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神禄剣鬼伝  作者: 真赭
15/31

弐ノ巻【水禍】陸

遅れました次話です

――ふと、喉元に感じる嫌な感覚。

 思わず喉元に手をやってしまい、何も無い事を確認してしまう。

「どうしたの?」

「……来る」

 この感覚は頻繁にやって来る。荒霊と対面した時、不意を突かれそうになった時、明確な敵意を向けられた時……原理は理解できないが身体が無意識の内に反応している。

「ちょっと……まさかここで蛟!? 一発でもくらったら転覆よ!」

「もしそうなったら自分が船から離れるよ――皆武器を抜いてくれ! 来るぞ!」

 後ろへ聞こえるように叫び――地上に立っていない筈なのに、足元から感じる巨大な何かの感覚が伝わってくる。

 船が右に急旋回、危うく転げそうになった真澄さんの腕を掴み引き留める。

 眼前、突如湖面が隆起するや湖の中から巨大な――鎌首が現れた。

 小さな暗色の瞳と褐色の鱗。口からは細長い舌が小刻みに出ては引っ込み、掠れた巨大な鳴き声が耳を打つ。

「おいおいなんちゅうデカさだよ!? 逃げないとヤバくねえか!」

 祝の叫び声が響き渡る。

 そして一番の異常を示すのは――蛟の体の一部が見るも無残なまでに腐っており、目で見える程の黒い靄の様な物が立ち上がっている。

「逃げたいけど船が動かない……!」

 やけくそ気味に叫ぶ月島さんの恐ろしい言葉。

「どういう事ですか!?」

 土御門さんの悲鳴。

「船が何かに押し上げられて前進できない……」

「まさか……!」

 棗が端に駆け寄り、水面を見下ろす。

「……ヤバいよ皆! 船が蛟の身体に持ち上げられてる!」

 このままでは巨体に押しつぶされるか、あの大きな顎で全員が丸呑みにされてしまう。

「……源くん、さっきの言葉忘れないでね?」

「真澄さん?」

 腰の鞘から刀を抜き、真澄さんが踏み出すと――髪の色が徐々に変化してゆく。

 真澄さんの体から漏れ出した小さな雷撃が空気を打ち据え、切っ先から躍り出た小さな雷が刀身にまとわりつく。

「渚ちゃん、神籬がこの異常を確認してから本隊がくるまで時間がある。私がなんとかするから船が動いたら全速力で施設に戻って」

 こちらの隙を伺っていた蛟が真澄さんの発する雷に警戒してか、僅かに頭を後ろに下げる。

「か、奏は……?」

「最悪帰れるから心配しないで」

 真澄さんがそう言い、トンと小さな音を立てて飛び上がると――空を踏む。

「え」

 何もない空中に真澄さんが平然と立っている。まるで、そこに地面があるように虚空に立っている。

「源くん、流石の貴方でも宙には浮けないでしょ? 皆を頼んだから」

 さらに一歩、二歩と上へと素早い身のこなしで飛び上がってゆくと――

「私が相手よ蛟!」

――言葉と同時に刀を振るい、刃から弧状の雷が迸る。

 一瞬で蛟の身体へと閃いた雷撃が轟音と共に巨体を打ち据える。

 鼓膜が破れてしまいそうなほどの咆哮。船体が大きく揺れ、周囲の水面が荒ぶる。

 苛立ち気に噛み付こうとする蛟。

 大きく跳んで避け、空中を動き回っては四方八方から次々と雷撃を放つ真澄さん。

「初めて見るぜあんな光景……」

「僕もだよ」

 唖然とする2人。

「……加勢してくる、皆は出来るだけ遠くに逃げろ」

「おい智慧!?」

