し き よ て う し よ
とある昼下がりの事だ。
男は一人、ぼおっと空想にふけっていた。つまらない内容だ。世界中の美女が、自分に惚れれば良い、とか。ふとしたことで世界を壊せるスイッチを手に入れて、世界中の人類が自分に、押さないでくれ、と泣きすがるようになれば良い、とか。どう考えても、三十過ぎた男の考える内容としては、幼稚なものだ。しかし、それもしようがない事、男はプログラマーという職業柄故、現実をいやというほど見すぎてきた。
プログラマーとは、その各々が持つ才に、明確な差が出る職業だ。例えば、この男が百人いて、何か月かけても、作れないプログラムを、たった一人で、たった一日で作り上げる者が存在する。そういう天才を、何人も見てきた。早い話が、男はもう、自暴自棄になっていた。だから、平日の真昼間から、家で何もせず、ただ空想にふけっていた。そのほとんどがつまらない、男子高校生の妄想のような内容だったが、ときどきまれに、夢のある、興味を持てるようなものもあったのは確かだ。
人間は、否、この世界の生物は、全て、プログラムに乗っ取り行動している、とか。そのプログラムを制御しているシステムが存在する、とか。ありえない事は無い、と男は考えていた。物理的に出来ないわけではない、もちろん自分には不可能だし、そんな自分を嘲る天才たちが百人集まったって、到底不可能な芸当だ。ただ、もしかしたら、世界に一人くらいは……なんて。こんな事を考えたって、全く意味のない事は分かってるから、彼はそこで考えるのをやめた。
結局の所、彼はプログラマーだ。暇を潰せるものなんて、パソコン以外ありはしない。椅子に座り、デスクトップのPCを起動する。さて、何をしよう、せっかくずる休みしてまで、仕事をするなんて本末転倒だ。はは、たまにはゲームでもしてみるか、不正し放題のパソコンゲームなんて、する価値も無い、と今まで避けていたものだが、いいや、もう、やってみよう。
適当なワードで、検索をかける。うーんいまいち、面白そうなものがない。うーん。うーん。……おっと、これは面白そうだ、惑星を創るゲーム、かさっきの空想とも被るし、これで良いや、やってみよう。タイトルは、ブラックボックス。軽い気持ちでダウンロードを始めた、三秒で終わった。容量は百メガバイト。何だこれ、ゲームの容量の基本は良く分からないが、これじゃああんまりにもスカスカすぎないか。何だか五分やれば遊びつくせそうな気がしてしまうのだが……まあ、良いか。ファイルを解凍して、やってみよう。
ゲームを起動すると、真っ暗なタイトルの中央に、Start、の文字が浮かび上がってきた。音楽は、無いらしい。彼はとくに、そういう演出やら、なんやらにこだわりは無いので、何の違和感も持たず、ゲームをスタートする。
ふと気が付くと、辺りはすでに真っ暗だった。彼はもう十時間も、PCの前で身動きせずにいた。いや出来ずにいた。圧倒的リアリティ、ゲーム性、自由度、そういう要素の一つ一つが、彼をPCの前から縛り付けて離さなかった。ゲームはまず、暗闇から始まる、その無限の闇に、世界の軸となる要素、形、色、新たな概念、そういったものを組み合わせていくのだ。組み合わせのパターンは、十時間たっても、いったいいくつあるんだと予測できない位には、たくさんのものがあった。少なく見積もっても、100の150乗?いやもっと?加えて、まだ彼が体験していない、未発見の要素もある様だった。この世界の広大さも、見当がつかない。彼が十時間かけて作った惑星十数個、中には直径25,987,000km(地球の訳2,000倍)のものもあるというのに、この広大なマップのおそらく100分の1も埋めることが出来ていない。この大きさは、はったりではない、画面は一メートル単位まで拡大可能だ。だというのに、2,000万kmほどの距離にも、対応が出来ている。これだけの広さがあれば、どれだけ高性能なこのPCでも、フリーズしそうなものだが、動きはスムーズ。カクつくことも無い。
これらの点を踏まえて、彼のこのゲームとも思えぬほどのゲームへの評価は、最高峰へと達していた。それゆえに、彼にはどうしても納得いかないところがあった。このゲーム、せっかく作った惑星に、生物を解き放つことが出来ないのだ。生物を創るシステム自体は、存在しているようだった、が、作ろうとしても、何かしらの不具合があるのだろうか、ERRORと表示されてしまう。せっかく、生物が適応できるような惑星も創ったというのに。
