不惑だけど惑う
不惑。四十にして惑わず。そう言われる年代である私は、いつも「大人にならなきゃ」と思って生きている。
いつか投稿したエッセイには、馬鹿な自分、子どもの自分を認めて愛してあげたいなんて書いたけど、実際問題、それを全面に出して生きるのは厳しい年齢だと、一応分かってはいるのだ。
言ってることが矛盾だらけで、自分でも呆れたりするのだが、やはり、もう成人している子どもがいたって不思議じゃない歳なんだし、些細なことで心乱れず、怒らず、悲しまず、はしゃぎ過ぎず、他人様に合わせて……などと、らしくないほど自制し過ぎて、心がもうパンク寸前!という状態だった最近の私。
そう。お恥ずかしながら、私は全く大人じゃなかったのだ。
「私はもっと強いはずよ」とは、永遠のアイドル、松田聖子さんのために松本隆さんが書かれた《瞳はダイアモンド》の歌詞で、私はその詩も曲も大好きなのだが、その部分の歌詞が頭をグルグル巡って泣きそうになっていた。
お若い方はご存知ない方もいらっしゃるかも知れないが、これは失恋の歌だ。だから、私の状況とは全くシチュエーションが異なるが、強がる主人公が、涙を堪えながらもどうしても溢れてしまう涙……というような歌詞なのだ。
傷つけようとしても傷つかない、小さなダイアモンドのような心、だけど、煌めく涙はどうしようもなく溢れてしまう……そんな美しい歌詞。はぁ……しゅてき!
私、作家より作詞家に憧れてたんだった。
それはさておき。
この連載でみなさんに愚痴を聞いてもらった通り、リアルでの生活では、ある人に《自分ルール》を押し付けられてモヤモヤし、ここ《小説家になろう》では、上手く書けない自分、他の方の作品をちゃんと理解して感想を書くことができない自分、皆さんの素敵な作品を読むと涙が滲み、下手な自分が情けなくて読めなくなった自分、ワイワイと楽しくやってらっしゃる輪にも入れない自分、我関せずを決め込んで自由気ままに振る舞う勇気もない自分と、ないない尽くしの自分に、もうほとほと嫌気が差して、疲れて、拗ねて、捻くれて、トンズラこいていたのである。
とにかく、今はここと少し距離をとらないと心が砕けてしまう……そう思い、ここ暫くは、連載作品の投稿のみ、誰もが忘れた頃に細々と続け、ほぼリアルの生活のみ見詰めて生きていたのだ。
もう、「誰も見ないで、足を止めないで、こんな私を見ないで……」である。ちなみにこれはドリームズ・カム・トゥルーの《悲しいKiss》の歌詞。
なんだ、私、こんなことばっか言って、音楽聞いて癒やされてたりして、意外と元気じゃん!て、このエッセイを書いてて思ってしまった。
書いて傷つき、書いて癒やされ、無限のループに嵌ってしまったのかも知れない。これは、まさに飴と鞭。
こんなんじゃ、まだ暫くはやめることはできないなあと、ため息をつきながらも、投稿ボタンを押す気満々の私なのだ。
これくらいの引用なら許されますよ……ね?