 太刀を携え、船の手すりを踏み台に大きく跳ぶ。

 のたうち回る蛟の頭より下、湖からはみ出ていた巨体に飛び移る。

 感触はまんま蛇だが、大きさが普通の物の比ではない。前に祓った大蛇より何倍も巨大である。

「――美夜、脚を少しだけ力を借りる」

『承知しました。しばらく動けなくなるので援護は出来ませんからね』

「分かってる」

――人には幾つもの岐路がある。

 あの時、あの答えを選んでいればああはならなかった。

 あの間違えなければこうはならなかった……生きる事も、戦う事も全て自ら選んでいかなければならない。

……だから、今の自分はこの『答え』を選んだのだ。

 後悔などしていないし、惜しんで大切な一つを失うのなら自分の命を擲つ――そう自分は学んだ。

 途端、身体の奥底に静かに重たい『何か』が横たわる。

 噛みしめた奥歯が鈍く軋む、溜めた力が大腿を締め上げていく感触が明確に伝わってくる。

 踏みしめ――その場から脚力に物言わせて走り出す。

 常の者であれば到底動く事すらままならない、不安定でほぼ垂直の蛟の身体。

 足袋越しの足指だけで蛟の肉を踏み噛み、微かな鱗の隙間を取っ掛かりを足場に体躯を――登る。

(止まれば即死、動き回らなければこちらが死ぬ)

 大きく長い蛟の身体の一部が動き、身体が容赦なく宙に放り投げられる。

 圧し潰さんと迫って来る蛟の巨体。

 空中で身体を捩り、全力の蹴りで迫る蛟の身体を――蹴り飛ばす。

 鈍い音を立てて蛟の身体がひしゃげ、湖面が荒立つ。

 蹴った勢いを使い、空中で一回転。湖面から空へと垂直に伸びる蛟の巨体へ着地すると上へと跳躍する。

 空を跳び回る真澄さんが、こちらの動きに合わせるように蛟目がけて牽制に雷を放つ。

 苛立ちの混じった威嚇音を放つ蛟が真澄さんに首を向ける。

「お前の相手はこっちだ!」

 蛟の身体を足場に跳躍、交差していた巨躯めがけて太刀を横一文字に振り抜く。

 肉を斬る感触と鼓膜を震わす咆哮。

 土の型『天端』

 迫る蛟の巨体に合わせて空中で太刀を振るい――大きな衝撃が全身を打ち据える。

 遅くなった視界の中、空中で体勢を変えつつ下の船へと着地する。

 着地の衝撃に船が大きく揺れ、祝が転がりそうになる。

「大丈夫か」

「大丈夫何も智慧、お前の方が大丈夫なのかよ」

「ああ、なんともない。今から蛟に突っ込むから皆は本隊の所へ向かってくれ、多分今以上に暴れ回る」

「こんな状況で船が動いたら転覆するっつうの」

「なら、死なないよう頑張ってくれ――っ!」

 船を揺らしながら空へと跳躍。蛟の身体目がけて太刀を突き立てる。

「があああぁぁぁっ!!!!」

 ここで仕留めなければ皆が死んでしまう、誰も死なせる訳にはいかない。

 刃で切り裂きながら鬼の力に物言わせて蛟の身体を駆け上がる。

 のたうち回る蛟の巨体が湖面が荒ばせ、幾度も放たれる雷が鼓膜を容赦なく震わす。

「この……!」 

 駆け上った頂点、数メートル離れたところに降りてきた真澄さんが刀を大振りに構えている。

 素早く動いた蛟が大口を開けて、真澄さんへと今まで以上の速さで迫る。

「お前の相手は俺だ!!」

 刃で腕を切り、自分の血を辺りに撒き散らす。

 途端、蛟の頭が向きを変えるや、凄まじい勢いで迫って来る。

(読み通りだ、荒霊は必ず自分の血肉に反応する。間近で血を撒き散らされようものなら、血相を変えて喰らいついてくる)

