弐ノ巻【水禍】参
続きとなります。
翌日・奴鹿湖『神那岐学園合宿施設』
「うう……眠い……」
「ったくよー! お前さんどこまでほっつき歩き回ってか知らねえが、クソ遅くまで外にいたからだよ」
祝の声が頭に響く。
「夜遊びとは源くんも隅に置けないねえ、一体どこに行ってたんだい?」
「色々だよ……ふわぁ」
――結局、泥と堕ちた野生動物の血で汚れた身体のまま施設に戻れたのは日付が変わる頃。
それからバレないように外の水場で全身についた血を洗い流して、色々と後処理をした結果、床についたのは深夜2時に差し掛かる頃だった。
そして2日目の朝練は朝っぱらの6時からなので、睡眠時間は4時間ほどしか寝ていない。
「昨日の夜に例の場所に行くつもりだったのによ、お前さんがいなかったせいで行けなかったんだぜ。課題もあるし、行けるのは最終日くらいしかねえ」
「本当に申し訳無い」
「ったく……しかし昨日の夜は一体何してたんだ? 遊びに行くったって山と湖しかないんだぜ」
「まあ……その、外で素振りをしていたんだよ。それで、技を確かめている内に気が乗っちゃって気が付いたら……」
「本当かぁ?」
「あー、その感覚分かるよ源くん。僕も型やってる時に調子いいと通しでしちゃうもの」
「うへえ、俺には分からねえ世界だ……だがその理由なら許せるな。もし、夜中に女子部屋にお邪魔してましたなんて言いやがったら渾身の呪詛掛けてたぜ」
「まさか、班の面子にそんな事したら叩き斬られる」
「月島さんはともかく真澄さんと土御門さんらは怒りそうだねえ」
「本人達に聞かれたら怒られそうだ」
「――何が怒るですって?」
真後ろから声に思わず身体が震える。
「お、おう……おはよう御座います女性陣の皆様方」
「どうも芦屋くん。それで、私と葛葉さんが怒るってどういう事かしら?」
「いんや、夜中に女子部屋に遊びに行ったらぶっ飛ばされそうだなあと」
「当たり前でしょ!」
空いていた反対の席に腰掛ける女子3人。
「早速だけど合宿中の課題について話しがあるの、食べながらで構わないから聞いて」
真澄さんの言葉に全員の空気が変わる。
「柊教官の確認の元、訓練には参加せずに課題を行う許可を貰って来たわ。だから今日から課題である蛟の妖怪を祓うまで私達の班は他の皆とは別行動よ」
「マジでか」
「ええ、他の教官方も問題無いと仰ってたから大義名分の元動ける。それで、私達の行動についてだけどもまずは情報収集ね。神籬である程度は集めているみたいだけど現場の細かい部分は見れていないらしいから、そこを私達が担当するわ」
要するに現地で情報収集をしろということだろうか。
「もし対象の妖怪とばったり出くわしたら?」
どこか表情の明るい棗が問う。
「相手できるほど私達は強くないわ。もちろん退避が最優先、対象以外の妖怪や堕ち成りは好きなだけ祓って構わないわ」
「ありゃ、一番の楽しみだったんだけどなあ」
「相手はかなりの力を付けている妖怪らしいから私達だけでどうこう出来る相手ではないわ」
「うーん、それでも楽しみだなあ。源くんも同じくワクワクしてるよね?」
「自分は逆かな。呪いのせいでいつ何時襲いかかられてもおかしくないし、相手した時は十中八九こっちを狙ってくる」
「ああ、それもそうだね……逆に源くんを使っておびき寄せたりは出来ないのかい?」
棗の実に酷ながら現実的な言葉に眉をひそめる他の面々。
「うーん……この体質は妖怪平霊関係なく無差別に引き寄せるから、逆に祓う対象の妖怪だけを呼ぶのは難しいかな……」
すると、今まで話を聞いていた土御門が口を開く。
「……それでは昨晩の妖怪の群れは源さんが原因だということですか?」
「何の事やら」
