嚆矢の巻 伍
次話です。
沈黙が病室を満たす。
「……はあ。美夜、出てきてもいいよ」
動かない左手側、壁へ喋りかけ――音も無く見慣れた家族が現れる。
『……』
口を横に結び、目が潤んでいる。
「そんな鬼が簡単に泣くなよ。示しつかなくなるぞ」
『……ぅ』
この顔は全力で泣くのをこらえている顔だ。
「この結果は俺の鍛錬不足だよ。小さな山の中だけで強がっていた……世間知らずが原因だ」
月季がこの有様を見たらどんな顔をするか。少なくとも鶫は怪我をした事に怒るだろう。
今にも泣きそうになっている美夜の顔にこちらまで悲しくなってきそうになる。
「だから泣かないでくれって。死んだわけじゃないんだし、腕が無くなった訳でもない」
だが折れた左腕の感覚が無いし、視力が試験前と比べて著しく落ちている。日常生活レベルなら問題はないが、剣を振るとなれば駆け出しの若年剣士以下だろう。
――病室のドアをノックする音。
「美夜、すまないがしばらく姿を消していてくれるか。一人にさせてほしいんだ」
『うっうっ……オェッ……ぐすっ……分かりました』
涙を浮かべて再び姿が掻き消える。
「おい智慧、入ってもいいか?」
どうやら来客は祝のよう。
「あ、ああ。問題ないよ」
スライド式のドアが開かれ、病室に入ってくる祝――と月島さん。
「2人共無事だったんだな」
「ああ、お前さんの鬼っ子……美夜ちゃんだっけか? その子が神籬のキャンプまで運んでくれたんだ」
「話は聞いてるよ」
2人の胸には神籬に属する祓魔士のトレードマークでもある玉持ち竜爪の徽章が付けられている。
「どうやら無事に合格できたんだな」
「まあな。試験が終わってはや3日目、初っ端だってのに厳しい訓練で大変だよ」
「祓魔士はそういう物だろうさ」
「嫌になって来るねえ全く。それはそうと、お前さん髪の毛の色が変わっちまってるけど……イメチェンでもしたんか?」
「え?」
動く右手で頭を触ってしまう。
「まだ見てねえのか? ほれ、見てみれ」
祝がスマホのインカメラをこちらに向けてくる。
画面に映ったのは、髪の毛の一部が鮮やかな赤色――猩々緋に染まった自分の髪の毛が。
「なんじゃこりゃ」
「ぶっ倒れる前は普通の色だったよな……何かしたのかよ」
「うーん、特に何もしていないんだけどな……」
思い当たる節が全く無い。というかそんな事を気にしている暇も無かった。
「……もしかして狒々の血が原因」
それまで黙っていた月島さんが口を開く。
「狒々の血?」
「んん? ああ、なんだそう言う事か。それが原因ならあり得る話だわな」
芦屋が勝手に納得して話を完結している。
「狒々の血が原因てどういう事なんだ」
「言い伝えでこんな一説があるんだよ『狒々の血で染めた緋色は退色しない』ってな」
何かの文献で読んだような気がしなくもない。
「お前さん、多分斬ってる途中で狒々の血を頭から浴びたか返り血が頭についたんじゃねえか? それで血染めされて赤色になったとか」
「その説が濃厚な気がして来たな……まあ、黒染めすればいいか」
「なんだよ黒髪に赤なんてイかしてるじゃねえか、現場に出たら目立つんじゃねえか?」
悪気のない祝の一言。
「ああ、その事なんだけど――」
自分の状況を2人に打ち明ける。
「……本当なのか?」
「左腕の感覚が無くて剣が握られなさそうだ。鍛錬不足が原因で恥ずかしい事この上ないよ」
祝が悲痛に満ちた顔を浮かべる。
「……祓魔士の事はどうするんだ? 後方支援組とかなら望みは――」
「いいや。こんな身体で妖怪の前に出て行ったら頭からパックリだよ、大人しく実家に帰って療養するかな」
明るい筈の祝が打って変わって悲しそうな顔。
「そんな悲しい顔しないでくれ。普通なら妖怪と戦った後は生きているだけで万々歳、四肢が残っているだけで儲けものだ」
「でもよ……悔しくねえのか」
「悔しいさ。自分の腕が未熟だったばかりにこうなってしまった、もっと鍛えておけば、もっと技を磨けば……でも、それは過ぎた事だ。今は先の事を考えて思い出さないようにしているんだ」
「そうか……」
「ああ、だから祝が悲しむことなんて無いし。むしろ俺みたいにならないように鍛錬を頑張ってくれ」
「……わりい、ちょっと外出てくるわ」