 だが、自分は空中にいて踏み場も無ければ逃げ場も無い。ただ空中に跳び上がっているだけ、真澄さんのような空中歩行なんて芸当はできない。

 一瞬、聞こえてくる音や匂いが掻き消える。

 あの首を斬り落とす術は無い、自分の剣技でもあの巨体を両断など荒唐無稽な話だ――だが、あの巨体を斬る術はある。

 見た事が無いのに、技を使った事が無いのに、絶対に不可能な状況だと言うのに――何故か自分は覚えている。

 身体が無意識の内に動く――まるで見知らぬだれかの様に、意志と関係なく身体が剣を構える。

 奇しくも真澄さんの使う剣術によく似た構え。全身の筋肉を極限まで絞り上げ、柄を渾身の力でふり絞る。

 斬るは一つ、蛟の首。かの土地神が残した古傷であり蛟の死の痕。

 外せば必死――二の太刀は無い。

 蛟の牙が寸前に迫る。今さら逃げれる間合いではない。


 『   』


 振りかぶった太刀を横一文字に全霊で振るう。ただ一振り、邪念無く無心に斬る。

 牙を断ち斬り、口腔を斬り裂き、口を横一文字に斬り開きながら横一文字に蛟を――斬り抜く。

 おびただしい量の血が全身に降りかかる。熟れた柘榴の様になった下顎が自重に従って垂れ、致命傷を負った蛟が――痛みにのたうち回る。

「まだ死なないのか……!」

 頭は動けと言っているのに全身の筋肉が悲鳴を上げて動かせない。鬼の力の反動か、荒霊の血せいか、それとも今放った知らない剣技の反動か。

 身体が重力に従って落下し、反動で暗くなった視界が迫る湖面を捉える。

(ヤバい……死ぬ)