「教官や敏い方などは気付かれていましたよ――まあ、誰もあの数を恐れて知らぬ存ぜぬを通していましたが」
昨晩の妖怪狩りがバレていたのか……
「えっ、その話は一体何の事なの葛葉さん?」
真澄さんが目ざとく反応する。
「昨晩、この宿泊施設の周辺に低級の妖怪や堕ち成りの獣が多数集まって来ました。少なくとも数は20以上、全てが源さんを喰らいに来たんです」
「その話は聞いていない……」
月島さんが箸を置き、変わらぬ表情で呟く。
「教官方はそれを把握していましたし、あえて警戒態勢の伝達も流しませんでした。おそらく源さんの呪いがどれ程か見極めるためなのでしょう」
「当事者としてはいい気分じゃないな。つまり神籬はこの体質を試したってことかい?」
「神籬や神那岐学園は大掛かりな魔除けを施しているので試す機会が無かったのでしょう、好都合な条件ですからね」
「なるほど……もしかして厄介な課題が渡された原因は自分なのかな」
「否めませんね、憶測の領域ですが――とにかく源さんの呪いは無差別に妖魔やそれに近い存在を引き寄せます。ピンポイントで誘き出すのは至難かと」
「そうかあ、いい案だと思ったけど……」
「地道に探せって事さ、仕方がない」
だが、昨晩でここ周辺の妖怪は祓った。弱い奴しかいなかったのは土地神が十分に働いていてくれたお陰だろう。
「……とにかく、私達の班はかなり重要な任務を任されたわ。危険な目に合うかもしれないけれど……それでも皆はいいの?」
真澄さんが改めて確認するように自分や他の皆を見渡す。
「お上からのお達しだから断るなんて出来ねえし、俺はやるかね」
祝がどこか諦めたような表情で賛成の意思を表す。
「僕は大歓迎、断るなんてありえないよ」
棗はいつもの調子。
「私も別に問題ない、いつか誰かがやる事が運悪く回って来ただけだし」
6人中内3名が参加の意思を表している。
「……皆さんだけでは心配ですし私も乗らせて頂きます。そもそも班に課せられた物なのですから断ることなんて出来ませんから」
土御門さんもやる気のよう。
「真澄さん、皆してやる気があるようだしそこまで気負う程深く考えなくていいんじゃないか?」
「はあ……心配して損したかも――それじゃあ満場一致ってことでいいのね?」
頷く面々。
「それじゃあ今から10分後に正面口に集合。装具と火廣金は絶対に忘れないように、教官には既に伝えているから安心して訓練はサボれるわ」
そう言い残し、食器の乗ったプレート両手に去ってゆく真澄さん。
「そうですね、妖怪を祓うとなれば準備を怠ってはいけませんから時間は有用に使わないと」
ぞろぞろと女子2人が去ってゆく。
「んなら、俺らも急がねえとな」
「だね、それにしても蛟と戦えるのは楽しみだなあ……!」
食堂を後にし、部屋へと戻る。
祝は小道具や陰陽道に使う呪符の確認を、棗は籠手の具合や止め紐などを確認している。
(準備って言ったって孤剣で戦うからな……特にすることがないぞ)
月季からは武芸十八般や他の武術も嫌と言うほど叩き込まれたが、一番しっくり来るのは――やはり月季直伝の剣術である。
名前は無く、ただ妖魔を斬るためだけに編み出され、この源の一族に連綿と続く必死の剣技。
復帰の入学式の際に五剣の人達が言っていた【無銘】という呼び名がおそらくこの剣技の事なのだろうが、教えてくれた肝心の当人は何も言っていなかったので本当かどうかが怪しい所である。
衣服もこれと言って専用の物は無かったし、具足や甲冑を着るなんてことも無かった。
だが、1つだけ欲を言ってしまえば――丈夫な足袋が欲しい所である。
『――お呼びですか?』
「どわあっっ!?」
祝の叫び声が部屋中に響き渡る。
「ちょっ、ちょっとだっ、誰だよアンタ!?」
