第27話 振り向けない人
コミカルホラーな男女の会話劇です。
「久しぶりに会えたのに……どうして振り向いてくれないの?」
隣にいる私の問いかけを、あなたは背中で受け止めた。
街の片隅にある、小洒落たバーのカウンターに腰かけたまま。
「仕方ないだろ。昨日いきなり呼び出されてさ、外見が不完全なんだ」
「どういうこと?」
「死んでから墓の中で5年も眠ってたから、体がボロボロでさ。カッコいい俺を見せたくて頑張ったけど、一晩じゃ時間がなかった」
「ってことは」
「ああ。このとおり、背中しか整えられなかった。だからこの反対側はゾンビみたいな状態だ」
薄暗い照明の下、目の前の大きな背中がしょんぼりと言った。
灰色のスーツ姿が、ため息に合わせて上下に揺れた。
「……フッ、アハハ」
「なんだよ、笑うことないだろ」
あなたが情けない声で言うもんだから、私はますますおかしくなった。
笑いながらグラスの脚をつかむと、中のカクテルが小刻みに波立った。
「やだもぉ、せっかく会えたのに」
「俺も楽しみにしてたんだけどな」
「じゃあ、なんで背中から作っちゃうのよ! 表から作ればよかったのに」
「分かってないな。男は背中で惚れさせる、それが俺の生き方だったのさ」
「分っかんない、変なの」
あなたは黙って、ウイスキーのロックを口に運ぼうとした。
「おっと」
ガッシャーン
「大丈夫?」
ひし形のカットの破片が、カウンターから床に滑り落ちた。
「手の指が崩れた、怪我は?」
「私は平気、そっちは?」
「怪我も何も、俺は死人だ」
口調はぶっきらぼうでも、生前のときと変わらず優しくて。
背中越しの声が、柔らかく響いた。
「そういえば、挙式は来週だったな。おめでとう」
「うん」
「花嫁姿、綺麗だろうな」
「前撮りの写真、見る?」
「見たいけど、目も濁ってる……見れた所で、泣きたくなるだけだ」
物思いにふける背中が、二人の年月を振り返らせた。
不器用なくせに、私を笑わせようと、守ろうと、いつも必死になってくれた。
「懐かしいね、こうやって二人で飲むの」
「お前は酔っぱらうとすぐ眠るからな。ベッドに運ぶのも一苦労だった」
「それはご苦労様でした」
顔を見せられない分、大袈裟に謝った。
「別にいいんだけど、イビキは治した方がいいぞ。百年の恋も冷める」
「ほっといてよ、ありのままの私が好きなんだって」
「そりゃ、ご馳走様だな」
あなたの組んだ足が、リズミカルに揺れた。
苛立ちを隠すのが、本当に下手な人。
「ねえ。ピーナッツ、食べさせてあげようか」
「気持ちだけ受け取っとく。俺は、最後まで振り向かないからな」
「頑固だね、大好きだったくせに」
「そうだな……大好きだったよ、お前のことも」
お酒のせいかな。
頭がグラグラと、幸せと切なさの間で揺れ始めた。
「私も大好きだった。これからも、ずっとだよ」
「そっか……最後にそれが聞けて、良かったよ」
あなたはそう言うと、スルリと椅子から降りた。
がっしりした上半身が、手を伸ばせば届く距離にある。
「まだ行かないで」
「背中も、もう限界みたいだ……許してくれ」
後ろから抱きつきたかった気持ちを、静かに抑えられた。
「また、会いに来てくれる?」
「次はもう、ないかもな」
「どうして?」
首をわずかにこちらに向きかけて、あなたは留まった。
シルエットが、息詰まるほど黒かった。
「いつまでも、死んだ人間に固執するもんじゃない」
「でも、それでも会いたくなったら?」
あなたは聞こえないフリをして、大きく一歩、前に進みだした。
「ねえ! もし、それでも……どうしても、会いたくなったら?」
こらえられなくなって、涙声で呼びかけた。
バーの扉の手前で、靴音が止まった。
「そうだな……そのときは、一緒に連れて来いよ。俺の孫を」
鼻をすする音が、二人同時に漏れた。
扉のベルが、すぐにそれを打ち消した。
(了)
お読みくださり、誠にありがとうございます。不定期になりますが、ボチボチ更新してまいります。