 また己の鍛錬不足で死ぬ羽目になるのか。月島さんに命を助けてもらったというのに、無残にも命を落とすのか。

「――智慧!」 

 どこからか自分の名前を呼ぶ声がする。

 横から身体を襲う大きな衝撃と――柔らかな感触。

 霞む視界に映る、女の子の必死な顔。風が顔を打ち据え、ピリピリと体中が痺れる。

「――起きて!」

 鼓膜が破れんばかりの叫び声に朦朧としていた意識が戻ってくる。

 頭を振り――自分を横に抱きかかえて宙を跳ぶ真澄さんの顔を見上げる。

「死んでいないでしょうね!?」

「た、多分……」

「それならいいわ――そんな事より逃げないと!」

「み、蛟は祓ったはずじゃあ……」

「源くんが斬った蛟はまだ生きてるのよ! やはり首を刎ねないと祓えないっていうの!?」

 真澄さんの身体の後ろ、後方を見れば湖を波立たせて暴れ狂う蛟の姿が。

「いき、生きているなんて……あの傷なら動くことなんて出来ない筈だ」

「実際に動いているから不味いのよ! それより船に着地するから落ちないでね!」

 浮遊感の最後に再び大きな衝撃が身体を襲い、思わず腕から落下してしまう。

「ぐっ……!」

 背中からもろに入ったせいで息がまともに出来ない。

「だから言ったでしょう!」

 ぼやける視界の端に祝と棗の姿。

「大丈夫か二人共!?」

「全く大丈夫じゃないわ。それよりあの蛟に止めを刺さないと」

「でも、あの暴れようで近づいたら間違いなく圧し潰されるぜ」

 背中を押さえてなんとか立ち上がろうとするが、脚に上手く力が入らない。

「不味い……すまない皆、歩けそうにない」

 この調子だと1時間はまともに動けない。先程の様に跳び回るには状態が悪すぎる。

「……私が止めを刺してくる。とびきり大きな雷を落とすから絶対に近づかないで」

 真澄さんが跳び上がろうとした瞬間、思わず手を掴んでしまう。

「駄目だ真澄さん、危険すぎる」

「でも、あのままだと被害が拡大するわ。波も高くなって来たし、このままじゃ津波が起きるかもしれない」

 だが、あの状態の蛟に近付いたら巨体に叩き潰される。

『――よくぞここまで追い詰めた、褒めてつかわすぞ童子共』

 突如、どこからか女性の声。

「な、なんだ⁉」

『後は儂がやる。お前達は見ていろ』

 船が揺れ――湖の下から真白の巨大な何かが起き上がってくる。

「また荒霊かい⁉」

 棗が籠手を構える。

「いや……違うわ! あの大蛇は……土地神様よ!」

 大きな水飛沫を立て、湖の下から姿を現したのは巨大な大蛇。

 あの蛟と同じ程の大きさで、遠目からでも分かる赤い瞳と白色の全身が普通の存在ではない事を意味している。

(なだ)! なぜお前は蘇った! あの時私が殺した筈ではなかったのか!』

 声が響き渡り、白蛇が蛟に体当りするや取れかけていた下顎を食い千切る。

 痛みに蛟が暴れ、口から薄黄緑色の液体を撒き散らす。

 降り掛かった白蛇の身体が焼けただれ、湖に落ちるとドス黒く変色してゆく。

「ありゃヤベえぞ蛟の毒だ! この世の生き物が触ったら即死だぞ!」

「真澄さん、流石に逃げないと不味いんじゃない⁉」

「分かってる!」

 真澄さんの視線の先には死闘を繰り広げる2匹の大蛇。

 荒ぶる巨体が高波を生み、濁った風が吹き荒れ始める。

「奏! このままだと転覆する!」

 月島さんが操舵室の窓を開けて叫ぶ。

「ああもう……! 渚ちゃん急いで陸まで走らせて!」

 船が旋回し、最寄りの陸側へと進み始める。

『お前はもう死んだのだ! 死者が現世にいてはならぬ!』

 土地神が悲痛な叫びと共に湖の喉元だった部分に喰らい付く。

 大きく身体を震わせ、さらに暴れる蛟が土地神を連れて湖へと落ち、一際大きな波が押し寄せてくる。

「皆掴まって!」

「ヤバくねえかあの津波!」

 祝が船にしがみつき、棗が操舵室に飛び込む。