苦無を向けて慌てふためく祝。
「わあ、いつの間に……? 降って湧いたように現れたよね……」
棗が籠手の爪を打ち鳴らす。
「こ、琴鶴さん!?」
突如現れたのは、学園で自分の制服を織ってくれた裁縫人の琴鶴さん。
『お久しぶりです源様、制服にほつれなどはございませんか?』
前と変わらぬ白一色の小袖姿。
「いえ、問題は無いんですけれども……どうやってここへ?」
『源様が物欲しそうに思案しておりましたので』
「それだと答えになっていないんですけれども……」
『まあ、そんな些事はいいのです。源様は足袋をご所望されているのですね?』
頭の中で考えていただけなのに……一体この人は何者なんだ。少なくとも妖怪の類だろうが……
「まあ、否定はしないですけれども……」
『では早速採寸を始めましょう。私の炎織りは短時間で済ませられますので、班の皆様と集合される時間までには終わらせられましょう』
「ええと……よろしくお願いします、はい……」
面食らった2人が奇異な目でこちらを見つめてくる。
「ちょっと具足を作ってもらってから行くよ、済んでいるなら2人で先に行っててくれないかな」
「お、おう……遅れるなよ」
部屋から出ていく2人――こうして、突然の採寸が始まったのだった。
必要が無いのにひん剥かれそうになったので必死に抵抗し、何とか琴鶴さんに真新しい足袋を織ってもらった――
『お待たせいたしました。火廣金を極細に伸ばし、繊維と共に織りまぜた頑丈な足袋にございます。刃の上に乗っても斬れませんのでご安心を』
小刀を引き抜く琴鶴さん。
「ちょっ、実演は大丈夫ですから!」
『おや残念……ですが、力のある妖怪では牙や爪が通る可能性がありますので過信はしないようご注意を』
「はい、気を付けます」
黒染めされた古風な紐足袋で、緩みが無いか軽く動いて履き心地を確認する。
まるで素足の時の様な軽さと適度に引き締められた脚の感触。
(これなら問題なさそうだ)
「何度もありがとうございます琴鶴さん。それでは任務がありますのでこれで」
『はい、お怪我無きよう気を付けて下さいませ』
琴鶴さんに見送られて部屋を出る。
軽い足取りで正面口に向かい――他の面々が既に集まっていた。
「終わったか」
「ああ」
「あの人、一体何者なんだい? 全く気配がしなかったよ」
「分からない。少なくとも人間じゃないのは確かかな」
「だよね」
会話していると真澄さんがこちらを見向く。
「なんの話?」
「いやあそれがね」
棗が代わりに答える。
「裁縫人……初めて聞いたわ。神籬の後援隊の方なの?」
「ああ、なんでも俺達が着ている制服を作った人らしい」
軽くて丈夫な祓魔士の制服の袖を指でつまむ。
「それが本当ならその裁縫人は妖怪になる」
月島さんが意外な事を言う。
「分かるのかい?」
「分かるというか、この制服は火廣金が編み込まれている。火廣金は妖怪の力を用いた『火のし』でしか加工できない金属だから」
「ああ、それもそうか」
「だから、その琴鶴って人は間違いなく妖怪になる」
まあ、気配も無く音も無く後ろに現れたりするのは間違いなくその手の存在しかいないだろう。
「さ、無駄話もそこら辺にして出発しましょうか」
腰に刀を帯びた真澄さんが手を叩いて空気を切り替える。
「まず最初は出没した情報のある北西部にある行楽地の山方面に向かうわ。ここからだとちょうど湖を挟んであっちの方向ね」
真澄さんが指差す先は遥か先に薄っすらと見えるの湖岸部分。
「遠いなあおい、足はどうするんだ?」
「それについては――葛葉ちゃん、お願いできるかしら」
「はい、ですがここだと人目に付きますので人気の無い所へ」
土御門さんの後をついて行き、昨晩暴れまわった浜につく。
