっている」
「うぁっ……!」
混乱している最中に腕を強く引っ張られ、ツカサは体が傾ぐ。
だが倒れ込む前に更に強く引かれ、体が強引に浮き上がった。飴色の髪の男は、そんなされるがままのツカサの事を見下したような笑みで観察しながら、そのまま娼館から出ようとした。
「待って! 待って下さい! ツカサ君は……っ!」
「ええい煩いババア! こいつを匿った罪で罰金を科してもいいんだぞ!?」
「わかったら薄汚い娼館にでもこもってろ!」
ドッ、と背後から音がして、サヤカ女医の詰まった声が聞こえる。
まさか彼女に暴力を振るったのか。
慌てて振り返ろうとするが、飴色の髪の男は歩みを止めはしない。ツカサの腕を強くつかみ、容易く引き摺るだけだった。
「サヤカさん! 大丈夫なんですか、サヤカさん!!」
必死で名前を呼ぶが、サヤカ女医の声は帰って来ない。
まさか。
そんな不安がよぎって震えそうになるツカサに、飴色の髪の男は囁いた。
「よかったな、ツカサとやら。これからは【トウショウサマ】が可愛がってくださるぞ」
「っ……」
男の声に、他の二人の男もそうだそうだと笑いながら続く。
「顔は普通だが、お前みたいなのは珍しいらしいからな!」
「ハハハ、処女でよかったなあ。ん?」
――――うるさい。
お前達なんかに、そんな事を言われたくない。
そうは思うが、何故か恐怖と怒りで喉が詰まり、声も出せなくて。
(くそっ……くそっ、くそっくそぉお……っ)
何から嘆けばいいのか。何から怒ればいいのか。
サヤカ女医に酷い事をしたことか、ブレックの死を知らされた事か、それとも自分を嘲っている男達にか。もう、何に怒り怯えているのか自分でも理解出来ない。
許容値を越えた感情は、ただツカサの頬を真っ赤にし泣き顔のように歪めるだけだった。
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