「葛葉ちゃん⁉」

 真澄さんの突然の悲鳴。思わず見れば、土御門さんが船首の一番端に立っている。

「こうなっては止む終えません……十二神将『玄武』!」

 土御門さんが叫び、呼応するように船先に現れる、鉾を携えた一人の男性。

「玄武、あの津波を止めなさい」

『承知』

 男性が鉾の穂先を湖面へ向け、撫でるように振るうと――迫って来ていた高波が不自然にその場で崩れた。

「な……」

 突然の出来事に絶句してしまう。

「渚さん早く陸地へ!」

 言われるがまま船が再び走り出し、数分としない内に停泊場へと戻ってくる。

 半ば突っ込むように桟橋に接岸。見れば土産屋の客達は全員避難したのか車はあれど人っ子一人いなく、いるのは神籬の制服に身を包んだ数十人規模の刀士遣達。

 祝の肩を借りながら、なんとか刀士遣達の元へと転がり込む。

「お前達!」

 刀士遺の集団の中から柊教官が飛び出してくる。

 普段の軽装な格好とは違い刀士遺の隊服を身に着け、左腰には太刀を佩き、後ろの腰には小太刀らしき柄が見える。

「申し訳ありません柊教官、この騒ぎは私のどくだ――」

「そんな事はどうでもいい、それより土地神と蛟はどうなった」

「退避に専念し、正確な姿は……」

「つまり再び出てくる可能性があるという事だな」

「はい」

「分かった。後は本隊が引き継ぐ、偵察隊は休んでいろ」

 柊教官が後ろに控えていた刀士遣達に指示を投げると、呼応と共に足早と散開してゆく。

「源、どこか怪我をしたのか」

「いえ、怪我はしておりませんが諸事情でまともに歩けません」

 蛟の口腔に半ば突っ込んだが幸運にも毒液に触れずに済んだ、悪運と言うか幸運と言うか。

「動けないなら現場では足手まといだ。お前は看護班行きだ――獅子窟!」

 柊教官が叫ぶや、停車していた神籬の大きなバスから一人の刀士遣が飛び出してくる。

「お呼びでしょうか隊長!」

 小柄な女性の刀士遣で腰には朱鞘の小太刀。

「急患だ、看護車で症状を確認。他に怪我人はいるか?」

 柊教官がギロリと睨みを聞かせて面々を見渡す。

「……いなさそうだな。真澄、お前達はそこの装甲車で休んでろ――詰問は私が帰ってきたら行う。それまでに反省の言葉を考えておくんだな」

 そう言うと、駐車場の一箇所に停められていた大きなバイクに跨ると走り出す柊教官。

「凄えな……バイク乗り回す刀士遣とか初めて見るぜ」

「あはは、柊さんは集団戦じゃなくて個人で荒霊を祓う珍しい人だからね。堅固さより機動力が重要だって言ってたよ」

 教官と知人である棗がころころと笑う。

「さあさあ、命令違反の問題児くんこっちに来なさい!」

 自分よりも小柄なのにひょいと持ち上げられ、肩に担がれて運ばれる。

 言い止められる間もなく看護車に運び込まれる。

 投げられるように車内の簡易ベッドに投げ出され、太刀を呆気なく取り上げられてしまう。

「症状は?」

「足が動きませんが、1時間もすれば治ります」

「やせ我慢していないでしょうね?」

「していないです。これは美夜――じゃなくて伴獣の力を借りるとなってしまう現象で……」

「伴獣の拝力で? 普通は逆でしょ、医者に嘘吐くとはいい度胸してるんじゃないの?」

 手の骨を慣らしながらこちらを見下ろしてくる獅子窟隊員。

「本当なんです。この力が入らないのも一過性なので、大人しくしていれば治るんですよ」

「むー……君が良いといっても私は許可しません。柊隊長の命令通り、君は足が戻るまでここで安静にしているように――あと私は他の子達も異常がないか見てくるから」

「わ、分かりました」

 足早に看護車から出ていく獅子窟さん。

「……はあ」

 張り詰めていた緊張の糸が解け、上げていた頭が枕に落ちる。

(またこの症状だ。どんなに鍛えても、どんなに意識しても鬼の力を借りると反動が来る)

