1.----年後のあなたへ
「おい、大丈夫か。おい。……死んでないよな?」
こんなに低い声が耳に入って来たのは、久しぶりだ。
ぼんやりと滲んで薄れて行く意識の中で、ツカサは閉じた瞼を震わせる。
(ああ、ホントに……こんな……大人の声……久しぶりだ……)
きっと、誰かが“施設”の映像ディスクを持って来てドラマでも見ているのだろう。そうでなければ、こんな声が聞こえるはずがない。本物の大人の声など、望んでも耳に入って来ないのだ。画面越しか機械からの音声くらいしか、今は大人との接点が無かった。
(いや、でも、それもナイな……。だって俺、森の中で今にも死にそうなんだし……)
そうなった経緯を思い出す気力すらないが、朦朧とする意識の中で自分の頬が草まみれの地面に押し付けられている感触だけは分かる。
だとしたら、これは幻聴に違いない。
そう思って、ツカサは自分の甘ったれた感情に内心で苦笑した。
本当に、最後の最後まで自分は甘ったれで使えない人間だ。密林の中に放り出され、もうすぐ猛獣に食われてしまうというのに、なんと暢気で情けないのだろうか。
これでは、追放されるのも無理はない。
そう思って意識を手放そうとした――――のだが。
「おい! 息があるならちゃんと答えろ!」
ぐい、と体が急に浮き上がる。
両脇に何かが差しこまれているようだ。体重が掛かって痛い。
何が起こったのか解らず、閉じていた瞼をなんとか開くと、そこには。
(…………あか、いろ……?)
赤い、ぼんやりと赤くてうねる何かが見えるような気がする。
空腹と疲労で目がぼやけていて詳細が判らないが、まるで花のような鮮やかさだとツカサは思った。とはいえ、こんなに巨大な花など見かけた事は無いが。
「ああ、もう……せっかく、可能性が……」
「……?」
さきほどの強い声とは違う、ぼそぼそとした声で相手は喋る。
低い声だし、自分を持ち上げられたところからして恐らく「大人の男」で間違いないだろうが、何をそんなに焦っているのだろうか。いや、そもそもこれは現実なのだろうか。
考えて、ツカサはとうとう自分がおかしくなったのだと思った。
(へへ……げ、幻聴だけじゃなく幻覚まで……どんな幻覚だよコレ……っていうか、最後の最後なら、綺麗なおねーさんに介抱してほしかったな……)
何故自分は、赤いオッサンを最期に幻視してしまったのだろうか。
そう悔やむが、しかし何故だか憤りはない。
ただ、妙な安心感と嬉しさだけがあって、もう心配はないのだと思うばかりだった。
――――心配はない。
それは、誰に向けての思いだったのか。
自分でも分からないまま、ツカサは今度こそ意識を手放したのだった。
◆
「…………っは……」
喉が動いて、息をする感覚が自分でも分かる。
何が起こったのかと目を開けると、視線の先には暗闇で明々と燃えるたき火が鎮座していて、ぱちぱちとツカサの耳に音を届けていた。どうやらあれから眠ってしまったらしい。
(俺……助かったのか……)
不思議と、最初の疲れや飢餓感は無い。もしかして、自分は無意識のうちに森で食料を探して食べ、たき火を起こして寝入ってしまったのだろうか。そんなアホな事を考えたツカサだったが、流石にそれは無いなと顔を歪めた。そんな有能な事が出来ていれば、今頃自分は“施設”でぐっすり眠っていただろう。どう考えたって、今の自分は「役立たず」のままだった。
(でも、どうして助かったんだろう……なんでたき火が……?)
