2.信用出来ない相手に真実は話さない
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――――西暦20××年。
世界は度重なる災害によって疲弊し、終末が差し迫っていた。
……無論、人類もただ手をこまねいていたわけではない。
ありとあらゆる異常現象に対抗すべく科学は大きく進歩を遂げ、文明は高度に進化した。全ての要素が、臨界点に達しようとしていたのである。
だがしかし、それらも結局は人と言う種族の存続を約束するものでは無かった。
最早、この国は逃れられない悪意の渦に取り込まれていたのだ。
そんな折、再び猛威を振るい始めた「異常現象」に業を煮やした政府は、ある一つの解決策を提示した。
――――【バイオスリープ】装置による、未成年強制休眠措置。
ツカサは不勉強で赤点常習犯のため細部は覚えていないが、たしか「現在巻き起こっている災害から未来を守るために、子供の何割かを休眠させて災害に対処する」というものだった。
それは早急に可決され、当時の日本では連日ニュースになったのを覚えている。
だが、それらも所詮は「位の高い人間のこども」が選ばれるものだ。一般市民からしてみれば、特別な能力や高い地位の一族、そして政治家や有能な人々だけの特権という認識でしかなかった。
ツカサも当然、自分が選ばれるなんて思ってもいなかったのだ。
だが……
目が覚めた時、ツカサは見知らぬ世界にいた。
「それが、その“施設”ってことか」
たき火が爆ぜる音の向こうで、男の声が低く呟きを漏らす。
ツカサは頷いて、抱えた膝を自分の方に寄せた。
「うん……。俺、そういうのに応募した覚えもないし、あと……俺みたいなヤツは絶対選ばれないから、このまま好き勝手やって死ぬのもいいかなーなんて考えてたんだけど……目が覚めたら、知らない建物の中に居て、素っ裸でヘンな機械に入っててさ。ホントびっくりしたよ」
そう言いながらツカサが思い返す光景は、今でも奇妙だと思えるものだった。
楕円形のポッドを斜めに固定する装置が複数並んでいる、真っ白な大部屋。
まるで未来の世界を描いた映画のワンシーンのようで、目覚めた当初はツカサも「まだ夢の中にいる」と勘違いしてしまったほどだ。それゆえ、数分の間、緑のドロドロした液体を被ったまま呆けて座り込んでしまっていたのだが……それはともかく。
正気に戻って部屋を改めて観察したツカサは、ある事に気が付いた。
数十機存在する【バイオスリープ】装置のポッドの中には、自分と同じ年齢位の子供たちが眠っていて、どれも空きは無かったのだ。中には小学生くらいの子供も居たが、大人は一人もいない。状況を把握できないものの、これはツカサもおかしいと思った。
子供ばかりが眠っているというのは、恐らくあの「未成年休眠措置」のせいだ。しかし、だとしたら……どうして大人がやってこないのか。
こんな大掛かりな機械を常に動かしているのなら、必ずメンテナンスする大人の技術者が常駐しているはずだ。
どこかで監視して居れば、ツカサが目覚めた事に気が付くだろうに、どうして部屋にやって来ないのか。そこまで考え、さすがに不安になっている所に――――新たに、ポッドが開く音がした。
しかも、一気に七つも。
そうして「生還した」のが、ツカサの仲間達だったのだ。
「なんか、最初は気が動転しちゃってさ。自分が素っ裸なのも構わずに、先にそいつらの服を用意しなくちゃって思って急いで“施設”の中を駆けずり回っちゃって……あれは恥ずかしかったなぁ」
「…………。それで、全部のポッドから子供たちが目覚めたのかい」
「え? いや……リーダー達……俺の他に目覚めたのが七人だけかな。女子二人、男三人、俺達より年下……小学生の男女の双子だけ。リーダーや浜鈿さんが見回ってたけど、全然みんな目覚めなかったよ」
ツカサも心配になって夜中などに見に行くことがあったが、彼らは緑色の液体の中で静かに眠り続けているだけだった。その光景を思い出すと名も知らぬ彼らが心配になるが、こうなってしまってはどうしようもないことだとツカサは頭を振って懸念を掻き消した。
今は、目の前の相手に過去を話すだけだ。
「ふーん。じゃあ君達八人で今まで生きて来たのか」