 美夜の鬼の力を借りることによって、自分は短時間内だけ常人ならざる力を使える。

 刀士遺で言う所の伴獣の力を借りる『拝力』と同じはずなのだが、どういう訳か自分は昔から美夜の鬼の力を借りると、反動でほぼ動けなくなってしまう。

 脚力を借りれば足が動かなくなり、腕力を借りれば両手が使えなくなる。

 村の皆や鶫や月季もこの理由は分からなく、出来るだけ鬼の力は使わないようにしようと美夜とお互いに決め合っていた。

 しかし、止む負えない時や緊急時には借りてしまうのが現実であり、つまるところ自分の実力不足が原因にある。

「はあぁ……怒られるな」

 鶫は整然と叱るだろうが月季は間違いなく木剣でシバいてくるだろう。

『――お怪我はないですか智慧?』

 美夜が音も無く姿を現わす。

「ごめん、また鬼の力を借りた」

『あの状況は仕方がありません。他の者達もおりましたし、選べる答えはあれしかなかった』

「美夜は脚の調子はどう?」

『動かせますが、少し敏感になっていますね。小石でも踏んだら泣いて跳び上がりそうです』

「なら大丈夫そうだ。それより包帯と消毒液を取ってくれるかな」

 何とか身体を起こす。

『腕の怪我ですね』

「ああ、あの時は全く居たくなかったけど今になって痛くなって来たよ」

 血の滲む制服を脱ぎ、下のワイシャツのボタンを外して赤く汚れた袖を捲る。

『もう、非常時とはいえ自分の腕を切るなど普通ではありませんよ』

 手慣れた手つきで消毒液をガーゼに染み込ませると、躊躇い無く切り傷に押し当ててくる。

「いたたたたっ!」

『暴れないで下さい。傷口から荒霊の穢れや雑菌が入ったらとんでもない事になりますよ』

「それでも痛いって」

 血の汚れを拭き取られ、清潔なガーゼを押し当てられつつ包帯がキツく巻かれてゆく。

『……本当、智慧は昔から傷が絶えませんね』

「全くその通り。これじゃあ成人前に死ぬかもしれない」

『縁起でもない事を言わないで下さい。智慧は私が守ります』

 包帯が一瞬だけきつく締められた――様な気がした。

「そうだね。美夜は昔から俺を守ってくれてる、本当に頭が上がらないよ」

『息子というよりは年の少し離れた弟みたいな感じですね』

「ああ、確かにそれに近いかも――それじゃあ鶫と月季は?」

『鶫の奴は母、月季は……なんでしょう、家に居座るごく潰しですかね?』

「本人が聞いたら怒りそうだ」

『あいつはそれ程度では怒りませんよ』

 容易に想像できるのが恐ろしい所である。

――すると、話し声が聞こえてくる。

『ほらほら! あなたも怪我してるじゃないの、入った入った!』

 慌ただしく車内に入って来たのは獅子窟さんと――真澄さん。

「あれ、どなた――」

 美夜を見、視線が僅かに上がり――固まる。

「つ、角……」

「ええと、人の姿をしてますが伴獣です」

「そ、そう……? 職業柄色々な伴獣を見て来たけど、その子みたいな伴獣は初めて見るから……」

 そりゃそうだろう。前例の無い特殊なケースだ。

「ちょっとちょっと源くん、貴方からも言ってくれない? これっぽっちの傷なら問題無いわよね」

 真澄さんが左肩を見せてくる。制服がパックリと裂けており、露わになった肌に薄っすらと赤い線が。

「噛まれたのかい?」

「いいえ、蛟の身体が掠っただけよ。流石に毒を貰ったらこんな悠長にはしてないわ」

「うーん、でも万が一ってこともあるし流石に診てもらった方がいいんじゃないかな?」

 話していると足の感覚が戻って来る。試しに動かしてみると、普通に左右の足が動き指も一本ずつきちんと動いている。

「獅子窟さん、自分の足が戻ったみたいなので外にいますね」

「えっ本当に?」

 答えるようにその場に立ち上がると驚きの顔が返って来る。

「信じられない……けど、足が戻ったなら柊隊長の指示は終了ね」

「はい、ですから自分は外へ失礼しますね」

 次の診察を受ける真澄さんの邪魔になるだろうし、外で待っているであろう他の皆の元にいかなくては。

「それじゃあ私も――」

 出ていこうとした真澄さんの腕を取る獅子窟さん。

「貴方は駄目でしょ。相手は蛟だったんだから本当に毒を受けていないか確認しないと」

「いえ、ですから身体が掠っただけでして……」

「聞き分けの無い新人ね。ちょっとそこの伴獣の――」

 獅子窟さんがこちらに顔を向ける。

「美夜です」

「――伴獣の美夜ちゃん。この聞き分けの無い新人をそこの診察台に乗っけてもらえる?」

 私が? と言わんばかりの顔。

「上官命令だ、大人しく手伝ってやってくれ」

『はあ……どうして人間の手伝いなど……』

 嫌々とした顔で真澄さんに近付く美夜。

「ちょっ、美夜ちゃん裏切る気!?」

『裏切りませんよ。鬼に横道無し、ただ智慧のお願いを聞いただけですから』

 蛇の様な邪悪な笑みを浮かべ、真澄さんをズルズルと引き寄せる。

 さすがの刀士遺でも鬼の怪力には勝てないようで、診察台に無理くりと乗っけられる。

「さあ、全身に異常がないか調べるから隊服を脱いでね」

「……源くん」

「はい?」

「その……いられると困るのだけれど」

「えっ……あっ! すみませんでした!」

 脱兎のごとく車から転げ出て、スライド式のドアを閉めると逃げるように離れる。

「はあ……危うく斬り殺される所だった」

 しかし、寮部屋の中では自分の前でも下着と遜色変わらない格好で過ごしているのに、どうして恥ずかしがるのだろうか。

(普通ならもっと日常生活の段階で意識するよな……)

