第31話 天空のてんてこ舞い
天空を統べる神ことウラヌスは、現代社会の人間たちに出会いを授けるべく、愛の神キューピッドたち(天使ではない)の働きぶりを常に監視していた。
キューピッドたちは空高く浮かぶ頑丈な塔の最上階に住み、塔から地上付近までは、螺旋式のエスカレーターで長距離移動が可能であった。
「ウラヌス様、キューピッドたちの移動手段のことでお話があります」
ある日、彼の優秀な右腕ことディアーナが、新月の銀の弓を背負って神殿に現れた。
狩猟と月を司る神にふさわしい、威風堂々とした見目麗しい女神である。
「おお、ディアーナか。いつもワシの代わりに色々と動いてくれて、すまないのう」
ウラヌスは決して愚鈍な神ではなかったが、この敏腕な部下には幾分、頭の上がらない所があった。
「これも業務の内ですから。それよりも最近、人間たちのキューピッドへの印象が著しく落ちているのはご存じですか?」
「どういうことじゃ?」
青天の霹靂とも言える悪い知らせに、ウラヌスは激しく動揺した。
「人間たちの中には、稀にですがキューピッドの姿を目視できる者が増えております。彼らのSNS情報によりますと、キューピッドたちの腹が、いささか出過ぎているのではないかと悪評が立っております」
「ウッ」
ウラヌスは思わず、自らの中年太りの腹肉に手を当てた。
「そそ、そうかのぉ。ワシは、あやつらのぷっくりした腹は、なかなか愛嬌があって良いと思うがのう」
冷や汗をかくウラヌスをよそに、ディアーナは淡々と話を続けた。
「地上では愛嬌よりも『映え』が重要視されているようです。一昔前の価値観のまま放置しておくと、我々の沽券にも関わって来るかと」
(ワシの考えが古臭いと言うのか?)
腹に溜まった念が顔に出ぬよう、ウラヌスは平常心を保とうとした。
「ではどうすれば良いのじゃ?」
「エスカレーターをやめて、降りる時だけ塔の非常階段を導入してはいかがでしょう。電力の節約にもなり、時代の流れにも沿うかと」
「そうは言っても、あやつらは我が儘じゃからのう」
キューピッドは塔から地上まで飛んでいける翼を持ちながらも、疲れると愛の矢の采配に支障が出るからと、エスカレーターを要求した経緯がある。
その上、いたずら好きで気まぐれな性分のため、幼子のように目の離せない存在でもあった。
「我が儘を上手く飼いならすのも、上司たる天空神の務めかと」
「う~む。ダイエット効果になるのなら、いたしかたあるまいなぁ」
「では早速、ウラヌス様の名前で内部通達を出しましょう」
「分かった。良きに計らうように」
ディアーナは辞儀をした後、踵を返そうとして立ち止まった。
「そんなに気になるのであれば、ウラヌス様もご同行されてみては? 弛んだ腹を引き締める良い機会になるかと」
(ぬぬ、バレておったか)
こうして、ウラヌスもキューピッドたちとともに天空階段を降りることとなった。
* * *
「エスカレーター壊れてないのに階段とか、マジダルいんだけどー」
「もぉ、押さないで! 羽が曲がっちゃうでしょ!」
「後がつかえてんだよ、早く降りろよ!」
天空階段は早くも、キューピッドたちの騒がしい声で溢れかえっていた。
「これは予想以上の凄まじさじゃのう」
行列の最後尾で、早くも額に汗をかいてウラヌスは嘆いた。
「そのうち全員慣れるでしょう。その頃には、腹筋も割れて体力もついているかと」
近くにいるディアーナは、長い長い階段を悠然と降り続けた。
「ウラヌス様、大変です!」と、見張り役の天使が報告に飛んできた。
「どうしたのじゃ?」
「2550階の踊り場で、キューピッドたちが勝手に休憩をとっています!」
「まだ始まったばかりじゃぞ! けしからん!」
注意するよう指示を出してから、しばらく経った。
「ウラヌス様、大変です!」と別の天使が飛んできた。
「次はなんじゃ?」
「2230階の踊り場で、キューピッドが勝手にレモネード売ってます!」
「アメリカの子どもか! 副業禁止じゃ!」
その後も天使たちの報告は止まらない。
「1510階の踊り場で、壁に『ウラヌスのハゲ』と落書きしてます!」
「やかましい! 腹立つ!」
「984階の踊り場で、キューピッドたちがイチャついてます!」
「うらやましい! 腹立つ!」
何度もキレつつ、キューピッドたちを押しやること数時間の後、ようやく先頭のキューピッドたちが1階の出入口にたどり着いた。
「ふ~、これでやっとワシらもお役御免だな」
「私にはこの程度の運動、朝飯前でしたが」
真っ赤な顔でへたりこむウラヌスを見下ろして、ディアーナが言った。
「ウラヌス様! 大変です!」
天使が困り顔で飛びついてきた。
「ここに来て、いったいどうしたんじゃ?」
「非常口のドアが開きません! おそらく外から鍵がかかったままかと」
「なんじゃと!?」
「私としたことが! 確認を怠っておりました」
ディアーナの顔が、初めて青ざめた。
「確か1階には警備室があったじゃろ? すぐに連絡を取れ」
ウラヌスが指示を出している最中のことだった。
「いつまで待たせんの~?」
「そーだ! 矢でこじ開ければいいじゃん!」
「やっちゃえ! やっちゃえ!」
階下でキューピッドたちが囃し立てたかと思うと、ガチャガチャとドアに何かをねじ込む音が聞こえてきた。
「ハッ! いかん! その矢を使ってはならぬ!」
ウラヌスが声をかけたが、時すでに遅しであった――。
「なにこれ!? 矢がぜんぜん抜けないんだけど!?」
ドアの前にたどり着いたウラヌスとディアーナが見たのは、玩具をくわえて離さない犬のように、しっかりと矢を噛みしめて離さない鍵穴の姿であった。
「鍵穴が恋に落ちたのだな……キューピッドの愛の矢に」
「ウラヌス様。これはもう、鍵を取り替えるしかありませんね」
二人とも呆れ顔でドアを見つめた。
「ということは」
「天空まで階段で戻るしかないですね」
「「そんなぁ~!」」
嘆くキューピッドたちの声が、1階から最上階まで響き渡った。
階段の長距離往復を経た結果、全員の腹筋がバキバキになったものの、それ以上にバキバキの筋肉痛になったことは言うまでもない。
(了)
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