なんとも勿体ない事だ、生物を創ることが出来れば、自由度はこれ以上ない位に上がるだろう。生物達が、それぞれの星にどういう影響を及ぼすかも、気になる。男は歯噛みした、どうにかならないものか、と。が、ふと、何を悩んでいるのか、と我に返る。自分は腐ってもプログラマーだ、ことパソコンゲームでは、不正し放題の。
こんなゲームを作ることは無理でも、機能を一部追加するくらいは、出来るはずだ。
そこから、男の行動は早かった。ゲームをセーブ、という機能は無いようだ、おそらくオートセーブされているのか、一応、十時間のデータが消えぬよう、バックアップを取っておいて、ゲームを閉じる。それから、先ほどダウンロードしたフォルダの、ゲームではなく、システムデータのファイルをクリックする。そこには、とても百メガバイトには収まるとも思えない、膨大な量のプログラムが連なっていた。男は衝撃を受けた、その量に、ではない。容量が少なすぎるという、矛盾にでもない。このゲームが異常な事など、もう知っている。問題は、プログラマーである自分が、変換ツールや専門書、どんな手をつかっても、何一つそのプログラムを理解出来ないことにあった。一部機能を追加する、どころではない、もし手違いで、この羅列されたプログラムの、一行でも消してしまったのなら、自分はもうこれを直すことは出来ないだろう。このゲームのタイトル通り、正しくブラックボックス化していた。まるで、自分がプログラミングのプの字も知らない、幼少期に戻ったかのような感覚。男は、しばらく、その場で呆けていた。
それから十時間がたった、男は、寝ずに、風呂にも入らずに、まだPCの前に座っていた。笑顔だった、無邪気な、子供のような笑顔だった。事実、男は楽しかったのだ。システムファイルに書き連なっている膨大なプログラム。彼は、その一行目、たった一行だが、解読することが出来た。方法は単純なものだ。
自分がダウンロードした、ブラックボックスというフォルダ、それをコピーし、試験用フォルダとし、後はいったんプログラムを消し、書き換え、ゲームを起動する。起動時に不具合があれば、コピー元の正しいプログラムを参考にし、どうしてこれでは駄目なのか、この文字列はどんな役割を担っているのか。トライ&エラー、トライ&エラー、トライ&エラー。
こうして、気が遠くなるような試行錯誤を繰り返し、ようやく、初めの一行を理解することが出来た。彼は、正しく子供時代、初めてPCに触れるような感覚を思い出していた。一つずつ一つずつ、出来ることが増えていく、何とも言い難い幸福感。楽しい。プログラムを楽しいと思う事なんて、何年ぶりだろうか。脳内にはアドレナリンが分泌され続け、瞼が閉じるのを拒否していた。しかし、それも無限には続かず、それから丸一日経ったところで、彼は無意識にうなだれ、目を閉じていた。
目が覚めて、最低限の食事をとったら、彼はまたPCの前へと座り込んだ。同じだ、トライ&エラーを繰り返す、徐々に解読のスピードも、上がっていく。この部分は前にやったところの、応用。この部分は……見たことが無いな、よし、一度消して、どんな影響があるのか、調べてみよう。とても楽しい。楽しい。
このプログラムは、間違いなく従来のプログラミングと比べて、革新的なものだ。この技術を持って仕事に行けば、どれだけ重宝されることか。でも、もう関係ない、仕事などに興味はない。俺はもう、こいつに夢中なんだ。
男は、しばらくそんな生活を続けた。ある日ただ立って、歩くという行為に違和感を感じるようになる。億劫に感じる、ある日、食事をせずにいたら、いつの間にか倒れていたこともあった。それから、男は必ず食事をするようになった。食材が足りなくなったら、ネットで注文した。それ以外の時間は、全てPCに費やした。睡眠時間は、無意識に目を閉じたら、開くまでの間。
ある日、男は生物を創るためのシステムを発見する。やはり、システム自体は存在していたのだ。種族、グラフィックから、繁殖のシステム、成長テーブル、そのほかにも、様々な設定がされているようだが、男の知識では、読み取れるのはそこまでだった。逆に言えば、そこまでは理解できる様になっていた。
生物を創るシステムを解禁するのは、簡単な事だった。絶対に満たすことを出来ない条件を満たさない限り、システムを開放することは出来ない、というものだった。つまり、その条件を、ただ消せば良いだけだ。よし、と一息ついて、ゲームを起動してみる。思えば、元々はこのシステムを開放したくて、プログラムを解読していたのだっけか。生物を創るシステムを、クリックしてみる。ERRORの文字は、出なかった。代わりに、生物のエディット画面の様なものが開かれた。