 ひとまず教官から言われた神籬の装甲車の方へ。

「――よう智慧、もう足は大丈夫なのか?」

 車の外。車体によりかかりスマホを弄っていた祝が声を掛けてくる。

「ああ、一過性の物だから慣れたもんだよ。他の皆は車内に?」

 軽く足を動かして感覚を取り戻しておく。

「おう、棗は間食中で女子2人は休憩してるよ」

「そうか、祝は大丈夫なのか?」

「俺は特に動いてねえからな。そういやさっき班長が看護班の人に連れていかれていたけど、見たか?」

「うん、蛟の身体が掠ったらしくて毒が付いていないか診察されてたよ」

「あー、たしかに診といた方がいいだろうな」

「なら尚更診てもらった方がいいだろうね」

「そういうお前さんは大丈夫なのか? 蛟に喰われる寸前だったけど……」

「掠り傷一つ無いよ、運が良かった」

「幸運というより悪運だな」

「それは言えてる」

 同じように寄りかかり、暮れ始めた陽をに照らされながら湖を眺める。

 逃げる前に湖の上で暴れ回っていた蛟の姿や土地神の姿はなく、まるで先程の騒ぎが嘘だったかのような静けさが戻ってきている。

「――最後はちょっと呆気無かったけど。俺達、蛟を祓えた……って事だよな」

「新人にしては大成功だよ。最後は土地神が持って行ったけど」

「ありゃしょうがねえよ。あのデカブツ相手に出来る得物は俺達持ってねえ――って思ったけど、お前さんのその刀でぶった切ったな。あれも源秘伝の技か?」

「うーん……実はあの時、全く覚えていないんだ」

「覚えてないだあ?」

「無我夢中で刀を振っていた。ただそれだけだよ、意識して動いてないんだ」

 そして、勝手に動いた自分の身体と見ず知らずの剣技。

「頭に血が上った時はよくある事だけどよ……あの動きは完全に無我夢中って動きじゃなかったぜ。剣士とか武芸者が撃つ時の動きだった」

「でも覚えていないんだ……前はそう言うの無かったんだけどな」

「そうだなあ、可能性としては蛟の常世の気に中てられたとか」

「それかなあ? 強い荒霊だと纏ってる気も増えるし、普通じゃないことが起きるのもおかしくない」

「ま、なにはともあれ全員五体満足で帰ってこられたんだ。終わりよければ全てよしだろ――本隊が蛟の祓いを済ませられればの話だけどよ」

「それは教官方の腕次第だろうさ。多分、逃げられるって事はないと思うけど」

「だな――ああ、あとお前さんが出発前に会った謎のオッサンを調べてみたぜ」

「調べた?」

「ああ、ちょっとアングラな所とお知合いなもんでね。目立つ外見だし誰か知ってるか聞いてみた」

「一体祝のパイプラインはどこまで伸びてるんだ」

「六次の隔たりって八つさ。で、色々な方面に調べたんだが……」

 僅かに祝が間を置く。

「誰も知らなかった」

「知らなかった?」

「ああ、誰一人としてその男を知らねえんだ。人探し専門の探偵とか新都のアングラで輸入代理店やってるグレーな奴とかに聞いたんだが、マジで誰も知らなかった」

「そんな事があるのか?」

「該当者としては半グレや暴力団よりさらに真っ黒な奴、もしくはその手の情報を造作なく消せる権力を持っている奴……あとは政治的に力のある奴だな」

 そこまでいくと憶測どころかフィクションに片脚入った世界の話である。

「あとは……そうだな、この世の存在じゃないかもな。未だに未知な常世の住人だったりしてよ」

「まさか、あまりにも非現実的過ぎるよ」

 荒唐無稽な話に思わず笑ってしまう。

「だよなー……さてと、俺も何だか眠くなって来たし車の中で眠っていようかね」

 祝がのそのそと車の中へと入ってゆく。

メインPCの逝去にともなうデータ移行&感染症流行の余波で完全に遅れました申し訳ございません。

次の章に関してはもう8割終わってますので、すぐに次章へ行けると思います。

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