ゆっくりと体を起こすと、たき火の向こうから声が聞こえた。
「まだ無理に動かない方が良い。ハラに何も入れてないしな」
あの時の大人の声だ、とツカサは目を丸くした。
低くて、少し掠れたように渋くて、まるでどこかの俳優のようなしっかりした声。
間違いなく大人の男の声だ。
「ま、まさか、ホントに夢じゃなかったのか!?」
驚いて飛び起きると、たき火の向こうの大きな影は呆れたように溜息を吐いて、枯れ枝をたき火の中に適当に放り投げる。
「夢だと思ってたの? ハァ……これじゃ望み薄かなぁ……」
「え?」
「ご、ゴホン。なんでもない。……君は、どうしてこんな森の中にいたんだ? その薄手の服装からして、僕のような【探索者】でもないんだろう?」
なんだかさっき口調が変わった気がしたが、気のせいだろうか。
不思議に思いつつも、ツカサは地面にあぐらをかいて首を傾げる。
「探索者って?」
「それは後で説明する。……ともかく、君の境遇だ。助けたんだから、聞かせてもらう権利はあるはずだぞ。包み隠さず話して貰いたい。こちらとしても、素性の分からない人間を助ける義理は無いし、敵か味方か判断できない内は何も話せないからな」
「助けてくれたのに?」
「話を聞くためだ。だが、もし君が悪人だったり、正直に喋っているような態度では無かったら……残念だが、モンスター達のエサになってもらう」
炎の向こうで影を作る相手の言葉に、ツカサは苦笑した。
未成年のツカサに向かってはっきりと「殺す」と大人が言うなんて、信じられないことだ。しかし、この世界はもうツカサが昔暮らしていた平穏な世界ではない。だから、大人も“そういう風になる”しかなかったのだろう。
他人を助けていては生活もままならない。
危険な存在が蔓延る世界では、他人を助ける事すら難しい。
だれもが生きるのに精いっぱいで、余裕など無い。
……だから、たき火の向こうの男も、そういう風にしか喋れないのだ。
(…………なんか、解る気もする。俺達だってギスギスしてたもんな。……最初は協力し合ってたけど、段々……そうもいかなくなってったし……)
なんだかふさぎ込みたい気分になったが、今はそんな場合ではないと思い直し、ツカサは顔を上げてたき火の向こうの影を見やった。
少し遠くにいるのか、森の闇に紛れていて顔の周辺が分からないが、しかし彼が自分を助けてくれたのは確かだ。正直に今までの事を話せば、なんとかなるかもしれない。
(俺はもう、どのみち一人で生きて行くしかないんだ。この人に殺されたって、それは仕方ない。甘えを棄てろ俺。今はただ、相手に信頼して貰うことだけを考えるんだ)
ただ、自分の今までのことを話すのは――少々、情けない。
ツカサは心の中がちくんと痛んだ気がしたが、もう恥をかいたと思うようなプライドすらないのだと自分に言い聞かせ、口を開いた。
「あんまり楽しい話じゃないし、俺の一方的な目線だから……もしかしたら、俺が悲劇のヒロインぶってるように聞こえるかもしれないけど、いい?」
「大方想像はつくよ。だけど、自分で自分をそう評価できるなら上出来だ。……まあ、モンスターを警戒しなきゃ行けないし……寝ずの番の肴として聞いてあげるよ。君の不幸話をさ」
まったく嫌味な台詞だが、しかし相手がツカサの話を冗談半分で聞いてくれるのなら僥倖だ。ツカサも本当は不幸自慢の話などしたくなかったので、笑い飛ばしてくれるほうがありがたかった。
「じゃあ……ええと、オッサン……だよな? オッサンって、昔の日本を知ってる?」
「ああ、僕は【バイオスリープ】に運よく当選したからね」
その言葉を聞いて、ツカサはホッとする。
もしこの世界が“自分の知っている世界”より百年以上進んでいた場合、恐らく相手はこちらの話を理解出来ないか、もしくはツカサの事を狂人だと思ってしまうだろう。
だが、同じ境遇の人間なら話は別だ。
少なくともツカサの言っている事はほぼ信じて貰えるだろう。そう思うと体の力が急に抜けてしまって、ツカサはへらへらと笑って膝を抱えた。
「あは……俺、運はちょっとだけ良かったのかもな。まさか、俺達以外の『未来の日本』に送り込まれた人間と出会えるなんて、思ってもみなかったよ」
「それは僕もだ。……僕も……本当に出逢えるなんて、思ってもみなかった……」
「……?」
なんだか、たき火の向こうのオッサンの声が、沈んでいるような気がする。
もしかして自分達のような存在は特殊なのだろうか。そもそも、このオッサンはどこから来たのだろう。密林の向こうに、また別に“施設”が存在するのだろうか。
そのあたりが気になって来たが、今は問いかける時間ではない。
ツカサは気を取り直して、たき火の向こうにいる影のオッサンを見据えた。
「俺……っていうか、俺達はさ、世門市の人間で……その中でも俺は、フツーの高校生だったんだ。……だから、俺は【バイオスリープ】に選ばれてたなんて思わなくてさ。目覚めたら、この森の中にある“施設”の装置に入ってたんだ。他の……優秀な奴らと一緒に」
「優秀なヤツら?」
「……そう。俺は……たぶん、間違えて入れられたんだと思う。だから、アイツらの期待に応えられなくて、こんな風に追放されちまったんだ」
昨日の事が今でも鮮明に思い出せる。
だが、それを話すには最初から話さなければいけない。
ツカサは胸が閊えたような苦しさを覚えながらも、今までの事をぽつぽつと語り出した。
「ホント……みんな、凄いヤツらばっかりだったんだ」
――――ぱちん、と、たき火が跳ねた。
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もしキャラの名前にピンと来た方がおられたら
シーッて感じで黙っていて下さると幸いです。
いわゆるスターシステムというヤツです。