祝とは会って間もないが、あそこまで親身になってくれる奴はそうそうにいないだろう。
残った月島さんが無言のまま椅子に座り、こちらを見てくる。
「智慧」
「な、なんだい月島さん?」
瞳がじっとこちらを見つめてくる。
「智慧はもしその怪我が治ったら祓魔士に戻りたい?」
「そう言う美味しい話には裏があるって昔から経験して来たから、なんとも言いにくいかな」
「詮索は無し。自分の本心で答えて」
明るい茶色の瞳がジッと見つめてくる。
「……戻れるなら戻りたいよ。祓魔士を目指していたのに、まさか成る前に挫折するなんて悔しいことこの上ないよ」
「じゃあ、もし身体が元通りになったら頑張る?」
「ああ、そうでなければ俺が今まで身に着けた全てが無駄になる。生きて来た時間が無駄になる――そんなのは絶対に嫌かな」
生きる術、戦う術、様々な事を教えてくれた3人に顔が立たくなる。
「……分かった。ちょっと待ってて」
「へ」
月島さんがそう言うと、カーテンを閉めて向こう側へと姿を消す。
「智慧の気持ちはよく分かる。志半ばで折れるって言うのは何よりも悔しい」
ガチャガチャとカーテンの向こう側で何かしている。
「つ、月島さん……?」
一分と経たない間、カーテンが開けられて月島さんが入ってくる。
「おまたせ」
「一体何を……?」
手には小振りのペットボトルが握られ、中には透き通った赤色の液体。
「これ、夜中に飲んで。地元特産の湧き水、飲んだら元気出るから」
動く右手に無理矢理と握らされる。
「え、ええと……」
「いいから受け取って。受け取らない場合は智慧を窓から放り投げる」
いつにもなく強引な月島さん。
「わ、分かったよ――励ましてくれてありがとう」
「励ますくらいなら手伝う方が現実的、言葉では傷は癒えない」
どうも言葉が噛み合わないのは月島さんの独特な物言いのせいだろうか?
「それじゃあ祝を連れて私は帰るから。明日の朝ね」
有無を言わさず病室から去ってゆく月島さん。
『――つ、月島さん!?』
外から祝の声。
『帰るよ』
『えっ、いや智慧ともう少し話を……』
『それはまた今度。座学の課題終わってないでしょ?』
『うっ……それは言わないでくれよ。ああもう、せめて最後に一言を!』
ドアが勢いよく開けられ、祝の顔。
「智慧! 挫折ってのは生きてりゃあ糞と同じくらい何回も起きやがるもんだ! だから気を落とすなよぅぐえっ!」
最後に情けない悲鳴を上げて外へと引きずり出される祝。
「じゃ」
月島さんが手を振り、ドアをピシャリと閉め――再び静かな病室が戻って来た。
「……皆、無事でよかった」
もしあの時全員が狒々に負けていたら……おそらく俺や祝は食われて、女子2人は言葉では言い表せないほどの仕打ちを受けていただろう、考えただけでも寒気がする。
思わず渡された月島さん生家の特産品を見る。
柘榴をすりつぶして水に混ぜたような鮮やかな赤色。
(まあ、言われた通りにするか……)
なんだか皆が去っていったら眠たくなって来た。まだ体力は完全に戻っているわけではないし仕方がない。
感覚の無い左腕をさすり、痛む体を横にして目蓋を閉じ――すぐさま意識が眠気に塗り潰された。
そして、身体の中を走り回る鈍い痛みに気起こされ――時刻を見れば深夜の1時を過ぎた頃。
「痛くて眠るどころの話じゃないな……」
力の入らない身体でなんとか上半身を起こし、ベッドの頭上部分の手すりに持たれかける。
左腕に痛みは感じない。しかし、体中が眠気が吹き飛ぶほど痛むせいで、頭まで痛くなってきた。
「……そういえば月島さんの見舞い品があったな」
気休めかそれとも本心かは分からないが、彼女なりの心遣いなのだろう――そう思いたい。
霞む視界の中、枕元に置いていたペットボトルを何とか手に取る。
片手が使えないので歯と右手でなんとか封を開ける。
「この匂いはなんだ……?」
今までに嗅いだことの無い、形容しがたい香り。
だが、月島さんがくれた物なのだ。厚意を無下にするのはよろしくない。
意を決してボトルに口を当て、中の水を口に流し込む。
口の中に広がる甘いような苦いような、何とも例えにくい味。
(真夜中に飲めって言ってたけど……何か意味があるのか?)
