#02 愚鈍な駒の記憶
※反社会的な描写、発言が見られますが
作者の真意ではありません。あらかじめご了承ください。
浜鈿 彩理は、かつて神童と呼ばれていた。
弱冠十二歳で基礎医学を学び、その驚異的な頭脳によって次々に最新の知識を物にする。その姿はまさに生きた医術の神とも賛美され、弱冠十二歳にして海外の大学で博士号を収めた過去も彼女にとっては輝かしい功績の内の一つにしか過ぎなかったのである。
確かに、彼女は非の打ちどころが無かった。
怜悧な美貌と、神のごとき頭脳。両親は脳外科の権威と呼ばれテレビで持て囃される有名な“スーパードクター”であり、家は歴史ある名家だ。
まさに、成功を約束された存在。
全てが完璧に揃っている、それは自他ともに認める事実だった。
アイリという存在は、過去の世界において間違いなく「人の上に立てる、この世でも一握りの存在」だったのである。
それゆえ彼女は、自分が“選ばれた”ことに対して何も感じてはいなかったし、未来の世界で目覚めても特段騒ぐことも無かった。ただ、静かに状況を受け入れ思ったのだ。
(ああ、なんて面白い所に来たんだろう)
この世界の状況を初めて把握した時、アイリはかつての世界では感じなかった感覚に浮足立った。……無理も無い。この世界は、アイリの想像の範疇をはるかに超えていたからだ。
本来ならばありえない方向へ進化……いや変異した生物達。
まるで愚か者が夢想するような効果を持つ方向へ進化した植物の群れ。
そして……誰にも気兼ねなく出来る、アイリが“ほんとうにやりたかった”こと。
法律も年齢も関係が無い。この世界はただ「強きもの」があり、そしてその「強きもの」は「弱きもの」に対してありとあらゆる行動を行う事が出来る。
慈悲を持って助けることも、それを盾に相手を縛る事も、相手を――――
(……なのに、つまらない。追放するのに賛同しなければ良かったかしら)
医務室の椅子に腰かけ、アイリは一人顔を顰める。
かつての世界では最新式とされた医療機器を動かす部屋が併設されている、診察室のような部屋。通常の病院と言うよりは学校の保健室ほどの広さがあるその空間で、彼女は机の上の物を見た。
そこには、アイリの筆跡ではない無数のメモが置き去りにされている。
元の持ち主と同じ小汚い文字と絵を紙面いっぱいに記したそれらを見て、アイリは溜息を吐いた。
「どうせ捨てるんなら、解剖させてって提案すればよかったなあ」
そう言いながら、アイリは机に掛けていた鍵を解き、中からノートを一冊取り出す。その中の物をぺらぺらとめくって、本当に残念そうにまた溜息を吐いた。
怜悧な美貌を持つアイリの様は、一見すれば落ち着いた印象の美少女が憂いを秘めているふうに見えたのかも知れない。だが、彼女の考えている事は少女の思考とはあまりにもかけ離れていた。
「モルモットに適した人間を見つくろうのだって、楽じゃないのに。……あの中で彼以上に適した被験者を探すといっても、そうそう見つからないのよね。あの子、耐久性だけはズバぬけてたもの。本当に、色々と試すには最適だったのになあ」
あの子――――ツカサを惜しがっている理由は、好意でもなんでもない。
ただ、アイリにとっては都合がいい「駒」だったから。
だから、彼女は面倒を嫌って「都合がいいモノ」を失った事を嘆いている。
「致死量の麻酔で生きたまま解剖……は、さすがにやったことなかったもの。ここでなら、好きに研究を続けられたかもしれないのに……ああ、本当に惜しいことしちゃった」
彼女は、天才であるが故に医学のありとあらゆる分野を習得した。
基礎医学、臨床医学、心理学薬学社会医学……――――そして、解剖学。
そう。
この中で彼女がもっとも興味を示したのは、人体解剖学だった。
医学を間違いなく進歩させる行為でありながら、一方では忌避する者もおり厳格な制度が存在する禁忌に最も近い学問。脳の断片をプレパラート一つに張り付けて公の場で見やるだけでも世間は鋭い目を向け、筋肉の動きを見たいからと生きたまま皮膚を剥ぎ取る行為すら許されない。
生物に福音を齎すにも関わらず、ある一定のラインを越えれば忌み嫌われる学問。
そんなアンバランスな存在がアイリに一種の快楽と興味を齎したのである。
…………だが、本来ならば、解剖学と言うものに対してそんな感情は抱かない。
人を生かすための学問である事は、誰もが認知する所だ。解剖学を学ぶほぼすべての人が、こんな狂った事は考えまい。ただ人々を救う医学のため、己の志す道のために篤志家たる検体に手を合わせ、過酷な労働と化す学問にメスを入れるのだ。そこに誰かを喜ばせるような禁忌など存在しなかった。
しかし、アイリはそう思うことなど無い。
自他ともに完璧だと認められている彼女にとって、己より下の世界で生きている愚鈍な人間の思考など「サンプル」であり、個々の意思などただの戯言にしか思っていなかったのである。
だからこそ、アイリは他のものの意見を聞かなかった。
“かつての世界”で、学問をよく修めた。
普通ならば、彼女の方が忌み嫌われていただろう。だが彼女には捨てるには惜し過ぎる才能が有った。それゆえに、周囲は手を貸し、アイリが「医学の発展のために」と望むならなんでも用意したのだ。
そう。
なんでも。
けれどそれは、何も間違っていない。
当然であり、正しい事だったのだ。彼らにとっては。
全ては、アイリが新しい道を開くため。
限られたバイオスリープ装置にすぐさま並べられる名前の一つで当然。
地上に降りた事のない雲の上の人々は、そのことを疑う事も無かった。
「まあ、彼の調査書は充分役に立つわね。その時が来たら、私の研究成果として役立ててあげましょう。それが彼への手向けになるかもね」
自分の手柄にすることが当然であると疑わない言葉を吐き、アイリは椅子の背もたれに深く体を預ける。そうして、無機質な部屋の天井を見上げた。
「……フフッ。それにしても傑作だったわね。あの子の七転八倒……おかげでここにある全ての劇薬がどれくらいの致死量か改めて確かめる事が出来たし、あの子の体も調べられた。このつまらない“施設”で充分暇潰しになったわ。思い出せば、まだ少しくらい笑えるかしらね」
それくらいしか、役に立たない「下の人間」だった。
頭も悪く要領も悪い。何を張り切っているのか外に飛び出して帰って来ては、毒にやられたと泣き付いて来る。「阿呆」を体現したような哀れな存在。あれが、アイリが治してやる患者の一人なのだ。
そう思えば、今後群がって来るであろう愚か者どもに笑いが湧いてくる。
「まあたぶん、あの子のように無茶は出来ないわよねえ。誰もが【ナノマシン】を打たれたワケじゃないもの。ああ、だけど試したい……残されたゴミなら、何を試しても良いのよね? だってここは法律が無いんだもの。本当の私達の世界なんだもの……! ふっ……ふふ……はははっ、ははははは!」
最早、アイリを縛るものは何も無い。
目に見えない魂や「下のもの」の尊厳など、もう気にしなくて良い。
煩わしい何もかもに遠慮する必要など無くなったのだ。
だから、何をしてもいい。
「あはははは! ははははははは!」
紛れもない事実と現実に笑いが込み上げて来て、アイリは一人笑い続けた。
……その笑みは、最早可憐な少女の物ではない。
すべてを見下し嘲る、悪魔のような笑みだった。
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