「ここなら広さ的にも問題なさそうですね……急急如律令――出でよ『小竜』!」
土御門さんが腰から下げていたケースから3枚の紙切れを取り出すと、矢継ぎ早に何やら呪文のような物を唱えて湖めがけて放る。
次の瞬間、掠れた音を立てて投げられた紙切れが肥大し――見慣れた質感の大きな竜が現れる。
「わあ! これって土御門さんの式神⁉」
「はい、低高度とそこそこの速度を出せる乗り物代わりです。火に触れると一瞬で駄目になってしまいますが、湖を回る程度であれば問題ないかと」
身体の質感は訓練なんかで見る紙製の式神と同じだが、式神の姿形は文献などで見た竜とまるっきり同じである。
「戦える力はあるのかい?」
「雑魚程度なら問題ないですよ――嘉月さん、今はだめですからね?」
「分かってるよ土御門さん。いやあ、陰陽道って便利なんだねえ」
「そうでもないですよ。大概の術は現代技術で済ませられますし、制約も多いですから」
「そうなの芦屋くん?」
棗の軽い調子。
「――まあ万能じゃねえのは確かだな。言っても大家の陰陽師と一般的な陰陽師とじゃあ丸っきり話が違うが……」
気のせいかそれとも思い過ごしか、どこか表情を暗くした――様な祝が答える。
「ああ、大御所だもんね土御門さんちは」
「今は安倍家、三善家、弓削家の御三家の方が利権的には上ですが――さあ、早く向かいましょうか」
土御門さんが慣れた様子で竜に跨がる。
「あの葛葉ちゃん、これってどう動かせばいいの? 流石に竜に乗ったことはないの」
「乗馬と同じです、たてがみが手綱で両脚で式神の腹を挟むように座ってください」
「私、乗馬なんてしたこと無いわ」
「……この中で乗馬経験のある方は?」
手を挙げたのは自分と祝だけ。
「二人一組で分かれる必要がありそうですね」
「それじゃあ僕は祝くんの後ろかな」
「おいおい、俺とタンデム出来るのは可愛い女の子だけだぜ?」
一匹の背中に乗る祝と棗。
「それじゃあ私は葛葉の後ろ」
身軽な身のこなしで一足に駆け上がり、土御門さんの腰に手を回す月島さん。
「ええと……」
「それじゃあ私は源くんの後ろね、よろしく」
「あ、はい……」
他の面々はいつでも出発できる状態なので、こちらも急いで乗り込む必要がある。
「こっちが引き上げるから、背中に乗ったら掴まっていて」
「ええ」
鐙や鞍が無いので素乗りになる……尻が痛めそうで怖いが。
たてがみを掴んで飛び乗り、地上の真澄さんに手を伸ばす。
「式神の身体の出っ張りに足を引っ掛けるんだ」
こちらの手を掴んで登って来た真澄さんを引き上げる。
「皆さん、大まかな手繰り方は私の方で制御しますが細かい調整は任せます――月島さん、お腹を揉まないで下さい」
「ぷにぷに……いや、ふよふよ? 近い感触が思い浮かばない」
「泳いで向こうまで行ってもらいますよ」
「別に泳ぎでも問題ない」
「冗談なんですけれども……」
すると、式神の身体がさらに浮き上がり、湖面から2メートルほどの高さまで上がる。
鳥のような自然な進み方ではなく、突と前へ進み始める。
静かな湖面を波立たせながら式神が空を飛ぶ。
「結構速度が出るのね」
言うと腰に回した腕に力を入れる真澄さん。
(無心……無心だ……)
背中に伝わる色々な感触は出来るだけ考えない、今はこっちが落下しないようにしなければ。
――周りを見れば湖の真ん中辺りに差し掛かっており、中心部分に点々とある小島を通り過ぎる。
(速度は馬より速いけど車とかよりは遅いな)
次第に近付いてくる対岸部分。
すると、先行していた土御門さん達の乗った式神が近づいてくる。
「奏さん! 目的の場所は湖からどれ程ありますか!」
