訛ってる?
「失礼します〜。205号室の……」
私が、ナースステーションを覗いて声を掛けると、若い看護助手のMちゃんが、何故か驚いた顔をしてこちらを見ている。
「Kさん、なまっ……」
Mちゃんは、何か言い掛けて黙った。
「ん? 205号室のおばあちゃんがね、お水飲みたいから体起こして欲しいんだって」
私は、さっき言い掛けたことを彼女に伝えた。
介護福祉士の資格を持っている私ではあるが、この病院では清掃員として勤務しているため、患者さんの体には触れないことになっている。
なので、看護助手か看護師を呼びに来て、そこにいたMちゃんに声を掛けたわけである。
「Kさんて、そう言えば西の人でしたねえ……」
なんのこっちゃと思ったら、私はさっき、思いっきり関西訛りで喋っていたらしい。
「えっ、嘘っ!? そんな訛ってた?」
「はい! めっちゃ訛ってましたよ! Kさんいつも全く訛らないから、関西弁、衝撃的でした! 訛りってホントにいいですよねえ」
Mちゃんはそう言って、心底羨ましそうな顔をしている。
そんなに仰天されるほど、私の訛りが新鮮だったのかと、こっちがびっくりである。
でも、考えてみれば、普段と全く違う抑揚で知人が話しだしたら、ギョッとするかも知れない。
これは多分、会話文が方言の小説を、三ヶ月くらいずっとなろうに連載しているせいである。毎日少しづつそれを書いているため、心の声までが関西訛りになっている私なのだ。それまでは、何か考えるときも標準語だったというのに。
そう言えば、最近気をつけていないと、語尾が「〇〇やで」とか、「〇〇やろ」とかになってしまうときがあるな〜と、自分でも思っていたのだ。
別に、訛りや方言を隠すつもりも、恥ずかしく思っているわけでもないのだが、標準語を話していて急にそれが出てしまうと、何だか照れる。
ところで、私の言葉は、正しくは関西弁ではなく、伊勢弁である。訛りというのは言葉の抑揚のことで、方言というのは、その地域独特の言葉や言い回しを指すのだと認識している。
だから、伊勢弁は、抑揚は関西訛りで合っているのだが、方言的には、実は関西弁にも名古屋弁にも似ていると思う。
「訛りが羨ましいの?」私がそう言うと、Mちゃんは、「はいっ、訛りのあるところに生まれたかったです!」と元気に言う。
確かに、神奈川に訛りらしいものはない。
しかし、ちょっと調べてみたところ、訛りは無くとも、実は方言は少しあるらしいのだ。有名なのは、横浜あたりの「〇〇じゃん」だろうか。
とは言え、現在では方言を使う人はほとんどおらず、標準語が普通になっているようだ。
ちなみに、私が初めて標準語の生会話を聞いたのは中学のときだ。それは、修学旅行で訪れた東京でのことで、「うわ〜! みんなドラマと同じ喋り方やあ!」と、まるでフィクションの世界に来たような気分になったものだ。
そんな十五の私は、まさか自分が四十代になってから、毎日そのドラマのような話し方をするようになるとは、夢にも思っていなかったはずである。
ところで、私は普段、家では伊勢弁を話しているつもりなのだが、実は正しい伊勢弁かと言うと、少し怪しいらしい。伊勢の片田舎出身の夫に言わせると、何となく違うのだそうだ。
そういう彼の言葉も、私が伊勢で介護の仕事をやっていたときに出会った、昔ながらの伊勢弁を話すお年寄りたちの言葉とは、どこか違うのだが。
私の伊勢弁が何か変だというのは、実は自分でも自覚している。
それは、私が伊勢弁とはまた全然違った方言を話す漁村の出身だからだ。
同じ伊勢志摩地方ではあっても、抑揚も言葉もけっこう違う。
更に私は、短大時代のたった二年間とはいえ、多感な青春時代を京都で過ごしたため、少しそちらの方言も混ざってしまっているようなのだ。その当時付き合っていた、関西人の彼氏に合わせていたせいだとも言えるかも知れない。
そのうえ更に、夫の転勤にともなって神奈川に来て以来、標準語を話し始めて約八年経つわけで、言葉のごった煮感はハンパない感じになっている。
特に、普段家庭で話している伊勢弁に、一番強くごった煮感が出てしまうらしい。
例えば、「私の仕事は清掃員なんだけど、転職したいと思うときもあるんだ」という、標準語の例文があるとする。
これがいわゆる関西弁なら、「私の仕事は清掃員やねんけど、転職したい(と)思うときもあんねん」ではなかろうか。
更に伊勢弁だと「私の仕事は清掃員なんやけど、転職したい(と)思うときもあるんさ(あるんやわ)」だと思う。
更に更に、私の地元の方言だと……文章化が大変難しいので、割愛させていただく(笑)
と言うことで、私の言葉は四つの方言(?)のカオス状態になっているわけだが、どの言葉も、まともに話そうと思えばだいたい話せると思っていた。
しかし、先日、三重に住む妹二人とグループラインでやり取りしていたとき、故郷の漁村の変な方言の話題が出たのだが、私はすっかり忘れてしまっているものもあり、自分でも驚いた。
「あ〜、それ知っとるけど、意味忘れた。なんやったっけ?」と言うと、妹たちに「ええっ! 嘘やろ!?」「私の知っとる姉ちゃんやない! 都会人になってしもたんやー!」と騒がれてしまったのだ。
故郷の言葉を忘れ、カオスな伊勢弁を話し、ときどき標準語が訛ってしまう私。
別にさ、いいんだけどさ、話し言葉における、私のアイデンティティとは……などと、小難しいことを考えてしまう今日この頃なのだ。