伍
実に10年の月日が流れ、気化太郎も小なつも16歳になりました。
春になり二人が来る場所と言えば、それはたくさんの『美しさ』に満ちたあの原っぱです。
「ほら気化太郎。今日はおにぎりを作って来たのよ」
幼い頃と変わらず、草の上に並んで座る二人。
原っぱも暖かく穏やかで、あの頃のままです。
「大きくて、いびつだ。すごいよな、握り飯ひとつに小なつの性格が表れているんだから」
「そうでしょ。だから食べて。具は入っていないけれど」
そう言って手渡された隕石みたいな握り飯を気化太郎は受け取り、大きく一口頬張りました。
うっすらとした塩気の、素朴な味わいが広がります。
「何でもない握り飯だ。でも美味しいよ。それはたぶん小なつが……」
「大丈夫よ、分かっているから」
彼女は気遣い、気化太郎の言葉を遮りました。
ですが気化太郎には時々、少し不安に思うことがありました。
言葉がなくとも、小なつは本当に全てを分かってくれているのだろうかと。
春の美しさにも慣れ始めた彼の心は一方で、苦しくもあったのです。
熱く、甘くも苦い、大きな感情。
奥底で静かに揺蕩い、時に激しく波打つそれをしかし、気化太郎は見てみぬ振りしか出来ません。
言葉に出来たなら。
そう少しでも考えた時、彼はすかさず己の宿命を思い出すのでした。
小なつも握り飯を取り、一口食べました。
「美味しいわね、気化太郎」
そうやって、儚く笑います。
気化太郎は僅かに目を細めます。
それが彼の笑顔なのでした。
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