風に掻き消されないよう声を張り上げる土御門さん。
「歩いて5分くらいの距離よ!」
「流石に市街地を式神で飛ぶわけにはいかないので、対岸に着き次第式神を戻しますので!」
「了解!」
出発してから10分程か、宿泊施設から遥か遠くに見えていた対岸部が近付いてくる。
どうやら北西部のこの湖岸は土産屋や道の駅的な所が多い所のようで、浜辺を楽しんでいた行楽客がスマホやらカメラやらを遠くから向けてくる。
「あー……年中観光客いるの忘れていたわ……ごめんなさい、かなり目立つかも」
「うーん、もう時既に遅しだね」
木々や遮蔽物の何もないだだっ広い浜辺に着き式神から降りると、土御門さんが一言呟きと式神が札に戻る。
注目の視線を集めてしまいながらも、砂浜から陸地側に登る。
「いやあ目立ってるねえ」
湖岸に居を構えるいくつもの店々と大量の行楽客の群れ。
「仕方がないさ、こんなど派手な移動方法だったんだし」
根気のあるテレビ局が祓い中を中継したりする時勢なのだし、一般人から撮影されるなど日常茶飯事だろう。
「奏、出没した山ってどっち?」
「道路渡った向こう側。そこからそう遠くない遊歩道近くね」
真澄さんがスマホを片手に見ながら指す先は、道路対岸の山。
佩緒を解き、皆の会話に耳を傾けながら柄に手を乗せる。
すぐさま苔むした石段が上へと続いており、おそらく遊歩道の始まりの場所だろうか。
「奏さん、目撃地点はここからそう遠くないのですよね?」
「ええ、この石段の途中に右へ折れる道があるわ。そこは山の頂上へのびるハイキングコースになっているんだけど、そこの途中で現れたらしいの」
「それじゃあ、いつ出てきてもおかしくないという事ですね?」
「ええ、十分に警戒しといたほうがいいわ。例の妖怪の邪気に中てられて狂暴化している野生動物がいるかもしれないし」
力のある妖怪が出没すると周囲の環境や生態系に影響が出るのは昨今ではよくある話である。
蛟となると口から猛毒を吐き、水害を起こす危険な妖怪なのでなおさら警戒しておかないといけない。
幸いにも湖からは距離があるので水害は問題無いだろうが、毒となると少々厄介になって来る。
(流石に蛇毒の種類までは学ばなかったな)
大きく分けて三種類、くらいまでしか自分の知識には無い――そもそも『普通の蛇毒』の定規が当てはまるとは考えにくいが。
石段を登り――右手に見える山道。
「ここがそうなの?」
「ええと……そうね、この道をしばらく進むと川縁と合流する所」
「うへえ、よりにもよって川辺かよ……まあ蛟なら普通か」
祝が心底嫌そうな表情を浮かべる。
再び歩き出し、次第に頭上の木々が濃くなってゆく。
差していた日光が次第に薄暗くなってゆき――数分も歩けば、鬱蒼と生い茂る森に陽光がほとんど遮られ、隙間から差す陽の光だけになっていた。
「――全員止まって、ここが目撃現場よ」
歩道のすぐ近くを流れる綺麗な小川と、辺り一面に生い茂る無数の草と木々。
一見すると、単なる川べりに見えるが――
「……なるほど、確かに妖怪――というか大きな何かが暴れた痕がある」
「うーん、何か変わった様子は見受けられないけど……」
「ほら、対岸のあの赤松の奥。変に木々が倒れていて拓けてるだろ」
「ええ、どこだよ……」
祝と棗が目を細めて見るがどうやら分かっていない様子。
「ちょっと見てくる」
太刀を落っことさないよう押さえつつ、小川の岩を足場に跳んで向こう岸に付く。
「身幅は……かなり大きいな」
よくと森に目を凝らすと地面から伸びる木々や枝葉が不自然に開いており、ちょうどその間隔は約2メートル以上。
地面に身を伏せ、均等にへこんだ地面を触って確かめる。
(巨体に相応しい重量か。尻尾や身体で叩かれたら大怪我間違いなしだ)
