Prologue
「ここから飛び降りる? バカなんじゃないの⁉」
容赦なく吹き荒れる風が笛の音のように騒がしい。私が張り上げる声まで掻き消されてしまいそうなほどに。
私たちは崖っぷちに立っている。もし一歩でも踏み外せば、五百メートル下まで自由落下だ。
ここ〈天空のダンスホール〉は、地上五三二メートルを誇る超高層ビルの最上階。眼下にはまるでミニチュア模型のように小さい金沢の街が広がっている。
ダンスホールという名の通り、この空間はダンスパーティーの会場として設計されている。私たちがいる休憩室の隣にあるメインホールでは、今も華やかな舞踏会の真っ最中。壁越しに漏れ聞こえてきている優雅なバイオリンの旋律に乗せて、紳士淑女達がしなやかな四肢を舞わせていることだろう。いっぽう、壁を一枚隔てたこちら側では命懸けのスカイダイビングが始まろうとしている。この差はなに……?
「大丈夫だよ! しっかり準備してきたから♪」
背後から私の腰にベルトを巻いている白奈の呑気な声が聞こえて、なおさら不安になる。この子は本当に危険をわかっているのかしら。
「なんでそんなに平気そうなの? 失敗したら死んじゃうのよ⁉︎」
「だって、ここに閉じ込められるくらいなら“死んだほうがマシ”なんでしょ? 季見歌がそう言ってたから、助けに来たんだよ。チャレンジしてみようよ♪ 勇気を出して、全部変えよう?」
ええ、ここから落ちたら全部変わってしまうでしょうね。たとえば、私という存在が肉片に変わってしまったり……いや、五百メートルから落ちると、肉片も残らないのかしら……。
「まってまって……。私……まだ心の準備が!」
「しなくて平気! いくら心の準備をしても、運が悪かったら“ぺしゃんこ”なんだから♪」
「それが嫌なのよっ!」
一緒に飛ぶ白奈だって死ぬかもしれないのに、その声はなぜだか呑気だった。
「覚悟はできたー?」
「全然できてないわ‼︎ お願いだから考え直して!」
私がそう叫ぶと同時に、竜が唸るような凄まじい突風が吹き荒れた。あまりの風圧に身体がもっていかれそうになった。私のドレスもバタバタバタッと激しい音を立てて靡く。
もしかすると、私が必死に張り上げた声も、風笛にかき消されて届かなかったかもしれない。
「オッケー♪ じゃあ、テンカウントで飛ぶね〜!」
――残念、やっぱり届いていなかったみたい。
「スリー! ツー! ……」
「テンカウントじゃなかったの⁉︎」
白奈は後ろから私の体をかっちりホールドして、無慈悲に死へのカウントダウンを刻む。――楽しそうに。
「――待って待って待って待って‼︎」
「ワンッ――‼︎」
という掛け声と同時に、白奈は地面を蹴った。
「白奈のバカァァァァァァァーーーーーーー!」
足がすくむような浮遊感が全身を包んだ。下から猛烈な強風が吹き上がり、髪の毛が巨大ドライヤーで吹かれたように逆立つ。本能的に足をバタバタと動かして足場を探したけれど、そんなものはない――五〇〇メートル下まで!
「「キャァァァァァァァァァァァァーーーーーーーー‼︎」」
――これが、記念すべき人生初の自由落下体験だった。
――12月23日刊行『Un monde Perfeit』誌掲載――