退却
騎士どもが、退却を始めた。
ミノタウロスに勝てぬと踏んだのか、一撃いれてからの退却だった。
思ったよりもあっさりと逃げ始めた騎士達に、俺は拍子抜けしていた。
「しかし、危ない所だった。あのまま行けば、倒されていたかもな。」
ミノタウロスの首筋に剣を突き立てた男。
おそらく、ガーランドと言う男だろう。
ミノタウロスに投げ飛ばされて、負傷したようだが、全身が肝っ玉で出来たような男だ。
ロザリンドは、まだ隊長と呼ばれていた男と遊んでいる。
既に男の方は満身創痍だが、奥の手を残しているようでもあった。
まぁ、実力の差は明らかなので、問題ないだろう。
それよりも、退却する騎士達だ。
このまま無事に帰すと思ってはいないだろう。
その魂、しっかりと刈り取らせて貰わねばならん。
「退け!退けえええ!」
退き鐘が鳴り響く。
騎士達は、一瞬戸惑ったが、十人隊長達は、即座に声を張り上げた。
こうなれば、一人でも多く生き残らせねばならない。
訓練で血反吐を吐くまで叩き込んだ事だ。
「副長、しっかり。地上に出れば、治療魔術を使える者がおります。」
自力で歩く事もままならず、ガーランドは鎧を脱がされ、盾を担架代りに三名で担がれていた。
退却を決めてから、不意に視界が暗くなる時がある。
「追撃を警戒しろ。地上に出るまで、気を抜くな。」
「心得ております。余り喋らないで下さい。」
既に、大部屋を抜けて通路に入った。
大部屋からは、ミノタウロスの咆哮が聴こえる。
通路に辿り着くまでに、何人の騎士が踏み潰されるのか。
不意に、背後から絶叫が上がる。
「蛇だ。上から落ちてくるぞ!」
身体を無理矢理起こす。
激痛に思わず顔を顰めたが、自分の眼で確認したかった。
無数の小さな蛇が、天井から降り注いでいた。
盾など、とうに捨てて来ている。
何人かは拾ってきていたようだが、殆どがなす術もなく、鎧に入り込まれ、全身を噛みつかれて悲鳴をあげている。
毒蛇だろう。
周到な敵だ。
「背後よりスケルトン!弓を持ってるぞ!盾がある者は後ろに回れ!」
殿を務める十人隊長が叫ぶ。
立っている騎士は、既に三十もいない。
皆、散っていったのか。
身体が動かない事が、これ程疎ましいとは。
今、自分が前に出れば、この者達を死なせる事はないだろう。
口の中に、血の味が広がる。
「早く退け!此処は私が止める!」
盾の壁の背後で、十人隊長が剣を抜き放つ。
全身の闘気が、蛇を近寄らせていない。
矢が、頬を掠めた。
「退け、退けえええ!!後ろに構うな!地上を目指せ!」
十名、殿についた。
彼らが生きて戻る事はないだろう。
いきなり、視界が揺れる。
「くそっ!毒矢か!副長を降ろせ。担いで地上にお連れしろ!」
自分を担いでいた騎士が、倒れていた。
腿に、矢が突き立っている。
口から、黒い血が漏れ出してくる。
「置いていけ。」
思わず、言っていた。
なんと、無力な事か。
死んだも同然だった。
死人のために、無為に命を散らせるのは、忍びなかった。
「なりません。第六隊再建に、貴方は必要です。なんとしても地上にお連れします。」
有無言わさぬ体で、担ぎ上げられた。
痛みに思わず声が漏れる。
漏らしてはならないと思っても、耐え難かった。
全くもって、馬鹿げていた。
その溢れ出る魔力の波動で、まず七名が死んだ。
信じ難い事だが、何の魔術でもない、ただ垂れ流れた魔力で、人が死んだのだ。
死んだのは武術を得手としていた騎士だ。
元々、第六隊には魔術の素養を持った者が少ない。
最低限の魔術だけを身につけた後は、己の闘気を練り上げ、肉体を武器とする者が殆どだ。
「まだ、踊れるでしょう?さぁ、立ちなさいな。」
アルファードは、人骨の山に埋もれていた。
女の振るう剣を受け、そのまま吹き飛ばされたのだ。
およそ、信じ難いほどの膂力だった。
ゆっくりと、立ち上がる。
一秒でも、時間を稼ぐ為に。
「その身は光と共にある。白き雲を払う腕が海を越える時、汝は知るだろう。その地に芽吹く者達の怒りを。」
渦巻く魔力。ただただ禍々しい奔流が、女の魔物へと収束していく。
「プリズム・ライトニング・キャノン」
魔力が、電流の奔流に変化する。
同時に、光の鏡が女を取り囲んだ。
女を貫いた電流が、光の鏡に増幅され、跳ね返る。
肉が焼ける臭い。
女は成す術もなく、電熱に焼かれ、煙を上げている。
何度も、何度も増幅と反射を繰り返し、女を貫く。
手応えはある。
確実に、ダメージは蓄積している。
それでも、女は笑っていた。
「化け物め。」
最後の鏡が消える。
増幅され切った電流が、女の頭上から降り注ぐ。
落雷をも越える電気と魔力の塊。
それを、女は相殺した。
真紅の奔流。
それが、信じ難い程の魔力を流し込んだ血液である事をアルファードは、既に学んでいた。
「実に、素晴らしい。」
未だ、女の身体からは煙が上がっている。
黒のドレスは焼き焦げ、一歩歩く毎に、焼き爛れた肌を晒していた。
一歩、一歩、女はゆっくりと歩を進める。
見る見るうちに、女の肌に滑らかな輝きが戻っていく。
「もう、終わりですか?」
闘気を、再び練り上げた。
人骨の山を駆け降り、剣を振るう。
女の手には、血の剣。
受け止められる瞬間、半身を引いて刺突の構えを取る。
女は、反応しきれていない。
次の瞬間には、心臓を貫いた。
「ほら、もっと。」
喉元に突き入れる。
「まだ、踊れるでしょう。」
右腕を斬り飛ばした。
「さぁ。」
女の蹴りが、魔性の速さで脇腹を襲う。
魔術で防ぐ間もなく、壁まで吹き飛ぶ。
「もっと、もっと踊りましょう?」
女は、ただ美しく微笑んだ。