地面のへこみがひたすら続いているので詳細な全長が測れない。だが、すくなくとも数十メートル以上はあるだろう。
「おーい智慧よう! 戻ってこないと真澄さんに尻蹴り上げられるぜー!」
言った本人の祝の尻が真澄さんから蹴り上げられている。
「こっちでもう少し探してみるよ! 皆はそっち側を探してくれないか?」
「源くん! せめてもう一人を同行してくれないかしら!」
すると、土御門さんが軽い身のこなしで川を渡って来る。
「奏さん、源さんは私が同行いたします!」
静かな音を立てて近くに着地した土御門さんが対岸の真澄さんに話しかける。
「分かったわ気をつけてね!」
「――だそうですので、私が同行いたしますね源さん」
「どうもお手柔らかに」
蛟の這った跡を辿り始める。
「土御門さん、先に確認なんだけれども君の火廣金は何だい?」
「私のですか?」
「うん、念のため仲間の武具とかそう言ったのを把握しておきたいからさ」
土御門さんが背中に手を回し――二振りの平べったい棒の様な物を取り出す。
「それは……鉄扇か」
「この形状だけでよくお分かりで」
土御門さんがそう言うと、スナップを利かせて両手の鉄扇を一動作で開く。
扇面には小洒落た絵が書かれており、片方は藤輪に囲まれた鮮やかな桔梗、もう片方は三つ蝶に白桔梗と近い絵柄だが対照的な色調の扇絵。
「鉄扇は……使ったのは一度か二度くらいかな、でも土御門さんは陰陽師のはずじゃあ?」
「これは自衛用です。札が無くなった時や術が間に合わない場合のみ使います」
「なるほど」
戦闘用というよりは自衛の意味合いが強いなら、確かに暗器である鉄扇は有効的だろう。
「主には陰陽道と使役式で戦います――まあ、陰陽道は元々戦う為の物ではないので変な例えですが……」
「元は占い師みたいな物だったんだっけか」
「まあ、かなり噛み砕いて言えばそうです。卜占と星見から始まり、時代の流れの変化により悪霊を祓う者達へ……ようするに神籬の祓魔士と同じ事をしているが手法が違うだけ、ということですね」
「でも、陰陽師は鬼門の大祓が起きる前から表だって存在していた」
「はい、名ばかりの存在として実態は知られずとも内閣府の1つとして発足当時から現代まで存在しておりましたね」
「そして、大祓以降は神籬と同じ活動を行っていたと公言し。官民共に知られる存在となりました。一部の心無い方達は祓魔士は陰陽師の紛い物だと吹聴していますが」
「でも、時代的には同タイミングの筈だったんだろう?」
「その通りです。陰陽師の元となる術師は発足当時である平安時代よりも前にこの国へ来ていたらしいですが、公的に陰陽師と名乗り始めたのは平安時代。同じく神籬の祓魔士も同じ平安時代に生まれたと資料には残っていますね――祓魔士に関しては源さんの方がお詳しいのでは?」
「それが、その手の歴史書は家には全く。あるのは兵法書と剣術指南書、あとは料理雑誌くらいしかないよ」
「本当なのですか?」
「うん、家の蔵も祓魔士に関する書物は全く無かったし――もしかしたら自分は源宗家の人間じゃないのかもしれないね、だって宗家を証明するものが無いもの。この妖怪を引き寄せる体質も、もしかしたら偶然に発現したものかもしれないし」
新都に来てからだが、源家の分流の一家が新都に道場を構えていると聞いた、もしかしたらそちらの方が源宗家の血を引いているのではないだろうか。
「――源さんが宗家の血筋だというのは本当だと思いますよ」
「どうしてまた?」
「土御門家の伝書の1つに源の一族について言及している書物があるのです。『祓魔士の開祖の1人である源氏の剣士は常に鬼を連れていた』と。その鬼の姿などは記されていませんが」