計量カップ擦りきり分くらいしか入っていなかったので、すぐに飲み干してしまう。
「ふー……」
空のボトルの口を閉じようとし――破裂してしまったのかと錯覚してしまう程に心臓が跳ね上がる。
耳の中でドクドクと心臓が跳ねる音。身体中が火だるまになったかの様に熱い。
「ぐっ……」
霞んでいた視界がチカチカと明滅する。平衡感覚がぐちゃぐちゃになって左右が分からない。
非常用ボタンを押そうと手を伸ばし――大きな眩暈に身体が傾き、ベッドから転げ落ちる。
左から落ちたのが幸いか、落下の痛みは無いが代わりに身体燃えるように熱い。
「ううっ……! ぐっ……!」
あの水が原因なのか? それなら月島さんが自分に毒を? 分からない、分からない……
冷たい床の上で虫の様に身体を捩り、痛みをこらえる。
一体どれくらいの時間が経ったのだろうか、痛みと熱が嘘のように消え去り――今まで身体を蝕んでいた鈍い痛みが嘘のように消えていた。
「な、なんだ……?」
視界が悪くなる前のいつもの視界に戻っている。全身の痛みはまったくしないし――何よりも左腕の感覚がする。
思わず左手を動かし――反応が返ってくる。
「どういう事だ……?」
袖を捲り上げ、腕に負っていた擦り傷や引っ掻き傷すら跡形も無く消え去っている。
足腰に力を入れると、呆気なく身体が立ち上がる。
今までよりも身体が軽い、まるで鳥の羽の様に軽く感じる。
置かれた鏡を見ると、血色の良い自分の顔が映り込んでいる。
試しにその場で後ろに宙返り。勢い付きすぎて危うく転びそうになってしまう。
「……本当にどういう事なんだ」
何が原因なのか?