「そう。いくら待っても、俺達を眠らせた奴らはやってこなかったから。……でも、みんな俺より頭が良くて何でも出来るみたいでさ。俺は、掃除とか家事とか雑用くらいしか出来なかったけど、なんていうか……うまく、回ってたんだぜ」
歯切れの悪い口調になってしまい、それが伝わったのか相手が沈黙する。
何も嘘は言っていないのだが、悪く聞こえただろうかとツカサは冷や汗を垂らした。しかし、こちらの懸念には気が付いていないのか、男は「そう」と低く呟いただけだった。
なんとか、殺されるラインは免れたようだ。
ホッとして、ツカサは話を続けた。
「リーダーのクオン、サブリーダーのカナ、医者の娘でそういうのに詳しい浜鈿さんに、機械いじりが得意なアタルとナツメ。そして、その……俺より頭がいい、小学生の双子のコウマとユナミ……」
「全員“上級国民”ってワケかい?」
「その言い方あんま好きじゃない……でも、地位が高いってのはそうかも。クオンの家は大学の学院長の家だし、カナの家は政治家……浜鈿さんは有名な医者の娘だし、アタルとナツメ二人とも大企業の息子じゃなかったかな? たしか双子もそうだったと思う」
「で、君は一般市民……と」
「そういうこと。……でも、別にみんな権力を笠に着てたワケじゃないぞ。ちゃんと自分達でも動いてたし……俺が出来ない仕事をして、必死に“施設”を守って生きて行こうとしてたんだ」
ツカサが記憶している彼らは、確かにそうだった。
追放される前は、みんな自分に話しかけてくれたし頼ってもくれたのだ。叱責される事もあったが、それは彼らが気に入らない事を自分がしでかしてしまったためで、当然の報いである。
そもそも、こうなる前までは彼らもツカサの事を受け入れ、あの“施設”の中で仲良くしてくれていたのだ。至らない自分を見捨てずに、ツカサに出来ることを支持してくれた。
だから、彼らから「NO」を突きつけられた時……ツカサは、自分が取り返しのつかない失態を知らずのうちに犯してしまったのだと思った。
きっと、自分は彼らに嫌われるような事を無意識にしていたのだ。
なのに、その理由を自分は今でも把握出来ずにいる。
……追放されても仕方がない体たらくだった。
「なに、どうしたの」
「あ、いや……なんでもない。ともかく、二か月くらいかな……ずっと、俺達八人で生きて来たんだ。“施設”には備蓄があったし……まあ、風呂も洗濯も出来たし娯楽も揃えてあったから何も辛くなかったけどな。お菓子とか本も結構揃ってたから」
何も不自由は無かったのだと伝えるが、たき火の向こうの相手の反応は悪い。
むしろツカサの言葉に苛立ったかのように片膝を立ててイライラと揺らしていた。
「そりゃ【上級国民】用の施設だろうからね。……ま、それはともかく……そこからどうして君は追放されたんだ? 君の話からすると、うまく回っていたようじゃないか。君も一生懸命に家事やら何やらしてたんだろう? 彼らに出来ない事をさ」
明らかに声が面倒臭そうな色を滲ませている。
本人は自覚が無いのだろうが、こういうことは周囲には解るものだ。
しかしそれを指摘するのも恐ろしかったので、ツカサはどう言おうか迷って――――出来るだけ逆鱗に触れないように、簡単に答えた。
「してたけど……俺、みんなに迷惑をかけるような事してたみたいでさ。だから、追放されちゃった。……ま、仕方ないよな。こんな世界になってたんじゃ、役立たずなんてただのゴクツブシだし」
「だからモンスターが跋扈する世界に放り出したって? ……ハハッ、そいつらはずいぶん頭の中がお花畑だな。世界が一変していると知っていたなら、これは広義の殺人だと思わないのかね?」
「……今思えば、俺、よく森に出て色々やってたから、モンスターに嗅ぎつけられないかって怖くて、みんな俺を追い出したかったのかも……」
ふと口から出た言葉で、ツカサはようやく忌避された理由を思いついた。
(ああ、そっか……これが追放の理由だったんだ……)
自分が逆の立場だと考えた時、ツカサのように森に出て食料を探したり調査をしたりする存在は、非常に危なっかしく見えるだろう。なにせ、食料は“施設”の中にたくさん残っているのに、ソイツはその事実を知っていてもなお、得体のしれない猛獣がうろつく森に入っているのだ。
傍目から見れば自ら危険に飛び込んでいるようにしか見えない。
しかも、ヘタをしたら、猛獣を“施設”まで誘い出してしまう可能性があるのだ。
