初っ端からうじうじと
身体と魂の擦り合わせが終わった。
何がどう、という感覚はないのだが、生まれ変わった為か、本能というやつを明確に知覚できた。
前世の俺は、人間だった。
日本と呼ばれる島国で、何不自由無く、という訳では無いが、それなりに恵まれた環境で育ち、学校へ行き、就職をし、仕事をこなしてゆく毎日。
人間としての記憶は、しっかりと残っている。
そして、今、人間では無くなった事もはっきりと理解できている。
腹が減って食事を摂りたくなる、疲れれば睡眠を取りたくなる、そう言った感覚と同じように、今俺が何をしなければいけないのか、はっきりとわかるのだ。
それは、焦りにも似た感情と共に、俺を急きたてる。
今すぐにでもしなければ、狂いそうな程だった。
「とは、言ってもなぁ…。」
情けない声が漏れる。
今すぐ俺がしなければいけないこと。
それは、指を心臓に突き刺す事だ。
心臓の大体この辺に刺し込んで、魂の一部を引きずり出す、という事はわかる。
命の危険がそれほど無い事も分かってはいる。
だが、人としての記憶が、それを躊躇させた。
なんでそんなことせにゃならんのだ。と、人の記憶が叫んでいる。
足が竦む。
こんな訳のわからない事を、やらなければならない事として認識していることが、たまらなく怖い。
背の悪寒は、本能に逆らっているからなのか、それもと、ただの恐怖なのか。
ただただ、自分が何なのか、訳がわからなかった。
「なんでこんな事に。」
いや、わかってるんだ。
俺が、人間では無くなったから。
だが、特に何か『悪い』とされている事をした訳では無い。
前世を含めてだ。
そりゃあ、部長の不正を見て見ぬふりをした事ぐらいはある。
同僚が仮病で休む時、口裏を合わせてやった事もある。
もし、神様がいるとするならば、勧善懲悪が極まり過ぎだろう。
さっきの激痛で帳消しで良いじゃないか。
いや、異世界の人間だった魂と、この肉体の拒否反応だった事ぐらい、本能が教えてくれる。
わかってはいる。
自慢じゃないが、俺は結構なヘタレなのだ。
慎重に慎重に物事を進めるタイプだ。
これをやらねば何も始まらない事はわかっていても、やりたくないことはやりたくないのだ。
「くそっ。」
焦燥だけが募る。
頭痛すらしてきた。
いや、寝不足だったり、空腹が極まれば体調は悪くなる。
本能に逆らうということは、そういう事なのだ。
やらねばならない。
このままだと、命に関わるのかもしれない。
いや、性欲のようなものなのかもしれないが。
性交をしなかったから死んだという人間は聞いた事がない。
種としての人間は滅ぶだろうが。
「あぁ。」
無意味な言葉が漏れる。
本当に、何でこんな事になったのか。
かなりの時間、そうやって過ごしたが、ついにその時がやってきた。
激烈な頭痛と、耳鳴り、嘔吐、不快感に耐えきれず、俺はついに決断した。
初めはちょっと痛いかなぁ、というレベルだったのが、今や魂の定着に匹敵する苦痛だった。
「やるぞ…。」
猛烈な吐き気を堪えて深呼吸。
魔力を指先に集め、ついに俺は自らの胸を抉った。
思った通り、めちゃくちゃ痛い。
痛いのだが、それは元々そうだったので、最早それ自体は気にならない。
そんな事より、全身を覆う苦痛を何とかしたかった。
自分の肋骨に触れながら、指先で心臓を探す。
ある程度の魔力操作は出来るものの、所詮は本能に従っているだけなので、細やかな調整は出来ない。
なけなしの神経を削って、自分の肉をかき分ける。
あ、これだ。ものすごい動いてる。
指先でなぞると、目的のものはすぐに見つかった。
魂が定着する際に出来た、魔力結晶だ。
大きさは親指の先ほど。
俺の魂の一部と、肉体と魂が定着する際に起こる、魔力逆流によって出来る結晶である。
俺の魂が核になっているだけあって、俺の魔力と近くはあるが、かなりの異物も混じっている。
時間が経てば経つほど、血液に異質な魔力が流れ込み、拒否反応を起こす訳だ。
知っていた訳ではないが、魔力結晶に指先が触れた瞬間、そんな事が理解できた。
それともう一つ、この魔力結晶には、大きな意味がある。
指先で魔力結晶を引き抜く。
「あ、しまった。」
胸に開いた穴から、血と魔力が吹き出す。
「いや、丁度良いか。」
一瞬慌てたが、傷はすぐに塞がった。
魔力結晶が、吹き出した魔力と血液を喰らい始める。
始まりの一体。
この俺の魂から作られる最初の魔物。
その核となるのが、この魔力結晶だ。
異物が混じった血と魔力は、俺の体内にあれば毒でしかないが、新たに魔物を生み出す材料としては良いものになる。
「出来れば、人型が良いな。」
話し相手とか欲しいし。
というか、獣系とか粘体系とか、前世の記憶からすると雑魚っぽくて不安だ。
魔力結晶が内側から蠢き、熱を持つ。
そして、直視できないほどの光を放った。
思わず魔力結晶を取り落とす。
そして、悲鳴が響き渡った。
あぁ、これ、魂の定着する時のやつか。
思わず、同情してしまった。