「まさか……月島さんの水なのか」
思い当たるのはあれしかない。
「そうだ……美夜、起きてるか」
時計を見れば草木も眠る丑三つ時。逆算すると十数分は悶え苦しんでいたのか。
『――お呼びでしょうかほあああぁぁぁぁっっっっ!!??』
真夜中の病室に響き渡る美夜の叫び声。
「だー! 煩いから!」
『とっ、ともももとも智慧ぇっ!? そ、そのから、からから身体はどうたしのですか!?』
気が動転して言語がおかしくなっている。
「治ったんだよ、戻ったどころか前より良くなっているんだ」
言うや飛びついてきて、床に頭を打ち付けかける。
『うっ、ううっ……! 訳が分かりませんがよっがっだでずぅ~』
嗚咽を漏らしながら美夜が胸の中で泣きじゃくる。
「泣かないでくれってば」
『うう……ううっオエッ』
美夜の汚い泣き声に混じって廊下の外から足音。
「――何事だ!? 叫び声が聞こえ……」
懐中電灯片手にドアを蹴破って来たのは、槐教官。
ドア横の室内灯のスイッチが押され、瞬く間に病室に灯りがつき、教官と目が合う。
「――色々と説明が必要のようだな、源くん?」
「あはは……」
どうやら治って喜んでいる場合ではなくなってしまった。
――おんおんと慟哭する美夜の口にリンゴ丸々一個をねじ込み、軽い足取りでベッドの反対側に置かれていた丸椅子に座る。
「……さて突っ込みどころが満載だが最初に確認しておこう。一体何が起きたんだ?」
「特には何も」
「特には何もだと? 左腕部解放骨折に神経断絶、大腸一部破裂に背筋断裂、右足関節開放骨折に皮下出血多数、擦過傷に右靭帯裂傷、胸骨肋骨大胸骨の三部位にひびが入った大怪我の人間が、一夜で全快して特には何もと言うのはちゃんちゃらおかしいぞ」
胸倉を掴まれ、鮮やかな金色の瞳が間近に迫る。
「え、ええと……」
しらばっくれたらヤバそうなので正直に話す。
「月島くんから貰った赤い水?」
「はい、彼女が言うには実家の特産品らしくて……それくらいしか心当たりがないんです」
「そのボトルはどこにあるんだね」
「それなら」
枕元に置いていた空のボトルを持ってくる。
「これです、飲み干したので残ってないですが……」
「ちょっと拝見させてくれ」
槐教官に手渡し、しげしげとボトルを見回す教官。
「ふむ……たしかに水だな……月島くんの生家の水……んん?」
なにやら思い当たる節でもあるのか。
「……ああ! そう言う事か! まさか見ず知らずの人間に分け与えるとは……数千年生きてきたが初めて聞いたぞ!?」
さらっと不穏な単位が聞こえたのは気のせいか。
「あの……何か問題が」
「いいや全く問題ない。いいか源くん、君の身体は後遺症無く完璧に完治した。つまり祓魔士の現場に出ても問題ないというわけだ」
「は、はあ……」
「君の完治は担当の教官殿と神籬の上層部に報告しておく。なに、私の秘術で全快したとでも言っておく、神籬の連中は私には頭が上がらんからな」
気のせいだろうか、一瞬だけ槐教官の髪の毛の隙間から人の耳ではない形状の耳が見えたような……
「あとこのボトルは私が責任を持って回収させてもらおう。後の事は全て私に任せておけ」
「わ、分かりました……あの、自分の服や太刀は一体どこにあるのでしょうか」
「君のか? 制服は新しいのを用意する、君の刀はベッドの下にあるぞ」
思わず遠目からベッドの下を見ると、確かに見慣れた拵えの太刀が。
(こんな所にあったのか……)
「さて! 夜更けだし私は帰らせてもらおう、制服は明日朝届けさせるから心配しないでくれ。入隊手続きや式は明日行うと思うから、忘れないようにな」
ズカズカと勝手に進めると足早に病室から出ていこうとする槐教官。
「――あとそうそう。病室で一発おっぱじめるのは構わないが、後処理と声だけは気をつけてくれよ?」
ピシャリとドアを閉め、嵐の後の静けさに包まれる。
『んむ……私は大いに結構ですよ?』
リンゴを食べ終わった美夜が爆弾発言。
「その手の話はしないって約束してるだろ」
