猫と死生観
「あ〜あ、嫌な体育の授業があって疲れて帰って来たとき、うちに猫がいたら癒やされるのになあ」
運動音痴の小五の次男がよく言うセリフである。
「お母さんもまた猫飼いたいよ。独身の頃からあんたが赤ちゃんの頃まで、二十年くらい同居してたんだよ」
「猫って、人のお腹の上で寝たりするんでしょ?」
「寝る寝る〜。そんで私のお腹をモミモミするんだよ〜」
「へえ、可愛いね〜。本当に飼ってみたい」
などと会話しつつも、我が家は現在、ペット禁止の賃貸マンション住まいなので、ここに住み続ける限り、猫は飼えない。
なので、縫いぐるみや写真集、漫画などで、猫分を補充するしかないのが現状だ。
「お父さんも猫飼いたいでしょう?」
夫は、幼少期から多数の猫に囲まれて育ち、「動物なら何でも好き」という私よりもずっと猫派である。
そんな夫なら二つ返事で賛同するかと思いきや、彼は「猫は死ぬから嫌だ……」と、ぼそりと呟いた。
「そりゃ気持ちは分かるけど、生き物だから死ぬのは当たり前じゃない」
思わず私がそう言うと、夫は「死ぬものは飼いたくない」と更に言い切った。
「そんなこと言ったら、今飼ってる金魚だって先に死んじゃうし、私だって、十も年上なんだから先に死ぬかもよ?」
夫はわりと無表情なので、何を思ったのかは分からない。
しかし、私の言葉を黙って聞いていた。
「死ぬから嫌だって言ってたら、結婚もできないし、子どもを持つことも、友達を作ることも無理じゃないの」
そう私が言い募ると、夫は、「いや、子どもは大抵先に死なないし、お母さんには何とか長生きしてもらうってことで……」などと宣う。
「いやいや、そればっかりは約束できないよ。……でもさ、子どもは育ってしまえば自立するとして、猫は残したまま死ねないよね?」
「そう。それも嫌だ」
「んん? 先に死なれるのも、残して逝くのも嫌だと……とにかく《死》が嫌なんだってこと?」
「そう」
「う〜ん。そりゃ難しいこと言うねえ。じゃ、将来猫を飼えるところへ引っ越したとしても飼わないってこと?」
「うん」
「……そっか」
取り付く島もない夫との会話はそこで終わった。
と、思いきや、夫はこう続けたのだった「俺さ、永遠に生きたいんだもん。死ぬのって嫌じゃない?」
「えっ!? ないない! 私は永遠の命なんていらない! 終わりが見えないのって絶望じゃない?」
夫は常々「長生きしたい」と言っているが、ここまで死を恐れていたとは思わなかった。
私とは死生観がかなり異なるんだなあと、猫を飼う、飼わないの話で思い知った次第である。
こんなことを言うと批判されるかも知れないが、私は《死》について語ることをそこまでタブー視していない。
と言うか、割と死を身近に感じていると言うべきか。
そのわけは、まず、私の実家が四世代同居だったことも大いに関係していると思う。
曽祖母と、亡き曽祖父の弟妹たち(わけあって未婚で同居していた)と、祖父母と、両親、そして私たち三姉妹。計十人の大家族だった。
私は、幼少期から三十歳になるまでに、両親と妹たちを除く五人の最期を見送ってきた。
また、同居はしていないが、親しくしていた父方の叔父叔母の中にも、病や事故で若くしてなくなった人がいるためか、死ぬのは自然の摂理だと変に達観するところがあった。
更に言うと、四十代となった今までには《生と死はいつも隣り合わせ》そう思うようなヒヤリとする体験だって何度かしているし、実家の家業が代々漁師で漁村育ちということもあり、《板子一枚下は地獄》という言葉を実感するようなことを、幼い頃から何度も見聞きしてきて、(人って案外簡単に死んじゃうんだなあ)と実感して成長してきたから、というのも影響していると思う。
それと、やはり大人になってから介護職として働いた経験のせいもあるかと思う。
昨日まで笑い合い、楽しくお喋りしていたお年寄りが、今日はもういない。そんなことが多々あった。
今の仕事である病院清掃のパートでも、同じようなことがある。
突発的な死は、確かに辛いし痛ましい。
寿命で死ぬとしても、大切な人(動物も)の死はやはり悲しい。
それは私だってそう思うのだ。
今のところは健康な自分だって、明日はわからない。
いくらまだ若いとはいえ、それでも半世紀近くは生きてきたせいか、少し前よりは自分の死を身近に感じるし、《出会いは別れの始まりだ》そんな風に実感することも増えた。
そのことに胸がぎゅっと痛むこともあれば、「しょうがない」と諦めることも多くなった。
「出会わなければ、親しくならなければ、こんなに辛い別れを知らずに済んだのに……」そう思うことも多々ある。
それは、死に限らず、物理的な距離ができることや、心理的な距離ができることも含めて。
だけど、やっぱり私は求めて止まない。
どんなに心閉ざしてしまうときがあっても、それをこじ開けてくれる誰かや何かを。
いや、自分で自分の心をこじ開けて、明るい世界へ出て行きたくなるような衝動を。
その衝動を起こしてくれる素晴らしい出会いを。
その先に別れが来るのが必定だとしてもだ。
猫を飼う飼わないの話から、何だか深大なテーマに行き着いてしまったが、命と向き合うっていうのはそういうことなんだなあというのが、私がこの駄文を綴りながら得られた率直な実感なのだ。