「つまり美夜が宗家の人間だっていう証拠ということかい?」
「その通りです――あと又聞きですが、新都に道場を開く河内家という一族は『源の剣術』を源流に持つ剣術を教えていると聞きます……合宿が終わったら一度尋ねてみるのはいかがですか?」
「そんな所があるのかい」
恐らく先程思い出した一家の事だろう。
「はい、私は新都の住民ではないので詳細は分かりませんが、真澄さんの道場と並ぶ優秀な祓魔士を排出している一家として有名らしいです」
「なるほど……それなら真澄さんに聞いてみようかな」
「それが一番早いかと」
話しながら森の中を進んでいると――前方に現れる苔と草に覆われた崖。
「っと、普通に行くには難しそうだ。土御門さん、伴獣は問題なく使役できるよね?」
「はい」
「それじゃあ先に登って安全確認するから、その後に来てくれるかい」
「源さんにお任せします」
太刀がずり落ちないようしっかりと腰に佩き、取っ掛かりを見極めて崖を駆け上がる。
伴獣や他の人の力を借りずとも、己の脚力と腕力だけで障害物を乗り越える移動術『跳歩』
美夜から教わった移動術で、合戦用の甲冑を着込んだり、重石を背負って山の中を散々走り回った思い出がある。
崖上に到着、辺りを見渡し異常が無いか確かめる。
(問題なさそうだ)
「土御門さん! 登って来ても大丈夫だ!」
「今向かいます!」
そう言い、土御門さんの頭上から降って湧いたように現れる――1匹の烏。
身体は普通の烏と同じ大きさだが、気のせいか森の薄暗さのせいか脚が3本あるように見えるのは見間違いだろうか?
土御門さんが三本烏の脚を掴み――その場で持ち上げられ、難なく崖を飛び上がって来る。
「っと」
軽い身のこなしで着地する土御門さん。運んできた三本烏が羽ばたくと、主の肩に着陸する。
「お待たせしました、先を急ぎましょう」
「う、うん……その烏が土御門さんの伴獣なのかい?」
「え? ああ、そうですよ」
三本烏の黒い瞳がこちらを見てくる。
『――肩上より失礼する。私は葛葉の使役式兼伴獣を務める金烏の扶桑だ』
聞こえてくるのは渋みのある男性の声。目を閉じて声だけ聴けば声優と言ってもおかしくない程。
「ど、どうもこれはご丁寧に……」
『源くんの噂はかねがね聞いている。どうか学び舎の同じ仲間として葛葉と仲良くしてやってほしい』
まるで父兄かご家族の様な物言いである。
「扶桑、そう言うことは本人の目の前で話さないのが普通ですよ?」
『だが、君が孤立するのは忍びない。幸いにも源くんは良識のある学友思いのある青年だ、無下にするのは頂けない態度だぞ?』
「余計なお世話です」
……このやり取り、真澄さんを彷彿とさせるのは気のせいだろうか?
「あのー……扶桑さん、先程ご自身を金烏と仰っていましたけれども……あの金烏なのですか?」
『畏まらないでくれ源くん。確かに私は金烏だが、特別神格が高いわけでもない』
「本物の金烏なので思わず、まさか本当にいるとは……」
妖怪――いや神霊に近い存在、それが『金烏』である。
太陽の化身、陰陽思想の陽を司る、妖怪の中でもかなり上の格に位置する存在。
下手すれば新人組の従える伴獣の中でもトップクラスの力を持つのではないだろうか。
「源さん、扶桑は金烏ですが中身はただの中年男性と同じですよ。休日だとクッションに寝転がって寝ていたり、供え物の神酒を盗み食いしたりしてますから」
「ええ……」
自分の中の想像図が音を立てて崩れてゆく。
『随分と言ってくれるな葛葉』
「本当の事ですから。あと、しばらくの間は出ていて下さいね――どうやらひと悶着始まりそうですから」
土御門さんが鉄扇を引き抜く。
次の更新も同じ間隔になると思います。