ベッドの下に置かれた太刀を手に取る。
振るって間もないのに、長年振るい慣れたようなフィット感と重さが手に伝わる。
紐を解き、鞘から引き抜く。
あれだけ狒々に殴りつけられたというのに刃には刃毀れどころか傷一つ無く、藍鼠色の刀身が室内の光を反射する。
「……これで月季と鶫には怒られずに済みそうだ」
『それは僥倖ですが、あの水は一体なんだったのでしょうか?』
「俺にはさっぱりだ。長く生きている美夜は見た事ないのか」
『うーん……大怪我をたちまち癒す代物なんて普通ではありえませんからね。さっぱりです』
ベッドに腰かけながら美夜が呟く。
「美夜でも分からないか……そもそも月島さんは一体何者なんだ……?」
『あの鉄面皮ですか? 確かに気にはなりますね、牛鬼の件といい赤い水といい……何か隠している事がありそうです』
牛鬼はまあ百歩譲って伴獣か憑き物だと納得できるが、水の方が奇妙な点が沢山ある。
「……とにかく身体が全快したんだしもう寝るよ。明日は忙しくなりそうだし――それに皆に説明もしなくちゃいけない」
『そうですね、色々と説明しないと大変な事になりそうですし』
「ああ、そうと決まればさっさと寝るかな」
鞘入りの太刀を立てかけ、しれっとベッドに入ってくる美夜を蹴落として横になる。
『もう、昔は子守歌を歌ってあげていたのに……反抗期ですか』
「それなら子離れしてくれよな」
――こうして、予期せぬ出来事に見舞われ、自分の祓魔士への道に再び光が指したのだった。
朝
習慣という物はどの環境においても怒ってしまう物で――ふと目が覚めると、村で過ごしていた時と同じ時間に意識が覚醒していた。
朝っぱらから木刀で打たれる稽古が無いのが新鮮に思えてしまう。
(……倒れてから3日も眠っていたんだし、身体の感覚を取り戻さないと)
振るには病室は狭すぎる。それなら身一つで出来る柔軟運動などで身体を解しておくのがいいか。
時計を見れば朝の5時丁度。あれから数時間程度しか寝れていないが身体が軽いおかげでなんともない。
神那岐学園の授業と祓魔士の訓練が始まるのは数時間後だし問題無いだろう。
着ていた衣服の上を開け、汗で汚れないようにしてから床に手を付き、股割から始める。
月季から教えられた剣の技の大半は身体の可動域をフル稼働させて行うものが多いので、固い身体では振るえない。
脚を十分に伸ばした所でその場に立ち上がり、床に手を付いて逆立ち。
「ふーっ……」
その状態のまま腕立て伏せを始める。
腕の力が無ければ満足に振れないし、手弱な腕では巻き藁一本すら斬れない。
呼吸を整えながらひたすら腕立て伏せをする。
――どれくらいの時間が過ぎたか。ドアの僅かな上枠を支点に懸垂をしていると、外から足音が聞こえてくる。
「いけないけない……」
地面に降り、上を着ようとした所で――背後からドアが開く音。
「源くん、見舞いに――」
聞き覚えのある声に振り向けば、いたのは真澄さん。
呆然としたように口が開きっぱなしで、青色の瞳がまん丸に見開かれている。
「ど、どうも……」
いそいそと上を閉じ、精一杯の笑顔を振りまくが――
「――源くん?」
「は、はい何でしょうか」
「身体の怪我は……?」
「ええと、昨晩の内に完治しちゃいまして……」
「……そう」
ストンと肩から憑き物が落ちた――そんな表情の真澄さんが、傍にあった椅子に落ちるように座る。
「まあその……心配してくれたのは嬉しかったよ」
「当たり前でしょう! それに山で突き飛ばして庇ってくれたの……私が狒々に踏みつぶされそうだったからよね?」
「あの状況でもう一人を意識する程余裕は無かったからね」
「おかげで昨日までみたいにボロボロになった……少なからず私が原因なのもあるわ」
腰に帯びた刀の柄頭を指で撫でぐりながら申し訳なさそうに呟く。
「そんなこと無いよ。あの状況ではどうしようもなかった」
「それに――源くんの怪我の一つ、私の雷が原因でしょう?」
本人には言わなかった、言えば真澄さんの性格だ、思いつめてしまうだろう。