ふーっ、と大きく息を吐いて。何とも言えぬ達成感が体を駆け巡る。取り会えず、これで目標は達成されたわけだ。まぁ、今更ここまで来て、やめたりなどはしないが、しかし、息抜きも必要だろう、と。生物を創れるようにもなったわけだし、男はゲームで遊ぶ事にした。
相変わらずの、自由度だ。どんなものでも、作れてしまう。今まで見たことも無い生物。姿形が無く、しかし生きている生物。ただ、ふわふわと、宙を漂うだけの生物。多次元の間に存在するという、もはや何が何やら分からない生物。それから…人間のような生物。
いろんな生物が、繁殖し、進化し、絶滅しを繰り返していった。どうやらこのゲーム内では、時間の流れは大分早く設定されているようだ。だが、最終的に大きく反映していったのは、人間のような生物だった。彼らは、大地に、家を、道を、文化を、作っていった。ゲーム内の時間で何百年か、やがて、現代の地球のような、機械と光に溢れた世界となっていった。私が作った別の星に、ロケットを飛ばしたりもしていた。失敗しては、修正、実行を繰り返していった。いずれ、私が見たことも無い、近未来的な建造物が多くなっていった。工業やら、産業やらが、理解が出来ないほどに発達していった。
そんなある日の事だった。男がふと、惑星を眺めていると、なにやら小さな爆発が起こったのだ。よーく拡大してみると、爆発の煙が、小さな文字になっている事に気付いた。アルファベットの、D。少なくとも、男にはそう見えた。特に意味がある事の様には思えなかったが、念のため、メモに書き留めて置く事にした。
次の日、また爆発が起こった。まさか、と思って拡大してみると、予想は的中した。アルファベットの、G。
次の日も、次の日も、その次の日も、爆発は起こった。数字の9、アルファベットのW、数字の4、アルファベットのD、そして数字の9。ふと、男にある考えが頭に浮かぶ。
これらをキーボードの文字に当てはめると、し き よ て う し よ。
並び替えて、しようきよして。
しょうきょして。
はっ、と男は、自分の考えを鼻で笑った。まさか、これが俺に対するメッセージだとでもいうのか。だとしたら、あまりにも矛盾が多すぎる。この惑星の住民が日本語など、使ってるとは思えないし。そもそも、メッセージを送るんだたら、もう少し分かりやすくするだろう。万一俺が気付かなかったら、どうするつもりだ。大体、この星の住民が俺に気付くなど……と。そこまで考えて、背筋が凍った。
目線を感じた。確かに。気のせいだと思おうにも、今なお目線は男を捉え続けている。まさか、まさか、と呟きながら、男は画面を拡大していく。
目が、あった。確かに。それも、一人ではない。
この星の住人全員が、画面の向こう側の男を見ていた。視点を変えても、目線が外れることは無かった。
大人が、子供が、女が、男が、200億の視線が、画面の向こうの男を捉えていた。ばかな、バカなバカなバカな。これはゲームだろう?これは……そこまで考えたところで、はっと、自分の空想を思い出す。
この世界の生物は、全て、プログラムに乗っ取り行動している。そのプログラムを制御しているシステムが存在する。ありえない事は無い。
まさか、これが……と、その瞬間だった。
今までとは比較にならない、大きな爆発が起こった。星はその爆発に耐え切れず、崩れていった。もちろん、その星の住人達も、次々と消えていった。男はバンっと机を叩いて、もう遅い事とは知りつつ、ゲームを閉じた。
すぐに、フォルダ、ブラックボックスを消去した。ゴミ箱にも残さぬよう、完全に消去した。バックアップのデータも、全て消した。はあ、はあ、と息が切れる。これ以上はない位、鼓動が大きく鳴った。
俺は、なんてことをしてしまったんだ。後悔した。今更遅い。大体、なんなんだ、これは。俺は、どうやってブラックボックスをダウンロードしたんだっけ。
どんなワードで検索をかけても、そんなものは見つからなかった。それでも、躍起になって探していると。ふと、見たことのないフォルダが、デスクトップに表示されていた。
名前はEarth。
その文字の意味を思いついた瞬間、男はPCを思いっきり椅子で叩きつけた。数百万もした高性能PCを、なんの迷いも無く、叩き壊した。画面が壊れて、電源が起動しなくなっても、叩き続けた。しばらくして、冷静になって、いや、冷静になどなれる筈も無いのだけど。男はパソコンから全てのコードをぶち抜いて、ようやく、座り込んだ。運動など全くせず、食事も最低限に済ませていた男にとっては、すでに限界の運動量だった。
もし、あれが実際に世界を創るプログラムで。もし、地球も同じ未来をたどるとしたら……
もう、忘れよう。男は、ただぼうっと、そこに座り込んでいた。
とある昼下がりの事だった。