それを思うと、彼らが怖がって自分を排除したのも無理は無かった。
(いつか食料が尽きた時のためだって思ってたけど……そりゃ、みんな怖がるよな……。独りよがりな行動ばっかりしてたら、追放されても仕方ないか……)
自分達は、勇者でも超能力者でもない。普通の人間だ。武器も無くただ獣に食われるだけの存在なのに、警戒せずに外に出るなんて言語道断だろう。
そ考えていたからこそ、頭の良い彼らは自分を排除したのだ。
未だに眠っているたくさんの子供達も守るために。
(しかし、改めて考えると俺ってばどうしようもないよな……)
ツカサは自分の愚かさに恥じ入り、つい抱えた膝に額を擦りつけてしまう。
なんだかもう、自分が迂闊過ぎて、たき火の向こうの影すらも見られなかった。
しかしその相手は、ツカサの事など知らぬように気の抜けた声を漏らして顎を擦る。
「……ふーん。つまり、君はこの森で食料を探してたのか。見たところ戦えそうでもないし、そこまで頭が良くもなさそうだけどなあ。何で今まで無事だったんだろ。なんか拾い食いして毒で死んでそうなマヌケな顔してるのに」
「うるせーっ! 悪かったなアホそうに見えて! その……俺、なんか目覚めてから体が丈夫になったのか、ちょっとくらいなら毒を舐めても平気なくらい元気になっててさ。だから、ちびちび試してたって言うか……いや、倒れたりなんかはしてないからな!?」
「拾い食いをして死にそう」だなんて言われるから、つい反論してしまった。
今更だが、怒っていないだろうか。逆鱗に触れて獣のエサになるなんてごめんだと思いつつ、ツカサが恐る恐るたき火の向こうの人影を確認すると――――何故か相手は、顎に拳を添えて考え込んでいる。相変わらず顔が影になって見えないが、何を考えているのだろうか。
どうか穏便に済みますように、とツカサが祈っていると――――相手が不意に、呟いた。
「それ、もしかして【願望】の能力じゃないの?」
「え?」
今、ウィッシュと聞こえたが、どういうことだろうか。
眉間に皺を寄せて声を漏らすツカサに、相手はただ真面目な声で説明する。
「ウィッシュは、願望。つまり【願望能力】って意味だ。……たまーにね、そういう特殊な能力を持つ人間が居るんだよ。昔の言葉で言えば超能力みたいなモンかな……僕だって、ほら」
そう言いながら、男は立ち上がる。
たき火の炎の間近まで来て、やっと見せた姿は――驚くべき姿だった。
「……っ!」
長身で雄々しい顔立ちの男らしい美形。だがその顔は明らかに外国人風で、目鼻立ちがしっかりしていて非常に濃い。眉は太いが鼻は高く、がっしりした顎に無精髭を散らしていなければ間違いなく女にもてるだろう容姿だった。イケメンと言うよりは、美丈夫か、もしくは古い言葉である「ハンサム」が妥当な顔だ。
だが、ツカサが目を見開いた相手の要素は、それだけではない。
ツカサを助けた男は――――たき火の炎に浮かび上がるほど鮮やかで綺麗な赤髪と、見た事も無い菫色のような綺麗な瞳を持っていたのだ。
(が……外国人……? ガタイも顔も良過ぎる……ていうか日本語上手すぎでは……!?)
この男なら、自分を軽々と抱え上げられた事にも納得が行く、とツカサは思った。
――実際は、平均身長以下のツカサを抱える事などこの長身の男にはさした問題では無かったのだが、それはともかく。
うねうねと曲がる長い髪を乱雑に一つに束ねた相手は、フライトジャケットのような物を薄汚れた白いシャツの上に羽織っている。ズボンも素材は分からないが、ジーンズのように見えた。だが、相手はそれだけでなく、腰にホルダーを下げていたのだ。
…………鉄パイプが突き刺さった、ボロボロのガンホルスターを。
「よく見てて」
そう言って、赤くうねった長髪の男はホルスターから鉄パイプを抜き、自分達の周りを囲っていた太い幹を持つ木の前に立つ。そうして――――
唐突に、その鉄パイプで巨木を切り倒したではないか。
「えっ……えぇえええ!?」
ツカサの悲鳴とも驚きともつかない声をかき消すように、ツカサの身体の二倍も有るだろう巨木が、簡単に倒れて大きな音を立てる。地面を揺らす衝撃にただ腰を抜かしていると……相手はツカサに近付いて来て、しまりのない顔でニコリと口だけを笑ませた。
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