「そんな事はないよ。むしろ君の雷がなかったらあの狒々の群れを退散することが出来なかった、感謝するよ」
「……分かった、そういう事で納得しておくから」
小さく鼻でため息を吐くと、椅子から立ち上がる真澄さん。
「――さ、源くんの怪我も治った事だし。私は授業があるから失礼するわ」
鞄を手に取ると、刀の位置を正しながらドアに手を掛ける真澄さん。
「それじゃあね源くん――教室で」
ドアが閉められ、足音が遠のいてゆく。
「……ん? 教室で?」
「――そろそろお暇が明かれましたでしょうか?」
「わあっ!?」
突然の背後からの呼びかけに声が出てしまう。慌てて振り向く。
「ええっ……」
目の前にいたのは古ゆかしい着物姿の女性が一人。しかも、色付きの物ではなく全身が真っ白な小袖という格好。
「あ、あのどちら様で……」
極月に降る山雪の様な、どこか同じ人とは思えない奇妙な雰囲気を漂わす。
「私は神籬の隊服や神那岐学園の制服を管理する『裁縫人』の琴鶴と申します」
深々と頭を下げる謎の女性。
背中には長方形の大きな桐箱が背負われ、随分と重装備である。
「その、裁縫人の方がどうしてこのような場所に……」
「源様の制服を織りに、槐様よりご命を受けこちらへ」
「それじゃあ、自分の制服は貴方が?」
「はい、試験前に送った制服はあくまで普通の繊維の物。祓魔士となられた源様のために特殊な繊維で織るため参りました」
「なるほど……あれ、それなら既にサイズの情報は学園にあるのでは?」
「はい。ですが、これより織るのは源様だけのこの世に二つと無い一点物にございます。それゆえ、採寸と細かい調整を確認が必要なのです」
「なるほど……」
「源様は制服をお渡しした後、神籬の祓魔士たる五剣の皆様立ち合いの元入学式があります。それまでに終わらせる必要がございます」
「了解しました。一体自分は何をすればいいでしょう?」
「ではまず、お召し物を全てお脱ぎください」
「えっ」
「身体の採寸を行わせて頂きます。寸分違わぬよう織らないといけませんから」
慣れた動きでたすき掛けをし、垂らしていた緑髪を紐で結わえ上げる琴鶴さん。
「い、いやあ……全裸はちょっと……」
「大丈夫ですよ。源様のお年の何倍も生きております、殿方の裸体など慣れたものです」
静かな雰囲気はどこへやら、力強い足取りで近付いてくる。
「ちょっ、採寸なら下着でも可能ですよね? 脱ぐ必要ありませんよね……!?」
「私、自分の成す事に妥協は許したくありませんゆえ――少し静かにしていてくださいね?」
一難去ってまた一難。今度は恥ずかしさ満点の困難がこの身に振りかかろうとしていた……
――あれから身包み全部引き剥がされ、人生で一番恥ずかしい思いをしながら数十分間を耐えきった。
「うう……」
「いかがでしょう?」
どこから取り出したのか姿鏡が病室内に置かれており、制服を身に着けた自分が映っている。
上下は同じ濃藍色で統一され、上はダブルブレストで下は普通のスラックス。試験前に届いた制服と同じデザインだが、こちらの方はどことなく違う様な気がする。
「この度織らせて頂いた制服は極細の火廣金を編み込んだ、特別な材質で出来た物でございます。低族な妖怪の爪であれば弾き、毒液や炎を浴びせられても溶けたり燃えたりしないのでご安心下さいませ」
おもむろに琴鶴さんが取り出したのは――鞘入りの小太刀。
「え――」
反応する間も無く詰め寄られ、横っ腹に小太刀が突き込まれ――衝撃だけが横っ腹に響く。
「ちょっ、ちょっと何をするんですか!?」
「試し切りです。ご覧の通り刃も通しませんので、普通の暴漢相手にも効果を表します」
さらりというが、もし刃が通っていたらまたベッド行きになっていた。
「もちろん普通の服としても寒熱対策は施しております。ですが、同じ火廣金によって作られた刃や矢じりは通しますので注意して下さいませ」
「了解です――あれ、襟の徽章は無いんですか?」
「それはこの後の入学式の際。神籬の頭領自らお付けになられます」
「なるほど……え、神籬の頭領って? 祓魔士のトップですか」
「はい。神籬の証たる徽章は、その時代の神籬の長が自ら渡す。そう発足当時より連綿と受け継がれております――その手の話は祓魔士の開祖たる家系の源様が一番お詳しいのではないでしょうか?」
「あー……お恥ずかしながら生家に祓魔士に関した資料は全く無く……」
腰に佩いた太刀の位置を調整しながら、制服の感触を確かめる。
「そうだったのですか……不躾なお言葉大変失礼いたしました」
「いえ、単に家の管理が甘かっただけです。それに祓魔士の開祖の一族と言いますが、今じゃあ山奥の小さな集落でひっそりと生きる時代遅れの一族です。そんな大層な身分じゃないですよ」
――話していると、ドアが叩かれる音。
『おーい琴鶴、源くんの制服織りは済んだかねー?』
この声は槐教官。
「はい、槐様。今しがた終えたところでございます」
病室へと入ってくる教官。
「ほうほう、式神越しに見るより似合っているじゃないか」
「槐様、それでは他の裁縫人の任がありますゆえお暇させて頂きます」
「ああ、また制服を壊したら呼ばせてもらおう」
桐箱を背負うと、病室から出ていく琴鶴さん。
「さて源くん。昨晩以来だが身体の調子はどうだね?」
「これと言って異常ありません。むしろ前より身体が軽くなっているような……」
「それはよかった。その言葉通りに受け取っていいのなら、本日中に祓魔士の訓練に参加しても問題は無いという事だね?」
「はい、同期とは3日間の差がついてしまっていますから」
「熱心な新人祓魔士を見るとどこかこそばゆくなって来るな」
ポリポリと肩を掻く槐教官。
「あの……一応確認なんですけれども、槐教官も現役の祓魔士なんですよね?」
「いかにも。こんな格好だがいざ呼び出しを受ければ制服に袖通して現場へと赴くよ」
「医務関係という事は祓魔士の後方支援組なんですか?」
「いいや、バリバリの前線組だよ。ここ最近は医師としてここに常駐してるか、神籬の本部にいるかだ」
「なるほど」
「さて、無駄話はまた今度にしようか。これから神那岐学園としての君の入学式と、神籬としての入隊式があるからな」
「二つもあるんですか」
「そうだ、だが同じ場所でやるから移動する必要は無いぞ。さあ、ついて来てくれ」
槐教官の後をついていく。
初めて病室の外に出たので、どこを向いても新しい物だらけである。
「ここは、祓魔士を育成する神那岐学園なんですよね?」
「そうだ。世間一般の認識では神籬=神那岐学園と思われているが、実際は違う場所にあるんだ」
「そうなんですか?」
「ああ、神那岐学園は新都の南にある山一帯が敷地内だが、神籬は『日ノ本のどこかにあり場所は非公開』と流布させているからな」
「どうしてまたそんなややこしい事を」
「そうだな……妖怪だけが相手ではないという事だ。あと、君の式は簡略的な物だからこの校舎の一室で行う」
階段をさらに登る。
窓の外から見える、周囲が山々に囲まれた広大な神那岐学園の敷地内。
「神那岐学園は新都から車で20から30分程、徒歩だと1時間弱程の距離にある。基本的に敷地外への外出は自由で門限はないが、一歩外に出れば現役の祓魔士と同じ扱いを受けるので忘れないように」
つまり、新人祓魔士とは言え普通の人からすれば熟練者も初心者も同じ『祓魔士』というくくりになるという事。
「はい」
「いい返事だ。さて、式は突き当りの部屋で行う。既に祓魔士と長が待っているだろうから急ぐとするかね」
指さす先には廊下の突き当りに見える大きなドア。
特にはないですが何故か別作品の方がアクセス数増えるという、ちょっとよく分からない現象で新年首をかしげております。
誤字脱字、他作品と類似アリ、他作品と設定丸被り、矛盾、等々お気付きになりましたらメッセージボックスまでご一報お願いいたします。
※万が一、他の先駆者様方の作品と酷似していた場合は早急に消させていただきます。